原発いらない女たちのテントひろば~福島とともに

5.31日比谷野音に大結集してください

Image2告訴団

「脱原発テントといのちを守る裁判」報告集会 2

裁判報告集会の報告(続):大口弁護士の発言

5月23日の裁判報告集会で最後の発言者、大口昭彦弁護士の話を追加する。
・こんなに多勢の人が詰めかけてくださったことに弁護団の責任の大きさを改めて痛感している。
・1976年に最高裁事務総局行政局長が「原発訴訟にどう対処するか」、裁判官の勉強会で述べた見解を引用(*「部外秘 環境行政訴訟事件関係執務資料1979年」より)。これまで47件の訴訟が争われたが、勝訴したのは下級審での2件のみだった。原発の設置を認可したという意味では司法も同罪、司法こそが一番の責任者だという声が、3.11の事故以降、語られている。

・本日の裁判について、まず、大法廷の問題がある。我々は大法廷を求めてきたが、最初の予定よりも小さい、いわゆる警備法廷に移された。裁判所がこの裁判をどういうものとして見ているのかがはしなくも現れた事態であった。
・我々はこの裁判がスラップ訴訟であることを強調。違法訴訟だから直ちに却下せよと求めた。スラップ訴訟には色々な要件があるが、問題を矮小化し、法廷内に閉じ込めるという問題がある。テントについて、国は所有権・占有権の問題だけに矮小化している。この問題の本質である原発問題、原発事故、原発政策についてはひとことも書いていない。

・おふたり(渕上・正清)の答弁書の陳述があった。非常に感動的なもので、本当はテレビ中継で全国に放映すべきものだった(大きな拍手)。
・最初、国側の指定代理人がこの答弁書に対して異議を出した。裁判長がこれにどう対応するか、注目したが、答弁書として陳述するように言ったので、よかった!と思った。
・この裁判は「問題の拡大・本質化」と「規模の拡大」という2つの点がある。原発政策をどうするのか、経産省の責任が問われるような裁判として発展させていかないといけない。
・国は被告を正清、渕上の2名に限定しているが、現在、「当事者参加申込み」をしている270名全員が登場することを実現しなければならない。
・今日の裁判では、今後どうなって行くのかは、まだなんとも言えない。次回7月22日(月)には今日に倍する結集が必要だ。代理人も皆さんと共に闘って行きたい。
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/80595#more-80595
大口さんの発言は01:23:40~01:33:56

大口弁護士、正清さん、渕上さんは5月24日のあおぞら放送「テントから~」<反原発で行こう>のコーナーでもこの裁判について語っている。
http://www.ustream.tv/recorded/33253481
3人の出演は00:17:40~00:47:47まで。

(まとめ:あっきい)

「第二テント日直だより」第9便

「第二テント日直だより」第9便をお届けします。
ハンストに公判に、日々の闘いが熱気を帯びて来ました。
同時に夏も近づいて来ます。
暑くなってくると、東電福島第一原発の収束作業をする人々の
作業環境もいつにも増して心配です。
(0.k)

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5月7日(火)
明渡請求裁判の参加文書が書けなくて到着が遅れた。
・風強く、外の作業は無理。
・メーテルさんテント内の整理に来られた。冬の間のいろいろの整理も大変。
・メーテルさんより「5.31なぜ、福島原発事故の責任は問われない? 福島の叫びを聞いてください!(東京・日比谷野音)」のビラ約100枚たんぽぽ分に預かる、届けるため17:00に退出
【T.K】

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5月15日(水)
五月晴れで、夏を予感させる陽気。
明日から始まるハンストの準備のためなどに訪れる方も多く、活気がありました。
第2テント内では男性のONさんがハンスト宣言(呼びかけ文)を紙に書く作業をされ、あれこれ屋さんがいろいろとお世話されていました。
午後2時からと夕方6時半からの2回、「テントで会いたい!特別企画、からだノビゆるワーク&霞が関スキップ&福島と共に生きたい茶話会」(企画、菊地びよさん)が行われました。
1回目は3名、2回目は6名の参加者。1回目はテント内でのからだワーク中心、2回目はテント前での体ワークに続いてスキップ(経産省前〓文科省前〓国会前と巡るもの)、そしてお話会。ふだんあまり知り合うことのない方々といい交流ができました。
【メーテル】

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5月17日 18日 19日
「福島とともに」のブログ参照

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5月23日(木)
公判初日。300人(以上?)が傍聴券を求めて並んだ。
そのあとの、地裁4F廊下での座りこみ(15分間)、デモ報告集会まで人数ほとんど減らず。
さらにそのあと、経産省前抗議行動も含め、ほとんど1日がかりの行動だった。すごい。みんなご苦労様!!

昼の間暑かったので(デモで歩いていたのでなおさら)今年初めて氷を買って、冷たいお茶を出した。
KYさんのプレゼントのとうもろこしひげ茶は美味しいと評判。
途中のど飴半袋差し入れあり。ご自分の食べてるのをザッと入れてくれた。
夕方、袋菓子5袋と水2本差し入れあり。いつももらってばかりで悪いからと。
テントの中で何人か、1ー2時間休んでいかれた。
【ケロップ】

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「脱原発テントといのちを守る裁判」報告集会 1

「脱原発テントといのちを守る裁判」報告集会
2013年5月23日(木)

午後13:00からは弁護士会館クレオAにて、満員の聴衆を集めて報告集会が開かれた。冒頭に司会の蓑口さんから本日の口頭弁論傍聴希望者は298名、法廷で傍聴出来たのは38名(うちマスコミ10名)、傍聴に入れなかった250名がデモに参加との報告があった。以下、発言順に紹介する(冒頭の数字は録画の時刻)。

00:03.10~:裁判応援団の鎌田慧さん「これは加害者が被害者を訴えるというトンデモない裁判。経産省、政治家、財界人は亡国、テントは忠国、亡国対忠国の裁判だ。経産省を粉砕するためにあそこに座り込んでいたら、経産省が迷い込んできた。まさに飛んで火に入る夏の虫。この裁判はテントだけでなく、原発の裁判でもある。そのチャンスを向こうから与えてきた。日本の原発の矛盾が見えてくる、そういう裁判にして、もう一度、脱原発の大きなうねりを作っていく、1つの大きなチャンスとして歓迎している。断固、頑張りましょう」と呼びかけた。鎌田さんは同時刻に日比谷野音で開かれている「5.23狭山集会」の主催者でもあるため、挨拶のあと、そちらに向かわれた。

報告集会で発言する鎌田慧さん
▲鎌田慧さん

00:10:12 弁護団団長の河合弘之弁護士。「脱原発のことなら、どこにでも顔を出す弁護士の河合です」とユーモラスに自己紹介。法廷で話したことの要旨をお話しされた。
・日本はチョー地震大国。世界平均の130倍の倍率で地震が発生している。世界の地震国で原発をもっているのは日本と台湾だけ。地震と言えば、津波がつきもの。原発は巨大な精密機械で、水と衝撃に弱い。だから日本では動かしてはいけない。
・日本は火力発電所の稼働率が50%。これを20%あげるだけで、原発分の発電量がカバー出来る。今、火力発電の燃料輸入のため、3兆円ほど輸入が増えている。しかし日本の国富(=全資産ー負債)は3000兆円もある。今は3兆円でも今後、自然エネルギーが立ち上がれば、その支出も減少する。放射能とCO²とどちらが怖いか。原発に決まっている。世界中の人が日本の放射能を心配している。
・経産省は原発輸出のために国内での再稼働が必要。脱原発すれば、電力会社は債務超過、倒産となるのは困る。国民のいのち、安全よりも電力会社が大事なのだ。
・自分で作った原子力ムラの構造図を使って、電力会社をめぐる金の動きを裁判官に説明した。電力会社をめぐって動く金は日本経済の6~7割を占める。わたしたちは巨大な相手と闘っている。
・原子力ムラの中核は経産省原子力部門。ここは原発原理主義者(日本は資源小国だから、自己完結型永久エネルギー構想をやらなければならないと堅く信じている)の集まり。
・その原子力原理主義者のノド元につきつけられたのがテント村だ。だからこそ、テントを守らなければいけない。テント村にいる皆さん、支える皆さん、自分たちのやっていることが実に重要なことであることに自信をもってほしい。
・放射能がどんなにそこに住む住民の生活を破壊してしまうか、飯館村について話し、飯館村の歌を朗々とした声で歌ってくれた。(00:34:38)。
・わたしたちがテントを張ったり、裁判をやったり、デモをしていなかったら、日本にはもっと多くの原発が建っていたにちがいない。ということは日々、わたしたちは勝っていたし、今も勝っている。闘い続けること自体が勝利である。

Image河合弁護士
▲河合弘之弁護士

<二人の「被告」の発言>
00:58:34 テント代表の渕上太郎さん:先ほど河合先生からお褒めの言葉をいただいたが、裁判長並びに国側の連中に、わたしはテントが存在している理由というものを断固として伝えたかった。
・あの事故がなければ、テントは必要がなかった。あったから建てた。わたしたちは確かにテントを建てたが、仮にわたしたちが建てなかったとしても、どなたか、別の方がこのようなものを建てて、国や経産省に抗議の意思を示したであろう。その証拠に沖縄には3300日を超えてテントが堂々と建っている。九州電力本店前にも760日を超えてテントが建っている。
・一昨年の段階で、鎌田さんはこのテントが「霞が関のヘソ」であり、「峠の茶屋」であると言われた。
・(脱原発を達成するまで)おそらく長い長い月日がこれからかかると思う。裁判はそのうちのほんの小さな局面にすぎないかも知れない。7,8,9月と裁判は予定されているが、3時間、わたしどもが裁判所で騒ぐ。はたして結論はどうなるのか、という問題もある。
・2011年3月11日にあの事故が起きるまで、わたしは決して反原発、脱原発の運動家ではなかった。事故が起こってから、いろいろ情報を集めたが、まだ自分でもよくわかっていない。しかし、あの事故が福島の人々を中心として深刻な被害を与えたことは間違いない。そのことをいつも心に置きながら、これからも闘っていきたい。

00:45:49 正清太一さん:35年前、当時、社会民主連合という政党で、日本の政党として初めて原発をやめるべきだという方針を決めた。菅直人君もメンバーの一人だった。
3.11の事故が起こったとき、お前は今まで何をやってきたのか、と感じた。54基も原発が建っていたことも気がつかなかった。
・3月末から8回被災地の支援活動をした。湯本、四倉、広野、小名浜、南相馬と、敬老施設、児童施設を回った。5月29日に南相馬に行く途中で飯館村を通った。人がまだまだいっぱい住んでいて、これは大変だ、と「民友」、「新報」などローカル紙に電話をし、これから福島に行くから話を聞いてくれ。とにかくガイガーカウンターが鳴りっぱなしだと伝えた。それからしばらくして、飯館村が大変な被害を受けたことがわかった。そのあと、風が南に廻って、福島、郡山へ、そしてさらに西にまわって茨城、栃木、埼玉県の奥の方、多摩に放射能が流れてきたことが、あとで分かった。
・これは福島、日本だけの問題ではない。世界の問題だ。わたし共は福島を廻ってきて、政府はなにもやっていない、特に被災民に対して具体的に何もやっていないことを見てきた。これを皆さんに訴えなければ、というのがあのテントの出発点だった。あのテントが出来てから、南は沖縄、人は北海道から多くの方がたがおいでになった。話をして、頑張るぞ、と帰っていかれる。テントを絶対につぶしてはいけない。皆さん、ともにがんばりましょう。

<当事者参加者の発言>
00:54:06 橋本あきさん(郡山市在住)わたしは専有当事者として自ら表明した。東電が事故を起こしたくせに、対処の悪さから、この、国民の怒りの象徴とも言えるテントが出来てすごくありがたかった。経産省の敷地の片隅に、この非常事態を知らせるテントがあって、何が悪いのか。わたしたちは堂々と訴えているのだから、悪いことはなにもしていない。2011年12月末に初めてテントに来て救われた思いがした。
・郡山では脱原発を訴えに耳を貸してくれない。東京に来てわたしたちは泣いているのではない。福島の現実を訴えに来ている。
・不法占拠しているというなら、わたしたちもテントのまわりに鎖が張り巡らされていることで精神的苦痛を受けている。鎖を不法にまいていることを逆に訴えたいくらいだ。
・郡山市は子どもの運動不足解消のため、体育館にフワフワハウス、サイバーホィール、
エアトラックなどを揃えた。そういうものがあること自体が異常だということをわかってほしい。今、子どもたちを守らなくては、日本の経済なんて成りたたないんべぇと思う。
・先日、ヤブロコフさんの話を聞いたが、郡山は放射能がモスクワの2~3倍もあり、危険と言われた。今までの生活をしてはいけない。再稼働は狂気の沙汰だ。知識は知恵と勇気を与えてくれる、と言われた。これを聞いて、わたしはちょっと気を入れ替えて、また、このテントを通していろいろ教えてもらいたいと思っている。

裁判所前で決意を語る橋本あきさん
▲裁判所前で決意を語る橋本あきさん

01:02:35亀屋幸子さん(双葉町から避難、港区に在住)
・原発から1.2キロの所に住んでいた。12日から地獄の生活だった。3月28日に港区のお世話になるまで、26、27日と芝公園で寒いなか、車の中で寝た。それから1,2か月、泣いて泣いて精神状態がおかしくなった。そのときたまたま「テントひろば」を知って訪ねて行った。テントの人たちはみんな温かかった。わたしたちの言葉を聞いてくれたし、情報もあったし、同じ被災者に会って励まされもした。テントひろばがなければ、自分は立ち直ることが出来なかった。テントはわたしの第2のふるさとだと思って今、頑張っている。
・テントひろばは何か悪いことをしたのか。なんで撤去されるのか。テントひろばを撤去する前に、福島第一原発を撤去してください。テントひろばは日本全国、北から南まで、みんな集まってくれて、色々な情報も集まってくる。その人たちの心が鎖でつながっている。日本だけでなく、世界中からも集まってくる。テントひろばをぜったいに撤去させないでほしい!

発言する亀屋さん
▲亀屋幸子さん

次いで、テントと関係の深い以下の団体からの連帯のメッセージ(字数の関係で内容は省略します。是非、録画を見てください)。
01:08:10 たんぽぽ舎代表 柳田真さん
01:12:52 再稼働阻止全国ネットワーク 小川さん
01:17:40 福島事故緊急会議 国富さん

01:23:40 大口弁護士から今日の口頭弁論および今後の進め方についての説明。
01:36:35 閉会

<続く>
(まとめ:あっきぃ、写真:あれこれ屋)

<福島の声を世界へ> 高野匠美さん

あおぞら放送2013年5月10日
<福島の声を世界へ> 高野匠美さん

高野匠美(たくみ)さんは富岡町から郡山市に避難している。今年始めにあおぞら放送の「通りすがり」のコーナーに出演したので、今日は2度目だ。お父さんは原発建設にたずさわり、現在、八十歳だが、除染作業にも携わった。夫も38年間、原発で働いてきた。匠美さんの率直な発言にぜひ、耳を傾けてほしい。キャスターは松元ちえさんと荒井牧さん。

s-高野匠美さん


今、生活はなんとか落ち着いてきたが、夜、眠れないことがすごくきつい。3月25日から富岡町は区割りが3つに再編された(帰還困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域)。自分のところは居住制限区域に指定されたが、出入りは自由になり、誰でも入れるようになった。ところが、自宅から5歩くらい行ったところから「帰還困難区域」となり、入ることが許されない。
町内の夜ノ森(よのもり)は桜の名所。観光客が全国から集まってきて、線量はまだあるのに、普通の格好で歩き回っている。出入りは9:00~16:00の間の4時間と決められている。新しく作られたガードレールを境に出入りが制限されているが、簡単に中に入ることが出来る。高野さんの家もドロボーにやられていた。それで夜になると、家のことが心配になって眠れない。
 
郡山で友達になった人に「避難者」だと言ったところ、次の日から話してもらえなくなってしまった。そういう経験をしてから、避難者だと言えなくなってしまった。「避難者」というと、賠償金をもらって、仕事もしないでいるんじゃないか、と思われていて、風あたりが強い。友人がいわきの人に面と向かって言われた。「もういい加減、帰ってほしい」と。わたしたち、帰ることが出来ないのに。帰っても4時間しかそこにいれないのに。
 ここで、ちえさんから「福島民報」に毎日掲載されている線量測定の結果が紹介された。高野さんの家のある王塚は富岡町で2番目に線量が高いが、近くに役場があり、役場機能のために居住制限区域に入れられたのではないか、と思っている。前回、帰宅した折りに、たまたま大熊町に入れたが、第一原発の正門から線量をずっと測っていくと、60ミリシーベルトにもなって、びっくりして逃げて来た。
 
郡山で避難者たちが交流するために設けられた仮設の集会所に行ってみた。週2回、お茶会みたいのがあって、そこで女の人たちと話してきた。みんな、いつ帰れるのか、気にしている。でも家があっても住める状態ではない。家を立て直す勇気もない。建て直しても子どもたちは帰ってこない、自分たちは年をとる一方だし、病院もない。店もない。
富岡町ではタブレットを配って、町の人の交流をはかっているが、このあいだ、73歳の男の人が♪おらぁ東京さ、行ぐだぁ♪を替え歌で書いてあって、すっごくおもしろかった。♪セシウムもって、おらぁ東京さ、行ぐだぁ。東京の総理大臣にくれてやっぺ♪という感じで。
避難先の問題としては、切り替えの早い人は、郡山とか、いわき、二本松とか、避難したところで家を建て始めた人もいる。帰還困難地域と居住制限地域では賠償金が全く違う。そんなところから、これまで仲良くしてきた人とも分断されてしまう。
問題を声に出して、みんなで話し合える場所をつくりたいと思ってきたが、みんなは(賠償金を)もらっていることから、国に対して言えないという気もちがある。それとこれは別でしょ、と言っているんだけど。今日、ここに来るのも主人に、お前ひとりが言ってもしょうがない、と言われた。福島の人は言いたいんだけれど、言えない。ほんと、何で?と思うくらい、言えない。

父は除染もやって、以前は原発の建設もした。ちえさんに取材を受けて、それが記事になってからがスゴかった。(記事には会社名も)何も出さなかったのに、父に対して会社の圧力がかかってきた。
(ちえ)マイナーのなかのマイナーな雑誌なのに、それをよく見ていたなと思う。
父はわたしが(送られてきた雑誌を)見せる前に、会社から見せられていた。会社はわたしにも圧力をかけてきた。「お父さんのことを出したり、もう終わったことなんだから、そういうことを言うな」って(注:除染作業でピンはねがあったらしい)。
(ちえ)お父さんが次に除染に行きたいというときに、問題になるのではないか。
父はもうやらないと言っている。今、父が悩んでいるのは、一人なので、富岡に帰りたいのはやまやまだけど、年だからだんだん弱って行くのに、病院もないとこに帰って、生きて行けるか、ということ。
区域の再編をしたあと、調査さえもやっていない。誰かがそこに家を建てて住み始めれば、国は、ほら、住めるんだから、お前ら、帰れということになるだろう。
わたしは50年以上も王塚に住んでいる。一戸建ての家があり、畑も田んぼもある。家具も一生モンを揃えた。そちら側のアパートに住んでいる人はまるまる6年分、賠償してもらえるのに。10人家族がいるんだけど、精神的賠償だけでも月100万になる。そうしたら、お互いの関係がギスギスしてくる。国が福島の人を分断させている。
主人も言えないことがいっぱいある。汚染水のことは問題になる前から、原発で働いている同級生から聞いて知っていた。あの水をどこにもって行くのか、やっている人もびっくりしている。24時間3交代でやっているんだけど、やりきれないと言っている。
作業員には口外しないように圧力がかかっているみたい。
(ちえ)メディアと話すなという協定書みたいのにサインさせられているらしくて、わたしたちも大変な思いをして取材している。
(汚染水の保管のために)土地を国は貸してくれ、と言うが、わたしたちは買ってほしいということで、話がまとまらない。
(牧)そんなことをケチってる場合じゃ、ないのに。

(ちえ)この放送はインターネットで配信されているけど、国とか会社とか、心配じゃないですか?
来るものはこい!ガマンする必要はないって思っている。
(ちえ)最後に福島からのメッセージを一言、どうぞ。
せっかく、出入りが自由になったので、富岡に来てください。わたしが案内します。
日本の国はすごく好きだったのに、こんなに国に裏切られたのはとっても、とっても悔しい。

この日のあおぞら放送は、高野さんのトークをトップに以下のようなラインアップ。
25:29 <テントを守ろう> 土地明渡請求訴訟に向けて  正清さん、渕上さん
44:22           「原発といのちを守る裁判」の進め方 高瀬さん
51:54 <ジョニーの替え歌> 「ある日とつぜん福島」ジョニーHさん
55:27 <通りすがりインタビュー> ジェーンさん(オーストラリア)

この放送は以下で録画を見ることが出来る。
http://www.ustream.tv/recorded/32647387


Video streaming by Ustream

(まとめ:あっきい  写真:あれこれ屋)

テント撤去・土地明け渡し請求訴訟取り下げろ 第一回公開口頭弁論

5月23日 テント撤去・土地明け渡し請求訴訟取り下げろの裁判
第一回公開口頭弁論

Image2朝日新聞記事
▲朝日新聞記事

この日の朝、経産省前テントひろばに集まった人たちが出発

裁判所に出発
▲出発

裁判所前にはたくさんの人たちが集まる。


裁判所前
▲裁判所前

弁護団長の河合弁護士、福島からは黒田節子さん、橋本あきさん、椎名千恵子さんが参加。傍聴抽選に並んだ人約300名。

河合弁護士方針をしゃべる
▲河合弁護士


黒田節子さん
▲黒田節子さん

弁護士、渕上さん、正清さん、福島の女たちを先頭にして裁判所に入る

そろって裁判所へ入る
▲そろって入る

傍聴に来た人々
▲傍聴に来た人々
(注)この写真は門の外から撮ったものです。

傍聴抽選(抽選券約20枚)にはずれた人も裁判所に入る。

裁判所の様子を見て、そのあと11時30分から裁判所脇~テント前~経産省前~日比谷公園までデモ

裁判所脇をデモ
▲裁判所脇をデモ

子どもを避難させて
▲子どもの避難を訴える横断幕

(報告・写真:あれこれ屋)

「連続共同ハンスト」第7日目

ハンスト第7日目
5月22日(水)

第7日始まる
▲ハンスト最終日はじまる

 ハンスト最終日。穏やかな五月晴れ。官庁街の木々も一段と緑が濃くなり、歩道に初夏の影を作っている。
 朝9時に、受付の机を出すためにテントに着くと、ハンスト者たちはもう、テント前に椅子を並べて座り、元気に語らっておられた。自然体だ。

ハッピを干す
▲ハッピを干す

 テント内にたたまれていたハンスト用の法被を手に取ると、先日の雨で湿っていたので、日の当たっている車道側脇の生垣の上に並べて干した。
 交差点信号で止まる大型観光バスの乗客で、テントの方を見てニコニコと手を振ってくれる人がいた。こちらも手を振る。手を振ってくれた人はハンスト者のNさんの知り合いで、そのあとすぐメールがNさんに届く。偶然!

 受付机で、日毎のハンスト参加者と、支援で座った人の数を、確認する。
 1週間全ハンストをした人はお二人。4日、3日間の方も何人か、1日(24時間)ハンスト者を加えると、その述べ合計は45人となった。
 その他に、テントまで来られずとも「どこでもハンスト」を決行した人、ラマダンのように昼食を抜いて1日座り込みに参加された人も、何人もおられた。

s-佐久間さんと結城さん
▲佐久間さんと結城さん

 正午、無事ハンスト終了。テント前に集まった方々の拍手に包まれ、全貫徹のお二人から、熱い思いが力強く述べられた。
 82歳の佐久間さんは、第二次大戦に突入した時代を知る者として、結城さんは、浪江で津波と原発事故時の政府対応を実体験した被害者して、このテントひろばの果たす役割が、いかに重要であるかを。
 そのあと、女性テント内で、梅干しの添えられた温かいおかゆを召し上がっていただく。「うまい!」5人のハンスト者の笑顔がステキだった。

s-決意を発言する渕上さん
▲記者会見

 午後2時より、明日の「テント明け渡し訴訟」に対する記者会見が始まった。
 応援団を結成し団長になられた鎌田慧さんから「ここは、脱原発を訴え、福島の思いを一緒に受け止めるための拠点だ」との訴え、弁護団の一人、弁護士の上杉さんから、「国の訴えは不適法だと主張していく」との説明。

上杉弁護士
▲上杉弁護士

 被告とされた渕上、正清両氏から、テントを作った経緯、テントを守ってきた中でわかったこと、テントを守る決意が述べられた。
 集まってくれて記者たちの質問はほとんど無かった。

記者たち
▲記者たち

 記者会見の間、斜め正面の外務省に向けて、右翼の街宣車が大音響で叫んで通り、会見の声も聞き取れない場面もあった。

 いよいよ明日から、裁判の口頭弁論が始まる。
 太陽が正面の財務省のビルの向こうに沈むまで、テント前はこれから、夏の西日に照りつけられる季節に入る。
 「体調を大事に保ちながら、したたかにテントひろばを守り抜いて行こう」との互いへの思いやりの、暗黙の言葉がけが、集う人の表情に交わされていた。

(写真;あれこれ屋、報告者;カトリーヌ)

「連続共同ハンスト」第6日目

ハンスト第6日
5月21日(火)
 きのうの雨も止み、今日は晴れ。午前中、湿度は高めで蒸し暑い。テントに着くと、すでに完全ハンスト実行中の佐久間さん、結城さんが座っておられた。
 午前11時ころ、5月10日に逮捕され、拘留中だったテントスタッフBさんの釈放の知らせが入った。午後2時から地裁前で抗議集会が予定されていたが、急遽、取りやめになり、1時からテント前で簡単な報告集会がもたれた。まだ不起訴が決定したわけではないので手放しでは喜べないが、Bさんがお元気そうでよかった。知らせを受けて集まってきた方たちもハンスト支援者として座ってくださって、午後はハンスト者、支援者もまじえてにぎやかだった。報告集会の様子は以下の録画で見ることが出来る。
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/80303

 午後、中年のフランス人男性が寄ってくれた。彼は日本が好きで毎年、日本に来ているという土木関係のエンジニア。ぜひ、金曜行動も見てほしいと勧めたが、残念ながら金曜日夜には帰国するとのことだった。
 4時ころ、黒いマイクロバスからダークスーツの外国人が5~6人、バラバラと降りてきた。ドイツのバーデン・ビュルテンベルク州の環境大臣とその一行だったそうだ。同州は長らく保守党政権が続いていたが、2011年3月27日の州選挙で緑の党が大きく勢力を伸ばし、社会民主党との連立政権を樹立、ドイツ初の緑の党の州首相が生まれた。メルケル首相が選挙を意識して、3.11後、素早く脱原発にカジを切ったが、時、すでに遅しだったというわけだ。
 一行はドイツで初の緑の党所属州首相となったヴィンフリート・クレッチュマン氏とともに来日。4時半から第35回国会エネルギー調査会(準備会)で同首相が「ドイツにおける脱原発/ エネルギーシフトの現状」という特別講演をした。講演の内容は以下で録画を見ることが出来る。

http://iwj.co.jp/wj/open/archives/80231
 
(報告:あっきい)

「連続共同ハンスト」第5日目

ハンスト第5日
5月20日(月)
 今日は小雨でずっと降り続く様子。ハンスト者5名は第二テントの中で椅子に座ってハンスト。

石橋さん
▲テントの中で

 佐久間さんと結城さんは5日目なので、夕方医者に看てもらうことになる。それでも13時30分頃、佐久間さんは近くにある東京地方裁判所に支援する人の裁判の傍聴に行かれた。

斉藤さん
▲斎藤さんも激励

 今日は気温も低く、どちらかと言うと寒々している。ハンストの人たちはお湯を飲んでいる。いつもならテント前で演説をする斉藤さんも今日はテント内でハンスト者を激励。
 
s-テントがきになって
▲テントが気になって

 午後、北海道の伊達から東京に法事でみえたご夫婦が「テントが気になって寄った」と来られて記念撮影。伊達で、対岸の青森県の大間原発闘争にかかわっているとのこと。

(報告・写真:ハセ)

テントひろばより~記者会見と集会のお知らせ

記者会見と集会のお知らせ


○5月22日(水) 弁護団・応援団 共同記者会見 

14時 ~ 15時

   場所 経産省テントひろば前(雨天等の場合はテント内)

   参加 鎌田慧、弁護士、ほか

   共催 「経産省前テントひろば応援団」

「脱原発テントといのちを守る裁判」弁護団



○5月23日(木) 東京地裁口頭弁論対策行動

午前10時 東京地裁前集合 地裁前行動

午前11時 第1回口頭弁論に合わせて、大法廷を使え!という

      要請行動

午前11時半~ 日比谷公園霞門から東京地裁~経産省周辺をデモ

午後1時~ 報告集会;弁護士会館2F クレオA

        河合弘之弁護団長、鎌田慧テント応援団呼びかけ人

        淵上太郎、正清太一、

橋本あき(郡山市)亀屋幸子(双葉町からの避難者)

        連帯アピール



○6月3日(月) テント裁判を考える講演会

  18:30~ 明治大学リバティホール



問合せ てんとひろば(070-6473-1947)

      淵上太郎(090-3919-0604)

「連続共同ハンスト」第4日目

ハンスト第4日
5月19日(日)
5月のさわやかな朝の光を浴びながら、本日4日目のハンストがスタート。

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時折吹く少し強い風も、頬に気持ちがいい。
途中ヤギも応援にきてくれて、癒される。初日から連日参加されてる方も思わずニッコリ。

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気候のよさも手伝ってか、たまたま通りがかったという方が何人か足をとめてくれた。
声をかけたけどそのまま素通りされてしまった...と思ったらしばらくして戻ってきて「署名はできないけど」とカンパをしてくれた男性。
「去年の6月の大きなデモ以来来てなかったけど、来てみたら、変わらずにテントがそこにあって、思いを持ち続けてる人がそこにいて、、ほんとに嬉しい。」と笑顔で話してくださった方。
見てくれないかなーと思いつつダメもとで手をふったら、思いがけずブンブンふり返してくれて、あとはお互いジェスチャーで意志を伝えあった、バイクのお姉さん。
信号待ちのたった数十秒の出会いでつながる思いもあることを知る。

私たちは無力じゃない。
「いのち」を思う気持ちをつなげて、つなげて、つなげて...地球を一周して戻ってくるくらいつなげて...そうすれば世界は変えられる。
私たちの未来は私たちのもの。

テントからの風、世界に広がれ!!

(報告・写真:pipi)


「連続共同ハンスト」第3日目

ハンスト第3日
5月18日(土)
 朝9時には、亀屋さんがテントひろばに来ていました。亀屋さんはこの日国分寺で開かれる集会で発言するため、集会の主催者の迎えを待っていました。

s-亀屋幸子さん
▲亀屋さん

また、兵庫県から2人の方が夜行バスで来られました。一人は福島・伊達から兵庫に避難されている画家の方です。もう一人はかんしょ踊り隊の人で、真宗の僧侶(女性)です。椎名さんの、古井さんの知り合いです。
 椎名さんは前日からテントひろばに来ていましたが、ハンストは第3日に入りました。

s-椎名
▲椎名さん

 この日はいわきから青年労働者Aさんが来ました。いままで高橋ひまわりさんと一緒にいわき駅前の金曜日行動や鮫川村ゴミ処分場反対で行動していたそうです。この日は仕事が休みで東京に用事で来たけれど、「テントひろばに寄らないといけない」と思ってきたと言っていました。
 そして、マイクで発言しました。

 ハンスト者の結城さん(16~22まで)がいわきの人で、いわきの活動などをAさんと話して、盛り上がりました。

 午後1じから、新宿アルタ前で「子どもたちを被ばく守ろう!5.18新宿でも」が行われるので、兵庫から参加された人たちなどが新宿に向かいました。

(報告・記事:あれこれ屋)

フランスでも共闘のハンスト
先日、フランスからハンスト支援のメッセージを送ってくださった飛幡祐規さんから、「パリでは3人の女性が・支援のハンストをリレー的に行っています」、というお知らせが入りました。

(報告:あっきぃ)

「連続共同ハンスト」第2日目

ハンスト第2日目
 5月17日(金)朝10時には、前日からのハンスト者4名に加え、新たな人も加わった。前日からのハンスト者の一人であるNさんは腎臓透析をしている人で、自らの身体をいたわりながら2日間ハンストをされた。

2日目朝のハンスト者たち
▲2日目の朝
 朝10時過ぎに、タクシーの運転手さんが、「こっちの方に仕事で来たので、頑張って下さいと言いに来た」と来られた。その運転手さんは「今日は仕事を終えてから金曜日行動に参加するつもりです。そのときまた寄ります」と言っていた。
 午後に、朝の人とは別のタクシーの運転手さんが、ハンスト宣言やハンスト者の方たちを写真に撮って行かれた。知り合いにいわきの人がいるので見せたいのでと言われた。この人も「金曜日行動に参加する」言っていた。なんとも心強い。

ハンスト宣言
▲ハンスト宣言

 午後に、武藤類子さんが「告訴団会議に来たので」とテントにちょっと寄られた。
その後、更に大阪から電動車椅子の古井さんが加わった。古井さんは震災・原発事故後、すぐ、郡山のボランティアに入ったそうだ。阪神・淡路大震災の時の障害者の困難の経験をもってグループの人たちと入ったそうだ。今年の3.23、福島で行われた「福島の女たち」の集会にも参加されている。

s-類子さん
▲取材を受ける武藤類子さん

s-夕方
▲2日目夕方。右端でハンスト中が古井さん

 この日は、16時からテントの青空放送の日。アメリカのカリフォルニアで反原発闘争をしておられる方が出演。椎名千恵子さんも一緒に来られた。



Video streaming by Ustream

 19時、ハンスト参加者が感想を述べあった。腎臓の悪いNさんは「被災地では、透析を受けていた人たちや障害者がたくさん亡くなられています。これからは、障害者の人たちの力にもなっていきたい」と言われた。
 この日の行動を閉じた。

(報告・写真:あれこれ屋)

フランスからテントひろばのみなさまへのメッセージ

フランスから「テントでハンスト/どこでもハンスト」の呼びかけに応じて、応援のメッセージが届きました!


フランスからテントひろばのみなさまへのメッセージ


 福島第一原発事故発生以来、危険を過小評価し、事実の隠蔽や歪曲と虚偽に終始する東電と国・自治体によって、市民は知る権利と「安全に生きて子どもを育てる」という基本的な人権を踏みにじられました。しかし、多くの市民が抗議の声を上げ、住民の健康と命を守るためにさまざまな行動を起こし、脱原発を要求しつづけています。2011年9月11日から経産省前につくられた「テントひろば」は、原発事故による被害と苦悩を強いられた福島の人々と彼らを支援する市民が出会い、連帯し、自由に語り合い、行動と時間を共にする真に民主的な場となっています。この創造的な抗議と連帯の場が生まれ、存続しているのは、日本の市民運動のなかでもめざましいことであり、海外からも注目され、支援されてきました。
 わたしたち「よそものネット・フランス」(在外邦人の脱原発ネットワーク・フランス部)と「脱原発パリSortir du nucléaire Paris(SNP)」のメンバーもテントひろばを支援し、フランスの市民やメディアに向けて、その存在の重要さを強調してきました。よそもののメンバーの何人かは日本を訪れた際にテントひろばに立ち寄り、そこでの新たな出会いによってネットワークを広げてきました。今回、日本政府がテントひろばに対して撤去・土地明渡の請求訴訟を起こしたことや不当逮捕があったことに、わたしたちは大きな怒りを感じています。ハンストなどみなさんの訴訟取り下げ要求の行動を支持し、フランスから支援の声を送ります。また、何らかのかたちで現地で連帯行動をおこしたいと考えています。よそものネットを通じて、フランスだけでなく世界各地のメンバーに署名や支援行動の要請を発信したので、各地からも支援メッセージが集まると思います。
 日本は安部政権になって脱原発とは逆方向へ舵がとられ、人々の健康と命を守ろうとする活動や脱・反原発運動への風当たりが強くなっているようです。この状況において、持続するレジスタンス(抵抗)の象徴であるテントひろばの存在は非常に重要だと思います。日本国内のみならず、世界各地で原子力・核の廃絶を願う市民にとって、テントひろばは希望をもたらすアゴラ(広場)です。みなさんのご健闘を心からお祈りします。わたしたちも支援の輪が広がるよう、努めていきます。


2013年5月16日  よそものネット・フランス
Sortir du nucléaire Paris(SNP 脱原発パリ)

「第二テント日直だより」第8便

日直便り8


「第二テント日直だより」第8便をお届けします。
明渡請求訴訟の第一回公判が近づきました。
テントひろばは、そこに存在を保つことでずっと”訴えて”来ました。
「原発いらない!」
日差しが強くなってきました。これからは日焼け対策をして座り込みにどうぞ!(0.k)

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4月18日(木)
 ●ミュンヘン・フィルハーモニーの打楽器奏者がテントに立ち寄られました。今晩、サントリーホールでコンサートがあるそうです。
 ●日の出村のごみ廃棄場裁判(午前中に公判?)に出られた方3名が立ち寄られ、日本の行政のやり方などについてお話ししました。
【あっきい】

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4月23日(火)
今日はほんとうに良い日和、外の作業が心持よい。
今日の横断幕は「大飯をとめろ くり返すなフクシマ」で、昨日たんぽぽで準備したのが何とか間に合いました。
縦120幅275で、下がブルー約30、上が白で約90、どんな物が仕上がるか、みんなのアイデアのよせあつめが楽しみ。
【K.T】

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4月24日(水)
朝から一日中小雨がぱらついていました。
テント前すわり込みができないので、来た方は第1テントの中に入ってお話をされていました。

4時すぎに中国から出張で来られたという壮年の男女が立ち寄られました。
金曜官邸前抗議行動のことなどもよくご存じでした。
「こういう活動(〓テントのこと)は貴重ですから、がんばってください」という言葉を残して帰られました。
【メーテル】

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4月25日(木)
ちょうどよい陽気。
今日は藤原節男さんの「再雇用拒否撤回の裁判」(高裁)の判決の日。
事前にテントに寄られ、1時30分からの法廷へ行かれた。
裁判は敗訴。テントに戻ってこられた。
テント前で藤原さんの裁判について話してもらう。
テント前で不当判決について話す藤原さん

■テントひろばで活動する藤原節男さんの裁判について
1.藤原さんは三菱重工業で28年間、原発の設計、開発に携わる。その後JNESに入り5年間、検査員として働く。
2. 三菱重工に勤務していた99年、敦賀原発2号機で再生熱交換器連絡配管に亀裂が入り、冷却材が漏れるという事件が起きた。事故原因説をめぐって会社と対立。
3. 03年、北海道・泊原発2号機で同じ事故が起きた。もし99年当時、藤原氏の事故原因説が採用されていればその事故は起こらなかっただろう。
4. 09年、泊原発3号機の使用前の検査データを上司から改ざんするよう命令された。命令を拒否し、組織的なデータ改ざんなどを内部通報。(原子力公益通報(内部告発)10.3月退職。
5. 10年8月、JNESに対して定年後の再雇用が拒否されたので、再雇用と慰謝料を求めて東京地裁に提訴→控訴審へ。
藤原さんは最高裁に上告すると語る。
【あれこれ屋】

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4月27日(土)
晴れ。
来たら、たくさんの人たちが座りこんでいました。最近多いですよ。と第1テントの方が。やはり提訴されたことで気にかけて下さる方たちが多いのでしょうか。一緒に座り込みをしていたら、さをり織りのストールをしているのを見て、「反原発はさをり織りが好きですよね」という方が。そういえば第2テントにもさをり織りの猫がいます。どなたのでしょう。
【LUNA】

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4月30日(火)
天気予報通り曇り空で薄暗い感じだが、寒くはない。
横断幕「大飯をとめろ、くり返すなフクシマ」の仕上げにテーブルを出したが、いつもの経産省のご挨拶がない。
ゴールデンウイークで係りはお休み?
【K.T】

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土地明渡訴訟不撤回に抗議する連続共同ハンスト開始

5月16日(木)10時からテントひろば前で「土地明渡訴訟不撤回に抗議する連続共同ハンスト」の開始宣言が行われた。郡山から参加の黒田節子さん、渕上太郎さん、22日12時終了までずっと参加されるSさん(去年のハンストも参加)など居合わせた10人以上の人がそれぞれの思いを語った。
ハンスト開始
▲ハンスト開始

渕上さん決意
▲渕上太郎さん決意表明

黒田さん発言
▲黒田節子さん発言▼
黒田さん絶句


報道関係者は東京新聞、共同通信社など。
その後、院内集会などに参加した方、郡山からの橋本あきさん、いわき市出身のひまわりさん、富岡町からの避難の亀屋さんなどを含め、一時は24人がずらっと並ぶほどの活況をみせた。

黒田さん、高橋さん、橋本さん
▲左から黒田さん、ひまわりさん、橋本さん

午後は次第に雲行きが怪しくなり、夕方にはポツリ、ポツリ、と雨が降り始めたため、第二テント内に場所を移した。雨が次第に強くなるなかで本日のハンストは無事に終了した。

浦辺力さん
▲雨が降る中、夜に行われた浦邉力さんの“オープンマイク”

(報告:あっきぃ、写真:あれこれ屋)

裁判のゆくえ占う鳩風船 /太郎~川柳句会のお知らせ

「ハンスト」 福島の空に届けと喰うを断ち /清航
「テ ン ト」 反骨の土台支えるテント村 /日出一
「再稼働」  出るゴミの行く場も決めず再稼働 /芒野
                
       <句会での特選句から/乱鬼龍選>

            ☆★☆ 

あなたの思いや怒りを五七五の川柳に表現してみませんか。ひとりでも
多くの方がテントに立ち寄り、句会に参加くださるよう呼びかけます。

   
国はついに経産省前テントの撤去を提訴してきました。脱原発をめざす
市民活動の交差点を担い繋がってきた「経産省前テントひろば」を守る
ため、テントひろば応援プロジェクトは引き続き「川柳句会」を開催し、
闘いに参加してゆきます。なおネットやメールからの投句はできません。

             ////////                                                
日 時: 2013年5月19日(日)14時(受付13:30分) 
会 場: 経産省前テントひろば@第2テント
内 容: ①句 会 (席題:2題/各2句吐、会場で発表)            
            選 者:乱鬼龍(川柳人) 入選句には景品贈呈        
     ②風船鳩と和もう:わかち愛×脱原発・鳩風船ぷろじぇくと      
定 員: 18名(要予約) 終了後、交流会     
参加費: 無 料。(但し鳩風船代のカンパ要請あり) 
予約先: Eメール takibinokai_poem@yahoo.co.jp(わかち)
      携 帯 ◆ 070-6472-1947(乱)
主 催:テントひろば応援プロジェクト
協 力:経産省前テントひろば
交 通:メトロ丸の内線・千代田線・日比谷線「霞ヶ関」駅
        A12出口すぐ

 :::::::::::::::::::::

次回の句会は6月30日(日)14時からです。詳細は追ってお知らせいたします。
   

テントでハンスト/ どこでもハンスト

経済産業省前テントひろばは2011年9月11日の設置以来、福島の被災者、避難者をはじめ、全国の脱原発を求める人々にとって不可欠な拠り所として機能してきました。
ところが経産省はこの切実な声を省みることなく、テント敷地の明け渡し訴訟の提訴に踏み切りました(5月23日第1回口頭弁論)。
そこでテントひろばでは訴訟の取り下げを求める不退転の意思を表明し、脱原発を願う全ての人々との連帯を表すために5月16日から21日まで連続共同ハンスト・座り込み行動を行います。

経産省前テントひろばに来ることは出来ないが、ぜひ自分も支援したいと思われる方々も多数おられることと思います。
そこで「テントでハンスト/どこでもハンスト」を合言葉に広く全国各地の皆さま、世界各地の皆さまにもこの連続行動に合わせて、お住まいの地で支援行動を起こしていただくよう、お願いいたします。
「テントでハンスト」に連帯するユニークな行動を各地で行っていただくことで、脱原発テントを守ろうという大きなうねりを拡げて行きたいと思います。

(1)「どこでもハンスト」に参加してくださる方・グループも申込みをしてください。その際、どのような形態での行動かもお記しください。
連絡先はメール(tentohiroba@gmail.com),またはファクス(O3-6206-1102)にてお願いします
(件名に「どこでもハンスト」とお記しください)。
(2)経産省前テントひろばでのハンストについての実施要項を添付でお送りします。
(3)裁判について詳細はhttp://tentohiroba-saiban.info/ をご覧ください。


***********************************
連続共同ハンスト・座り込み行動に参加しよう!
                                                   経産省前テントひろば
―実施要領―
1.目的   テントは、福島の被災者、避難者をはじめ、全国の脱原発を求める人々にとって
不可欠な拠り所です。ところが経産省はこの切実な声を省みることなく、テント敷地の明け渡しに踏み切りました。この度の連続共同ハンストは、訴訟の取り下げを求める不退転の意思を表明し、脱原発を願う全ての人々との連帯を表すために行います。

2. 日時 ・5月16日(木)10時 ~ 5月22日(水)正午まで

3. 場所 ・経産省前テントひろば

4. 形態
・参加日数などは、ハンスト期間内に参加者がそれぞれの意思と条件に応じて参加し、全体として「共同連続ハンスト」として統一します。
・ハンスト決行中の法被、鉢巻を着用(テントで用意)。メッセージボードやプラカード等は各自で思い思いのものを用意下さい。
・テントでいすを用意します。寝袋、座布団、雨具は各自ご持参下さい。

5.参加登録  ・下記申し込み用紙にご記入の上、テントにご持参下さい。テントへのメール又は電話・ファックスによってもお申し込みできます。電話も可能です。
●テント住所 〒100‐0013東京都千代田区霞ヶ関1-3-1経産省前テントひろば
●メールアドレス tentohiroba@gmail.com
●電話 070‐6473‐1947 FAX 03‐6206‐1102

参加申込み用紙はこちらをクリック

ハンスト


ハンストよびかけチラシはこちらをクリック

尚、詳細は下記のHPでもご覧になれます。

アドレス http://tentohiroba-saiban.info/ [脱原発テントと命を守る裁判]

5月3日(憲法記念日・休)のテント前青空放送で増子理香さんが訴え!

さらに、東京に自主避難されている若いお母さんでつくる「ママネット」代表の増子理香が避難の現状について訴えられました。

s-増子理香さん
▲青空放送で。
 私は福島県三春町に住んでいました。滝桜で有名なところです。自主避難してきて東京にいます。自主避難は母子避難という形が多いのですが私のところもそうです。三春町で小学校に通っていた娘も3年生になりました。
 2011年5月に避難しましたが、その時にはもう「安全宣言」が出されていました。かれました。例えば、郡山のスーパー(イトウヨーカ堂系列)では俳優の西田敏行さんが来て、丸かじりの野菜を食べるデモストレーションがされました。芸能人が来るような所ではないので、みんな来て、野菜を買っていました。学校も4月6日には普通通りに入学式が行われ、マスクをして通うという状況でした。学校の給食もはじまりました。

 5月に、最初に避難したところはインターネットで探して、個人のマンションにお世話になりました。1年ほどしてから、雇用促進住宅に移りました。
 私たちのように自主避難者は点在し孤立もしていました。怒りとか不安を話しあったりも出来なかったので、私はすぐ、6月頃に個人的にブログをつくって発信していきました。ブログで子どもを守るために避難したお母さんたちと、もちろん福島では全く知り合うことがなかつたわけですが、つながりました。そこからママネットははじまりました。

------------- ”つながろう!放射能から避難したママネット”
  つながりたい方、なにかを行動にうつしたい方、それぞれの想いを私たちと共有しましょう!hinan_mamanet_tokyo@yahoo.co.jp
事務所  〒101-0051 東京都千代田区神田神保町2-28 日下ビル4F
     NPO法人 しんぐるまざあず・ふぉーらむ内
-----------
 当時は、つながれた喜びがありました。福島県中のいろんな地域のお母さんがいまして、その土地土地の3.11の状況を生々しく話すこと「なんだったんだ、あれは」と語ること、そういうものでした。
 その後、子どももおおきくなって行きいき、お腹いる子どもをどこで生んだらいいのか、その間、上のお姉ちゃんは誰に預かってもらったらいいのかとか、幼稚園や学校に入るのに住民票が福島にあるならダメだと言われた、どうしようとか、お母さんが働いてないから学童保育には入れてもらえないとか、そういう悩みや行動を母子避難のお母さんたちは一人で抱えなくちゃならない状況でした。
 いま現在は、一つには避難生活に慣れてきたと言うことがあります。それで、妥協や折り合いを付けながらやっています。個別の悩みは、地域とか家庭でそれぞれあるので共有できない悩みも多いです。認知症のおばあちゃんを福島においてきてしまったという悩みとか、そういうことまでわかりあうということにはならないということに直面しています。

s-甲状腺検査
▲甲状腺検査通知
 子どもたちの健康、甲状腺検査などは受けています。いまは3.11に住民票が福島県にあった人、異動者登録がしてある人には避難先にも行政から「お知らせ」が来ます。
 私は3月27日に三春町に帰って受けてきました。やはり、避難対象地域の人たちが優先されるので、自主避難の人たちにはどこの病院で受ければいいという知らせがなかなか回った来ませんでした。知らせが徹底せず、新幹線代2万円とかのお金を出して福島に帰るのも大変でした。
 私たちはママネットという枠を越えて、「福島避難者子ども健康相談会」を行っています。これは「放射能被害から子どもたちを守る小児科医ネットワーク」が、福島から避難してきた子どもに限定して、2月と7月にやっています。今度は7月は亀戸と西東京市でやります。先生がいらっしゃった方たちのお話を30分くらい、聞いて下さったり、弁護士さんが賠償の相談にのって下さったりしてもしています。

 「私は避難して来たのです」と言えない人たちも多くいます。差別の問題だと思います。福島ナンバーをつけている車に石が投げられたとかホテルの宿泊拒否がされたとかいうことは本当にあります。私の娘が転校したときに「福島に帰れ」と言われたりしまとした。子どもの世界でもあるそうした差別が、その子たちが大きくなったときに、取り越し苦労であってほしいんですけど、結婚や出生の問題にかかわったとき、悩むと思います。そういう悩みをいまから除去してやれるのならやりたい。

 東京に来て良かったと思ってています。一言でいうと、3.11直後の福島にいて、そのときに親として子どもにしてあげられることは避難しかなかったんです。いま福島にいる親御さんの中には、なにもしてあげられないことですごく自責の念に駆られている人もいらっしゃると思います。私はたまたま夫がが了解してくれたからです。ラッキーだった。ただそれだけです。「避難してもなにもなかったね。福島に住んでいる子どももなにもなかつたね。避難して来てバカだったね、取り越し苦労だったね」と言えればそれでいい。でもいまはそうではない現実がみえているので、これ以上何かが起きない方がいいなという思いがあります。

 いま私が問題に思っていることは当事者にとっては2年しかたっていない。だけれども支えてくれる人たちにしたら、もう2年もたつたという感覚のギャップが非常にあるということです。2年たってもなにも変わっていないなとという思いもあるし、これからだという思いもある。2年というのが一つの区切りになっていろんな支援が終わってしまったり、県のなかでも助成が終わってしまったり、賠償ですら今回で打ち切りの話がされたり、なにか、どんどん「収束」に向かって行く、なにもなかったかのような気がしている。でも被害者はまだいるんです。
 そしていまやっと避難できるタイミングの人たちが福島から出てきて、今家を探していらっしゃる。だから家を提供して下さる方がいたら手をさしのべてください。福島では借り上げ住宅への助成は去年の11月26日に打ち切りなんです。ですから手をさしのべて下さる方、情報を寄せて下さる方は、子どもたちをドンドン外に出して下さる秘策を出していただきたい。
 私たち避難者はまだここにいます。そして身の振り方を選べずに苦悩の中にいます。私自身がこれからどうするのといわれたら、さあどうするかねーという状態です。家族の中で夫ともなかなか結論がだせない問題です。
 私たちはまだここにいるんだ!避難者なんだけど避難生活ではなく、2年間も毎日を、みんなと同じように送っている。子どもは学校に行き、大人になって行っている。大切な一日一日なんです。避難生活だからと小さなことを我慢したり、ちょっとうつろになったりしている。まだ2年で、日々の生活を元にもどしたいと思っていますが、いつになったら戻せるのか。
 

山羊
▲山羊 2012年10月26日のブログ参照
 テントの撤去問題ですが、私も2011年10月末の「原発いらない福島の女たち」の座り込みに参加しました。テントがあるおかげで、福島を捨ててきてしまったという思いが、ここにくることによって福島の女たちはつながったしつながれる。福島につながりが持てている避難者なんだという思いがもてます。黒田節子さんとだきあったり、武藤類子さんと涙を流したりする。そういうことがこのテントを介してやれたと思っています。
 それから2012年の10月に私たち避難ママで、支援法の実施の要望で復興庁(赤坂)に要請に行き、その帰りに小さな子どもたちを連れて、金曜行動の日だったんで、首相官邸前とここにきました。ここに10時半くらいまでいたんです。山羊がいて遊んで楽しかった。「テントは知っていたけれど子どもたちがいてこれなかった。初めて今日来て良かったわ。うれしいー」と言ってテントデビューして下さった避難ママも居て、ここがあることによってつながる、そういう思いはとても大事なことだと思っています。存続してほしいと思います。
ママネット


(文字起こし・写真:あれこれ屋)

テントひろばでのイベントのお知らせ~からだワークと茶話会

テントは5月23日に裁判を控えていますが、そんな中でも様々なイベントを行っています。
今回は来週開催される、ボディワークと茶話会を組み合わせた会をご案内させていただきます。
凝り固まったからだと頭をゆるめて、福島のこと、明日のこと、いろいろ語り合いましょう。

テントひろばで会いたい!特別企画
「からだノビゆるワーク & 霞ヶ関スキップ & 福島と共に生きたい茶話会」


からだを解き、霞が関でのスキップ…心もからだも驚く程に自由になれる。

そしていま様々に感じ考えていることを交換する時間をテントひろばで。

「3.11被災者を支援するいわき連絡協議会」にお世話になり、いわきの仮設でからだのワークを月一回ほどしています。

福島のことをはじめ私たちの生活のことなど、東京で東京の人とも交流し交感できたらと思います。

興味のある方、どなたでもご参加ください日時:2013年5月15日(水)

第1回目 14:00~16:00

第2回目 18:30~20:30

※1回目と2回目は同じプログラムです。

場所::経産省前テントひろば・第2テント
(メトロ千代田線・日比谷線・丸の内線「霞ヶ関」A12出口すぐ)


※雨天の場合は、テント内でのワーク&茶話会のみ行います。
※スキップのできる服装でお出でください。※予約は不要です。





企画:菊地びよ(体話舎主宰、舞踊手。「人それぞれに心地よいからだ、それぞれに翼と根の踊り・人生の物語」をキーワードにからだのワークや踊りの時間を持っています。)

問合せ:090-8342-8558



経産省前テントひろばからの抗議声明

経産省前テントひろばからの経産省と警察による弾圧に抗議声明です。
転送・転載を歓迎します。

////////////////////// 声明 ////////////////

声 明
                           経産省前テントひろば

 2013年5月10日、丸の内署は、テントスタッフの一人Bさんを暴行の容疑で逮捕した。
 同日14時30分頃、テント放送の準備が行われている時、経産省の金子洋悦(この度の訴訟における原告指定代理人のうちの1人)が、ビデオカメラをもった氏名不詳の男C、他とともに注意に現れた。Bさんは防犯カメラの台座(コンクリート製)に腰掛けて何気なくその模様を眺めていただけであるが、Cは執拗にBさんの顔を至近距離から撮影し続けた。Bさんは当然ながら、肖像権の侵害だから止めるように、と何度も要請したにもかかわらず、顔の数センチまで接近して撮影を続けた。
たまりかねたBさんは、手でカメラをどけながら「あんたも、こうやってなでられたら嫌だろう」とCの顔をなでるようにしたとたん、Cは「暴力だ!」と突然叫びだし、別の職員が警察に緊急連絡し、丸の内署、警視庁本庁から公安刑事を含む総勢約50名ほどの警察官が駆けつけた。
 警察は私たちと経産省職員の間に入って、双方から事情を聞くというような行動となった。もちろんBさんを初め現場にいた仲間Dさん等は、いま起きたばかりの事態を説明した。ややあって、事態は収束したのであるが、最後に刑事はBさんに「丸の内署まで来て、事情を説明してほしい」とBさんに要請。Bさんは、自らやましいことは全くなかったので、何らの疑いも持たずに事情聴取のために丸の内署に同行することになった。
その際、Dさんが「一緒に行こうか」とBさんに話し掛けたが、Bさんは「大丈夫ですよ」ということであったので、Dさんも全く大した問題ではないとの判断から、Bさんは一人で丸の内署に行くこととなった。
 その後、帰還があまりに遅いので、気をもんでいたところ、救援連絡センターから連絡が入り、Bさんが逮捕されたと情報を得た。
 Bさんの容疑は暴力行為ということだが、ともかく直ぐにDさんを含む2名が丸の内署に事情を聞きに出かけた。捜査中ということで埒があかなかったが、ともかく逮捕されていることは確認された。合わせて、Bさんはペースメーカーをつけており、心臓病の関係から、病院にいっているということだけが確認された。
 事実は、Bさんが超至近距離からの執拗な撮影を拒否し、それに抗議し、「あんたも、こうやってなでられたら嫌だろう」手を挙げた時たまたま、その手がC職員の顔に触れただけである。顔を叩くとか殴るとかとは程遠い行為である。C職員は大仰に騒ぎ立てて警察を呼び、文字通り事情聴取ということでBさんを丸の内署に同行し、そのまま逮捕したのである。容疑は暴行と器物損壊ということである。
 そもそも最近の経産省職員のテントに対する対応・嫌がらせは敵愾心丸出しである。すでに「防犯カメラ」と称する監視カメラを2台もテント付近に据え付けてあるのに、ハンディカメラによる執拗な撮影は挑発的で目に余るものがある。また、経産省は、私たちの請願権さえ認めようとしていない。請願書を、請願者を一人に限定して、職員に門前で受け取らせるなどという礼を欠く卑劣な行為をした。

 経産省職員による執拗な撮影行為は、個人の肖像権を侵す犯罪である。
○直ちにこのような犯罪行為を止めよ!
○今回の「(土地)明渡訴訟」と連動したかのような、挑発行為を一切止めよ!

 警察は、経産省の職員による犯罪行為を放置し、経産省の職員の一方的な証言に基づいてテントスタッフを逮捕した。これは不当な逮捕であり、テントに対する不当で露骨な弾圧であることは言をまたない。
○警察は不当な弾圧を止めよ!Bさんを直ちに釈放せよ!
○警察は、私たちと経産省との係争に不当に介入するな!

○東京地裁は、Bさんの拘留延長を絶対認めてはいけない!

  2013年5月12日

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佐藤幸子さん「テントを守ろう」と訴え!

5月3日(憲法記念日・休)のテント前青空放送で佐藤幸子さん「テントを守ろう」と訴え!

青空放送のサイトhttp://www.ustream.tv/channel/tentcolor



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5月3日の青空放送は「反原発で行こう」のコーナーで、横須賀市議・山城保男さんが横須賀を母港とする米海軍・第七艦隊の原子力空母「ジョージ・ワシントン」による核の危険と核汚染状況などについて話されました。

続いて「福島から世界へ」のコーナーで、佐藤幸子さん(子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク)が福島の現状や第二テントを建てたいきさつなどについて話されました。
さらに、東京に自主避難されている若いお母さんでつくる「ママネット」代表の増子理香が避難の現状について訴えられました。

佐藤さん
▲佐藤幸子さん

◆佐藤幸子さんの話
「2011年9月 アメリカから帰るときに寄ったテントから女たちの行動は大きく展開し始めた」

 2011年の10月末に「原発いらない福島の女たち」がテント前で座り込みをしました。その当時、座り込みをしたいと思ってもどこに座り込めばいいのかわからない状態でした。座り込みにはたくさんの人たちが集まり、毛糸ヒモ(玉)づくりとか話し合いとか、経産省交渉をしました。手の指でつくった毛糸のヒモを持って経産省包囲をしました。包囲できるかな、つながるかなと心配でしたがつながりました。毛糸のヒモは玉にして今テントの中にあります。
 続いてすぐ「全国の女たちの行動」があり、さらに「とつきとおか」の行動がありましたから、10月の座り込みはテント活動の原点になりました。

毛糸玉アイリーン
▲アイリーンさんと毛糸玉

 私は2011年9月22日に野田首相が「国連演説をする」というので野田首相を追っかけて泉かおりさん、アイリーンさんたちとニューヨークに行き、原発やめろと訴えました。その帰り、テントに寄りました。後から知ったことですが、そのときあった第一テントは20日間のレンタルだったそうです。福島の女たちが座り込みをしたいと言ったら、もう一つ建てようとなりました。こんなに長くテントが続いているのは女たちの座り込みがあったからこそと言えるでしよう。それがいま危機を迎えてします。
「国有地」とありますが「国民の土地」ということでしょう。じゃまになってるわけではないでしょう。みんなで知恵をだしあってなんとかここを続けて行きましょう。

 いま私は福島市のマンションに住んでいます。原発事故がおこるかも知れないと思って、「核シェルター」、避難場所としてマンションを確保しておいたのです。
3.11から2年たって、百姓なのに、川俣町で自然農をやっていたのに、畑仕事田んぼ仕事はしていません。本来人間がすべき生活のスタイルをずっと続けてきたのに、そういう生活が一番被害を受けたってことに怒りがわきます。ただ、今の時点では命をまることが最も大事だという思いで子どもたちの避難もさせました。でも自然の中で土に触れながら生活するというのが本当だということをこの2年間でつくづく感じています。
 川俣町は計画的避難区域に指定されているのは一部なので、その人たちが指定されてない町内の他の地域に仮設住宅をつくって住んでいます。
去年の春で0.6マイクロシーベルト/h、除染をして、はかりましたら、0.38でした。除染した土などは地域のなかに仮仮置き場があったのでそこに移動しました。汚染土などを積み上げた場所の線量は半端じゃない。みなさん一度見に来てください。除染しても置く場所がないんです。また、除染したらそこに新しく土を入れなきゃダメなんだけど、それには山を崩して土をとるんですが、そういう場所が早々あるわけではなく、業者の人はその確保が大変だと言っています。

 子どもたちの未来のことを考えたら、子どもたちを被曝させないあらゆることをしないといけない。除染に使うお金があったら子どもたちの避難にまわしてほしい。避難を受け入れると言っている自治体、行政はたくさんあるんです。ところが国は福島県から要望がない、地元の要望がないことはしませんと言う。福島県は多少の放射能は影響はないと言う。甲状腺検査の結果をみてもわかるように3万人のうち10人に甲状腺癌が出ているというのに、甲状腺癌はすぐ死ぬわけではなく、治療できるからと言って、すべてそういう方向へもっていこうとしています。

 福島の子どもたちは内部被曝をしているのに、学校給食で福島県産の食材を使うと助成金が出る。福島の農業を守ると言って。これからの子どもたちの将来を考えるとこういう状態がいつまで続くのかと思います。せめて1ケ月間でも汚染されてないところに連れて行って、野外活動、保養をさせたい。そういうシステムをつくることはすぐにでもできるんじゃないかなと思います。行政は福島県内の南会津、西会津など放射線量が低い地方に移動をするならば助成金を出す。1泊5000円とか予算もとっています。ところがそれに取り組む学校がないのです。なぜか。学校そのものが被曝がないことにするということと、先生たちが生徒を引率して長い期間移動教室をやるという経験がない。4泊5日の学校行事でも大変だと言うことです。やろうと思えばいろいろと方法を考えられると思いますが。やろうとしてない。去年初めて学校単位で新潟県に移動教室をやりましたが、2泊3日でした。

Image1佐藤さんの本の紹介
▲佐藤さんの本の紹介

 『福島の空の下に』という本を出しました。記録をまとめた方がいいと言われて、これまでの経験をについて書きました。テントの行動も書きました。

国会正門前で集会
▲女たちは国会正門前で集会をした

デモの先頭の泉さん(浴衣
▲デモの先頭の泉さん

 私がこのテントに来ましたとき、一緒に行動したShut泊の泉かおりさんが3月7日に亡くなりました。彼女にすすめられなかったら私はニューヨークなどに行くことはありませんでした。また彼女は「国会正門前で行動しなかったら意味がない」と言って、正門前で行動する先鞭をつけました。がんばったからです。去年、泊原発再稼働阻止で北海道に行きましたが、その時はもうドクターストップがかかっていたんですが、そのときも女が立ち上がらなければだめだと言っていました。泉さんが亡くなられ日に、私の初孫が誕生しました。かおりさんの魂が孫に移ってくれたらと思います。その孫とともにこれから歩んでいきます。孫の名前はあゆむです。娘は酒田に避難しているのでいままで会えなかったのですがこの連休で福島に来て、孫にも会えました。

 このテントがますます維持されてくことです。
 テントに来ると原発いらないんだという人がいつも来てて、元気をいただきます。私は福島にいると私がみんなにエネルギーをあげなきゃいけない。でも放電しっぱなしだと大変。それで充電のためにここがあると思っています。このテントをみんなで支えていかなければならないと思っています。福島は過酷な状況におかれてしまいましたが、それを伝えて世界中の原発を止めるために私はどこにでもいつでもいきます。子どもの命を守る。それ以外のことは私のなかにはありません。

(報告・文字起こし・写真:あれこれ屋)

テントひろばでのイベントのお知らせ~上映会とオープンマイク

テントで会う「モヒカンのお兄さん」こと浦邊力(うらべ・ちから)さん企画によるイベント2つをお知らせいたします。

◆しねまでてんと番外編…5月12日(日)18:00~(第2テント)

原発を中心に、世界で起きている様々な社会問題をテーマにDVDを上映しています。
今回の上映作品は、当日までのシークレット。
いってみれば、ミステリーツアーのような企画です。
「昨年公開されて話題となった原発事故を巡る作品」がヒント。
上映終了後は、テントで交流会を予定しています。


◆オープンマイク~霞ヶ関の中心で愛を叫ぶ…5月16日(木)18:00~(テント前)

浦邊さんが一昨年から毎月第1・第3木曜日に開催しているテント前ロックコンサート。
「今回はギター、ベース、ドラムセットも含む大がかりなバンドセットで、激しいパンクバンドも出ます。
しかも、一組は若いパンクバンドの登竜門であるライブハウスの店長の率いるバンドです。
もう一組は初期からテントにも関係してるさっちゃんのバンドです。」(浦邊)

折しもこの日は、テント明け渡し請求に抗議する1週間の「連続共同ハンスト」の初日に当たります。
「観客もいつも以上に来ると思うので、テントの戦いを盛り上げるようにします」(浦邊)



※どちらもお問い合わせは、chikarasongs@hotmail.com(浦邊)まで。

福島の空に届けと喰うを断ち~4月28日川柳句会報告

4月28日は五月晴れの日曜日。ここちよい風も吹いて気持ちのよい一日でした。
上映と句会合わせて15名の参加。右翼の街宣車が1台通り過ぎたようですが、
気が付かない程でした。(あっきぃさんとタッチーさんが映画から参加)

映写技師はレイバーネットメンバーの内気な青年・R君。トラブルになったらさっぱ
り対応できず。そこへ「ホワイトナイト」のHさんがまたまた現れて上映ができた
という次第。青年は上映が始まると終始ご満悦。誘ってよかった。現在失業中。
投句者の「甲斐猫・のら」さんは、おにぎり・大稲荷・大根漬け・野菜の漬物をいっ
ぱい作って持参してくださった。若者たちは大いに喰べて満足そうでした。
第1テントにもお裾分け、句会は喰会となりました。のらさんに感謝。

さて句会ですが
席題は「ハンスト」「汚染水」が出題されました。選者は乱鬼龍さん。
5/19取材の下調べにきた清航さん(柳号)に「川柳は聞くより吐くもの」と言うと、
さすが若者ですね、素直に投句に参加。なんと初めてなのに特選。


 「ハンスト」
    特 選: 福島の空に届けと喰うを断ち /清航
    秀 句: ハンストを起こして止める再稼動 /エチゼンクラゲ
         止めるため燃やせ怒りのエネルギー 芒野
 ハンストの気持ちわかるか経産省 /草地
          水呑みて義憤喰らいて生きてゆく /RAIPATI 
          テント前ハンスト起こす勇気充つ /エチゼンクラゲ
ハンストのいのちの叫びテント前 /わかち愛

  「汚染水」
    特 選: 汚染水処理もできずに再稼働 /エチゼンクラゲ 
         汚染水流れ流れて死の地球 /宗内
         仕方ない心に汚染染みていく /芒野
         汚染水流すな地下に泉あり /落葉
         いつまでも反省なくば漏れつづけ /RAIPATI
         汚染した山河眺めし子の背中 /清航
         死に向かう豊饒の海汚染水 /わかち愛

句会の後、DVD「鶴彬 こころの軌跡」を上映、感想を聞いて終了。
   第2次交流会は内気な青年もカラオケに行ったようです。

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    DVD「鶴彬 こころの軌跡」(90分・神山征二郎監督・2009年)
  この映画は鶴彬生誕100年を記念して2009年に制作されたものです。
          
            手と足をもいだ丸太にしてかへし
            胎内の動き知るころ骨がつき

  など29歳でなくなるまでに約1000句を残した。治安維持法で逮捕され
  る原因となった反戦川柳のほか、労働を詠んだ多くのプロレタリア川柳
  がある。
  いま侵略戦争を反省せず、憲法改悪、戦争する国をめざす安倍内閣で
  すが、鶴彬が生きた時代が再び来ないようにと、この映画は警告してい
  ます。
  
(報告:わかち愛)

人見やよいさんの講演「キューバの奇跡」

人見やよいさんの講演「キューバの奇跡」

原発いらない福島の女たちのメンバー、郡山在住の人見やよいさんのキューバについての講演を聞いた(第11回女たちの一票一揆 院内集会@参議院議員会館講堂、4月25日)。パワーポイントを使い、とてもわかりやすく生き生きと話してくれた。
人見さんは数年前に「Salud!ハバナ」(2006年、33分、DVD)というキューバの都市農業についてのドキュメンタリーを見て、とても感動。ぜひキューバに行ってみたいと思うようになった。そして2012年11月22~29日のキューバツアー(「地球村」主催)に参加した(見出しの後のかっこ内の数字は該当箇所の録画の時刻を示す)。
まずキューバについての簡単なデータと歴史の紹介(0:03:12)。キューバは面積は日本の1/3,人口は1/10, GDPは1/100。数字だけ聞けば、誰もが貧しい小国だと思うだろう。
コロンブスが1492年に上陸したあと、1509年にスペインの植民地となり、スペインの統治は1902年の独立まで続いた。その後、実質的にアメリカの支配下に入った。1956年にフィデル・カストロとチェ・ゲバラによる「キューバ革命」が成功し、アメリカから実質的に独立、1961年には社会主義宣言をした。脅威を感じたアメリカはキューバ政権の転覆を画策。1962年「キューバ危機」。1991年まではソ連から手厚い保護を受けていたが、ソ連が崩壊し、物資の輸入が途絶えた。アメリカからは経済封鎖をはじめ様々な攻撃を受けながら、現在に至っている。
 このような予備知識を知ったあと、人見さんがキューバの特色を8つにわけて説明してくれた。
①キューバの町並み 映画「アメリカン・グラフティ」の世界(0:06:43):キューバの首都ハバナには日本からはトロント経由で入った。約15時間のフライトを経て到着した夜の空港はとても暗かった。
目ぬき通りには植民地時代の名残りで、立派な石造りの建物が並んでいる。
アメリカによる経済封鎖のためキューバにはモノがない、だからモノをとても大切にする。モノを捨てないでリサイクルを繰り返す。その実態に触れ、「経済封鎖」もよいかも、と思わされたほどだったという。その最たるものが使い捨てライター。ガスの補充は2ペソ(6円)、修理は3ペソ(9円)。店で売られている調味料も使用済みのペットボトルに入れて販売。野菜の種は手作りの紙袋に入れて。もちろん、モンサント社の種は入ってこない。
 車も修理を繰り返して使っている。ハバナを走っている車で一番古いのは1930年製。スピードメーター以外は計器が失くなって穴だらけの代物だ。
②キューバの農業 都市型自給自足農(0:15:42)キューバでは輸送、冷蔵のコストを省くため、都市型有機農業の普及に力をいれてきた。石油、農薬もないので有機農業の研究がさかん。農薬を使うとその畑は35年間、使用禁止になる。農園の横に直売所がある。植民地時代は野菜しか食べられなかったので、国民のあいだには肉に対するあこがれが強かった。しかし、カストロはじめ政府が熱心に国民を説得し、今では野菜料理が普及。スライドに出てくる野菜料理はどれもとてもおいしそうだった。
③キューバの防災 巨大ハリケーンにも死者なし(0:21:50)。キューバはハリケーンの通り道だが、巨大ハリケーンに襲われてもアメリカのように死者は出ていない。危険回避のための防災のステップがしっかり決められているのだ。災害が起きたら、災害 → 回復 → 予防 → 準備というサイクルで対応し、災害対策が進歩するように、このサイクルをらせん状に積み重ねて行く。災害で避難が必要なときは、まず弱者を優先し、ペット、家畜、獣医さんも一緒に避難する。
「災害が起きたときには、真っ先に最高責任者が現場にかけつけて現状を把握し、対策を発表します。」「最高責任者の決定は誰も邪魔出来ません」。人見さんが「キューバの政府は国民にウソをつきますか?」と質問すると、「そもそも災害はごまかせないし、国民を騙すことはできません。事実をしらせないことは罪。ウソをつくことは二重の罪です」と政府の防災担当フェリペ陸軍大尉。わたしも日本の現状を思い浮かべながら、人見さんの話を聞いた。
④医療システム 必ず診てもらえる安心システム(0:27:08)キューバではファミリードクター(約13,000)→ ポリクリニコ(地区診療所、約500)→ オスピタル(総合病院、約220)→ 医科大学・研究センター(医科大学25校)というピラミッド型の医療制度になっている。初期の段階で治すことが基本だ。医療費はすべて無料。心臓移植でも無料でやってもらえる。キューバでは医者と患者の関係が対等だと感じたそうだ。また、医師の給料も特別高くないこともその一因ではないか、と言う。
⑤キューバの教育 大学も留学も無料(0:33:25)キューバでは教育費も無料だ。教科書も無料で、大切に使って次の下級生に引き継がれる。制服は有料。訪問した学校の校長先生は一番大事な授業は「国語」と「歴史」。それらを通して自分たちの国の成り立ちを知り、国を信頼するようになるからだ。いじめ、引きこもり、不登校もない。もしあったとしたら、それはその子だけの問題ではないはずだから、その子を取り巻くすべての要因を調査、聞き取りして解決する努力をしますというのが、校長先生の答え。
⑥キューバの観光 エンターテイメントで外貨獲得(0:36:30)キャバレー・トロピカーナという所でツーリスト向けのショーをやっている。入場料は12,000円。キューバ人なら1年分の給料に当たる。その収入がキューバ人の生活に役立っている。いつでも、どこでも歌がある、というのがキューバの印象だったそうだ。
⑦キューバの老後 ゆりかごから墓場まで(0:39:25)スペイン時代に建てられた、どっしりとした教会が現在では老人施設になっている。そこで会ったお年寄りたちはとても明るく、しあわせそうだった。ツアーの一行を案内してくれたのも入居者の女性だった。自分の部屋にも気軽に案内してくれて、人見さんは社会主義社会に対する考えが変わったという。
⑧まとめ 偉大な指導者と賢い国民の国(00:40:04)
―憲法の違い:キューバの憲法では「国民は最高のサービスを受ける権利がある」と謳われている。日本では「国民は健康で文化的な最低限度の生活を送る権利を保障する」。なんという違い!
―思想の違い:資本主義と社会主義
―ラテンの明るい気質(キューバ人 一生、恋愛します)
―選挙の違い:キューバの投票率 平均95%、国会議員は一部有償、地方議員はボランティア、立会人は小学生の男子と女子。
資本主義では限りあるパンのうち、いかに多くを取るかが重要であるが、社会主義ではここにあるパンをいかに配分するかが重要だ。人見さんはキューバは社会主義でありながら、民主的だと思ったという。「キューバは凄い国だった。でも日本も変えられる!私たちがチェ・ゲバラになりましょう!」と参加者に呼びかけた。
谷田部さんたちが福島でたった3人で聞いた人見さんの話。一票一揆の集会で聞くことが出来てよかった。集会に出ることが出来なかった方はぜひ、録画を見てください。
http://www.youtube.com/watch?v=GOH_BI9jF_o

参考資料:
高木善之「キューバの奇跡 孤島に生まれた幸せの国」2013年1月、NPO法人ネットワーク「地球村発行 250円(人見さんが参加したツアーの主宰者による報告)

(報告:あっきい)

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原発いらない女たちのテントひろば

Author:原発いらない女たちのテントひろば
「未来を孕むとつきとおかのテント行動」を引き継ぐ新ブログにようこそ!

「原発いらない女たちのテントひろば~福島とともに」は
東京・霞が関の「経産省前テントひろば」を拠点とした、女性による脱原発・反原発のアクションです。
 年齢もバックグラウンドも様々な女たちが、福島原発事故に対して立ち上がった「原発いらない福島の女たち」につながろうと集まって来ました。
 それ以来、つねに新しい仲間を迎えながら、「原発を止めたい」「子どもたちを守りたい」という思いのもとにテントを拠点に多様な活動を続けています。
 生きること、暮らすこと、命をつなぐこと。小さく、ささやかなものへの眼差しを大事にして、「原発」という強大な構造を変えて行けることを固く信じて。
 このブログはもう一つの「テントひろば」。誰にでも開かれた、語らいと学びと交流の場です。世界中の女たちに呼びかけます。
「強く、そしてしなやかにつながっていきましょう!」

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