原発いらない女たちのテントひろば~福島とともに

チェルノブイリ調査ツアー報告②

黒田節子@原発いらない福島の女たち

■ロガノフスキー博士
 9月26日、胎児の放射能被害の研究者(ウクライナでは唯一人)の講演を聞く。
『…被ばくによって左脳(言語の働き)が影響を受けやすく知能低下がみられる。なぜ「左」かはまだ解明されていないが、そこは複雑で、敏感で、新しい、つまり一番難しいところだから放射能や毒性に敏感だ。幼児の言語テストでは、1948年までは同じだったものがネバダでの原水爆実験で知能の低下がみられ、実験を止めてからまた戻った/妊娠時の被ばくが最も危険。病気は様々なものがある(背中の痛み、痙れん、自立神経系、精神異常)。フクシマではストレス、精神的なものがあるだろう。母子への精神的・教育的サポートが必要/不安があれば移住、なければいい。よほど被曝量が多くなければ、中絶の必要はない…』
専門的な話が続く講演だった。私たちは彼の話のどこを取り、どう理解したらいいのだろう。

■アンドレーエフさん
彼は「リクビダートル(事故処理決死隊)」で、「チェルノブイリ連名」代表だ。
『…4月26日は、冷却水がなくなった場合にどうするかの試験運転中だった。事故で31人が死んだ。あの日、朝9時に目を覚ました。娘を連れて外へ出てしまったが、これは人生最大の間違いだった。爆発で、一つの壁を残し原発にはコンクリートの箱が無かった。妻子の服を替えさせ、窓を閉め、カーテンを閉め、床を定期的に拭くようにいった。放射能の雲が来たが、町の周囲にあった松がプリピャチをかなり守ってくれた。
バスに乗ってプリピャチから制御盤のある仕事場へ行った。停電で真っ暗、150以上の警報機をまずは止めた。「死か、(責任放棄による)刑務所か」私は死を覚悟して踏みとどまり、マニュアルに違反することをして非常に危険だった2号炉を守り、爆発の連鎖をくい止めた。最後の数分間のことだった。
IAEAを解体しよう。IAEAはチェルノブイリの本当の情報を出していない。アメリカのいいなりだ。WHOとの関係もひどい。日本政府のしていることは犯罪だ。日本大使館へ行ったが中へは呼ばれなかった。…』

午前中の教授も午後の技術者も、制限がある中での発言だろう。科学者の表現はさらに慎重だ。たとえ講演者が良心的であっても、統計としての可能性を「推測」するのみ。しかし、私はこういう時に「フクシマには言葉を選ぶヒマはない」といつも思ってしまう。
私たちは数や統計ではない。フクシマにも一人ひとりの顔、一人ひとりの喜び、それぞれの生活があり、その私たちの子どもの生命が傷つけられ続けている「事実」は確かにあるのだと。
この点、エンジニアのアンドレーエフさんは一味違っていたように思う。それは働く仲間がむごい死に方をしているのを実際に見ているからではないか。仲間の死について語るとき、目を閉じ苦しそうになった彼が、一方で「日本政府は犯罪者だ」とハッキリといってくれたことがとても印象的だった。

■チェルノブイリ原発へ
 9/27、首都キエフから北へ約100キロ地点に原発はある。原発が近くなるにつれ、バスの中はピーピーとあちこちで線量計の警報音が鳴り始め、否が応でも緊張が高まる。私たち調査団は2号機へ向かった。白い帽子、白衣、靴カバーを着けて構内へ。構内は案外線量は低いが、うす暗く細長い通路を歩いていて窓にさしかかったら線量は一気に上がったのを覚えている。2号機の制御室では「外国人はこの10年間で初めての許可」とのこと。室内は線量も高く、1μSv/hをずっと超えている。責任者コーリシュさんは事故当時からずっとここで働いている。「日本では被ばく労働が問題になっているが、体調は心配ありませんか」と私。「定期的な健康診査と休暇があります」といった答え。それが十分なものなのかどうか詳しくは分からないが、孫請けのその孫請けなどで労働者は使い捨て、多重な搾取と差別構造の中にある日本の原発事情に比べれば、はるかにマシな労務管理があるように感じた。ともかくも住民を移住させた国は、この点でも日本とは大きな違いがあるだろう。
 再びバスで4号機の見える撮影スポットへ。線量は8~13μSv/h。ウワ~ッ、これ以上積算値を上げたくない!と思いつつ、皆さんと記念撮影など。 (つづく)


メモ:『何が本当のことなのか、市民が自ら大運動を起こさなければなりません。政府が「安心」を説いて、放射能に関連するような病気を診察しないように圧力を掛け、住民を高汚染地帯に呼び戻そうとしているのが日本の哀しい現実です。市民が自分の命を守る術を科学的にも実践的にも獲得するしか道は無いのです』(矢ヶ崎克馬・琉球大学教授)

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▲検問所の脇に「チェルノブイリを忘れないで」と英語などで書かれたリボン

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▲2号炉制御室

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▲線量が最高の地点は撮影スポット(手前が3号炉、奥が4号炉)

チェルノブイリ調査ツアー報告①

黒田節子@原発いらない福島の女たち

9/24~10/1、チェルノブイリに行って来ました。
「食品と暮らしの安全基金(旧称:日本子孫基金)」という団体が企画するツアーの申し込み締切直前に、メルマガでたまたまその案内を見た友人から誘われてのチェルノブイリ原発訪問だった。「26年後のフクシマを見に」という表現も可能なツアーだから、踏み足が鈍る心情があったことは確か。しかし、原発のない社会を目指して「チェルノブイリの経験に学ぶ」ということを、日頃口走っている私(たち)だ。せっかくのこの機会を断るわけにはいかない。こうして、キエフ市4泊、オプルチ市(キエフの北、チェルノブイリにさらに近い町)2泊、機内1泊、計8日間の旅は、今まで紙や映像を通じて知識としてしか知らなかった世界を、突然、ライヴで目前に展開してくれることとなった。
キエフはモスクワ経由で約16時間、時差は6時間(一日は24+6時間)。この時差のせいか、チェルノブイリという最悪の現実の只中に立つ興奮のせいか、最初の夜ほとんど熟睡できなかった。

■子どもたちと「ザポルーカ」
9月25日、まずは、子どものガン治療援助団体「ザポルーカ」の本部事務所、病院事務所を訪問。この団体へ「基金」から寄付金が手渡された。その後、国立病院小児科病棟へ。ママが見守る中、子どもたちがベッドに横たわっている、あるいは一見元気そうにしている(が、毛髪は治療のせいで無い子も多い)。すでに許可があり、私たちは遠慮なく病室のドアの外からシャッターを押す。子どもたちは被写体になることに慣れている感じだが、母親はいったいどんな気持ちでこの光景を見ているだろうか。

病院の責任ある立場の医師から説明を受ける。
いろいろと数字が出されたが全体の印象として、予算が少なくて充分な研究ができていないこと、ウクライナでは1980年代には病気を調べる手法も不完全で、統計などもこの10~15年前からのものしかないこと等を言っていた。私はフクシマの立場から、特に①甲状腺「以外」の病気のこと、②子どもたちの病気は4年後(日本の御用学者たちはそう言っている)ではなく、翌年から出ているのではないか?ということ、③低線量被爆について_を質問したが、充分な答えをここではまったく期待できないようだった。どこの世界も自由にものを言えないことがあるが、ここはウクライナの「国立」付属病院。公的立場からの発言はなかなか厳しいものがある…と、ツアー主催者に後で教えてもらう。そうっか、それはどこの国でも同じだなァ、と妙に納得。

 「家族の家」訪問。たくさんのりんごの木に囲まれた、ゆったりとしたキエフ郊外の部落。ちょっと大きいペンション風の建物だが、田舎から出てきてキエフの専門病院で子どもを治療する際に、経済的に余裕のない家族が無料宿泊できる施設だ。どんなに助かることだろう。前述の「ザポルーカ」が運営している。ここでも治療中のたくさんの子どもたちと会うことができた。その中には、現在21才の母親から生まれた女の子も。つまり、チェルノブイリ事故数年後に生まれた人の、その子からも病気が出ているのだ。被ばくが遺伝することは明らかに思える。見た目には元気だが様々な病気を抱え、これから手術という子もいた。
日だまりのベンチで、元気になるためのものという子どもたちのゲームを見ていた。「これからの福島はどうなるんだ!」心地よい風に身をまかせながらも思いは反転し、フクシマの深い悲鳴をここでも聞いていた。 (つづく)

メモ:『被ばくした両親からチェルノブイリ事故後に生まれた子どもには、遺伝子に影響をうける可能性があるとデータから推測できる』(ウクライナ国立放射線医学研究所エフゲーニア・ステバーノヴナ教授2012.4.11郡山講演より)

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▲国立病院で

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▲「家族の家」で

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原発いらない女たちのテントひろば

Author:原発いらない女たちのテントひろば
「未来を孕むとつきとおかのテント行動」を引き継ぐ新ブログにようこそ!

「原発いらない女たちのテントひろば~福島とともに」は
東京・霞が関の「経産省前テントひろば」を拠点とした、女性による脱原発・反原発のアクションです。
 年齢もバックグラウンドも様々な女たちが、福島原発事故に対して立ち上がった「原発いらない福島の女たち」につながろうと集まって来ました。
 それ以来、つねに新しい仲間を迎えながら、「原発を止めたい」「子どもたちを守りたい」という思いのもとにテントを拠点に多様な活動を続けています。
 生きること、暮らすこと、命をつなぐこと。小さく、ささやかなものへの眼差しを大事にして、「原発」という強大な構造を変えて行けることを固く信じて。
 このブログはもう一つの「テントひろば」。誰にでも開かれた、語らいと学びと交流の場です。世界中の女たちに呼びかけます。
「強く、そしてしなやかにつながっていきましょう!」

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