原発いらない女たちのテントひろば~福島とともに

余りにもお粗末首相に地も震え・8月の川柳句会

8月11日、猛暑の中の句会。席題はまさに「猛暑」と「地震」
座り込みにみえた人の参加もあって8名になりました。
選者はいつもの乱鬼龍さん。
最近若い芒野・くさちふ・エチゼンクラゲさんの活躍が目立ちます。

句会
  

  <猛 暑>
  特選: 激化する気候地球に怒りあり /芒野
  秀句: この夏の電気不足はどこへやら /くさちふ
      さよならの言葉あげたい猛暑さま /乾草
      フクイチは凍土作戦猛暑中 /エチゼンクラゲ
      これほどの猛暑にめげず脱原発 /わかち愛
      軒しのぶ風鈴団扇かき氷  /わかち愛

  <地 震>
  特選: 余りにもお粗末首相に地も震え /落葉
  秀句: 原発は無理だよ地震列島日本に /乾草
      日本国地震活動期に入る /エチゼンクラゲ
      緊急時地震速報空回り /エチゼンクラゲ
      汚染水地下に流すななまずが怒る /芒野
      地震火事おやじがなくて放射能 /わかち愛

  -----------------
     9月の句会は9月29日(日)14時からです。
  
   <もうひとつのお知らせ>
  9月11日はテントひろばの2周年ですね。
  これを記念して乱鬼龍さんが「脱原発扇子」にテントを詠んだ川柳を
  筆書きしてくださいます。(2013・9・11記)が入ります。
  プログラムの動きで何時になるか判りませんが、テントひろば界隈
  でしょう。カンパはテント裁判費用に充てます。

(報告:わかち愛、写真:芒野)

「テントの歌」

毎週金曜日の官邸前抗議行動のあと、テントでは帰途につく人々に疲れた喉を潤してもらうよう、飲み物を提供している。夏は冷たいものを用意しているが、このところ、金曜日の第二テントには現物の差し入れが続いている。自然農法のきゅうり・なす・ゴーヤ、冷やしたトマト、手作りの生姜ジュース等々。みなさんの心のこもった差し入れはきゅうり、トマトなどはその場で提供、ほかのものは持って帰っていただいたりしている。
とりわけ異色な「差し入れ」は日音協(日本音楽協議会)の方がテントのために作ってくださった「テントの歌」だ。日音協の皆さんは、首相官邸前に続く茱萸(ぐみ)坂の途中で美しい歌声を聞かせてくれているグループ。レパートリーはメンバーのオリジナルのもの、替え歌など。その皆さんが先々週の金曜日、金曜行動の終わったあと、テントひろばまで坂を降りて来てオリジナル・ソング「テントの歌」を歌ってくれたのだ。今週もまた来てくださった。こちらの人手不足で動画を撮ることが出来なかったが、まわりにいた人々に配られた楽譜をアップしておく。
なお、YouTube で日音協の皆さんの歌声を聞くことが出来るので、関心のある方はどうぞご覧ください。

テントの歌

強制捜査はまだか!! ~告訴受理から1年を迎えて~いわき報告6

海渡雄一、保田行雄両弁護士からの報告のあと、1時から始まった集会も終わりに近づいて来ました。
録画:https://www.youtube.com/watch?v=BN62JA4haq0
(数字は録画の開始時刻)



合唱「我等ゆるがず」(2:46:49)
歌唱指導:菅野ゆう子さん、 キーボード:菅野さとみさん
「これまでにこの歌をうたったことのある方もいらっしゃると思いますが、この歌詞はきのう出来たばかりなんです。原曲は黒人霊歌です。この歌を歌わなくて済むまで、歌い続けて行きたいと思います」。

1.われら ゆるがず
われら ゆるがず
水辺に立てる木のごとく
われら ゆるがず
2.未来への道
原発許さず
水辺に立てる木のごとく
われら ゆるさず
3.生命(いのち)を守ろう
  力をあわせて 
  水辺に立てる木のごとく
  われら ゆるがず

楽譜


集会アピール 佐々木慶子さん(2:53:21)

福島県民1324人が、苦悩の中から声を挙げた告訴の受理から1年の月日が経ちました。
私たちは、続いて立ち上がった第二次告訴・告発人と合わせて14716人の大告訴団となりました。
そして、今日まで数々の行動を重ねてきました。
集会、デモ、地検包囲、東電抗議、全国署名、証拠資料の提出…。
日本中の目がこの事故の責任追及に向けられ、検察の起訴を待ち望んでいます。
しかし、何度も何度も私たちが要求した強制捜査は未だに行われず、起訴もされません。

佐々木さん

福島の事故の被害は甚大です。
失われたたくさんの命、家、生業。
引き裂かれた家族や地域、ささやかな楽しみ。

その被害は今も続き拡大しています。
海へ空へ放出され続ける放射能。
溜まり続ける汚染水。
山積みされる除染土。
警戒区域の再編、補償の打ちきり、促される帰還。

子どもたちの甲状腺癌の多発。
原発や除染作業員たちの被曝と危険手当の不払い。
あえて、たなざらしにされてきた「原発事故子ども・被災者支援法」
そして原発再稼働、海外への輸出。

曖昧にされている事故の究明、なされない事故への責任追及は更なる悲劇を生んでいきます。
このような事故を二度と繰り返さないために、誰かの犠牲を強いる社会を変えるために、責任を負うべき人々には民主主義のしくみの中で過ちを償ってほしいのです。
おびやかされる命、暮らし、未来を前に私たちは諦めるわけにはいきません。
人としての尊厳を取り戻し、地球に生きるあらゆる命への責任を少しでも果たすために、分断の闇を乗り越えともに歩んでいきましょう。
2013年8月4日
福島原発告訴団『強制捜査はまだか!!~告訴受理から1年を迎えて~』集会参加者一同

閉会挨拶 副団長 佐藤和良さん(2:57:50)

佐藤さん

どうも皆さん、長時間ありがとうございました(拍手)。
今日は福島県内をはじめ、全国各地から告訴・告発人が300人を超えて、
この会場に集まっていただきました。
重ねがさね本当にありがとうございます!(拍手)。
政府、そして国家権力の一部であります検察が今、この福島原発告訴団の
この告訴をひねりつぶそうとしております。
しかし、わたしたちは負けない!と、こう誓いました。
しかし、あきらめないということは、大変きびしいですよ。
あきらめない闘いをどうつくって行くのか。
全国で風化が進んでいるんですね。風化が進んでるってことは、
国家をあげて福島原発事故はなかったかのように、原発の輸出やら、
国内の再稼働やら、一足飛びにこれを大車輪でやろうとしている訳です。
これと抗って、わたしたちが今日からまた一歩一歩、前に進むんですから、
なかなか大変であります。
皆さん、目尻を決してください。
我々は、福島地検、そして東京地検にむしろ旗を立てて、
攻めるわけではありません。
マスコミは8月のお盆ごろに不起訴にすると言ってるそうです
(会場からの声:「なんでわかるんだ?」)。
それはおそらく検察の上層部が流している情報だと言われております。
我々はお盆の頃は少しじっくり構えて、この秋に攻勢をまたかける
という決意をしっかり、今日は確認していただきたいと思います(拍手)。
みんなで、今の「我ら ゆるがず」という言葉どおり、
ゆるぎない決意をもって、勝利を勝ち取るまでガンバりましょう!

このあと、会場からいわき駅前までデモを行なって、長丁場だった集会は終わった。

デモ先頭

2012動画 023

2012動画 026


(まとめ:あっきい  写真:あっきい、nomorefukushima2011の動画より)

強制捜査はまだか!! ~告訴受理から1年を迎えて~いわき報告5

イ・ヂョンミさんのミニコンサートのあと、二人の弁護士さんからの報告がありました。
録画:https://www.youtube.com/watch?v=BN62JA4haq0(数字は録画の開始時刻)



海渡雄一弁護士からの報告(2:14:40)
弁護団の海渡雄一です。さっき話し忘れたということで、河合団長から映画の話をしろ、と言われていますので、最初に話します。河合監督、わたしが企画、脚本ということで、2人で今、一生懸命やっているんですが、今日、このあとお話しする「請戸の浜の悲劇」というのが、この映画の第2部になる予定です。映画は「わたしたちは原発でしあわせでした」、そういう題です。日本国民全体が原発の夢を見ていた。その夢からさめよう。そういう意図でネーミングして、やろうというふうに思っています。今、ここでもカメラで一生懸命にとっていただいています。河合先生が全編に登場する予定になっていますので、公開の折には、全国で上映会をやっていただきたいと思います。

海渡弁護士

それでは「告訴受理から1年を迎えて ―浪江町請戸の浜の悲劇を繰り返してはならない」というプレゼンをさせていただきます。実はわたくし、このプレゼンを、他の部分も付け加えてやるんですけども、浜岡原発訴訟でも、東海第二原発訴訟、東電株主代表訴訟でも、このプレゼンやりました。なぜ、これをやるか、といいますと、まず、裁判官に福島の原発事故の被害で何が起きたのか、きちっと知ってもらわないと、もう出発点にならない、そういう思いで必ずこの話をするようにしています(以下、プレゼンの要約)。

2013年4月5日、日弁連調査団が浪江町を調査(2:16:55)。 
我々、原発事故の前に、原発事故が地震によって起きると、原発震災が起きる。震災の被害者の人が原発事故のために助けられなくなる、そういうことが起きるんだ、とずっと言ってました。そのことの共通認識をもつべきだと思います。そういうことが起きたとはっきり言えるのが、これからお話しする浪江町請戸の浜の事件ではないか、と思うんです。

・福島県浪江町副町長渡邊文星氏の2012年8月日弁連シンポにおける報告
 「報告をさせていただきます前に、皆様、ほんの少しの時間でも結構です。想像していただけないでしょうか。
 何の前ぶれもなく、帰る家を失う。働く場所を失う。友を失う。先祖代々受け継がれ、守りぬいてきた土地を失う。永代供養がなされていた墓を失う。生まれ育ったふるさとを失う等、生活のすべてを失い、以前の平穏な日常生活をいつ取り戻せるか分からない状況が延々と続くとしたら、どう思われますか。
 もし、突然に、意に反したむような被ばくにより、放射線に起因する発がん等の身体への悪影響に恐怖し、常に健康不安を抱え、怯えながら一生涯を送ることになったとしたら、どう感じられますか。
 これから話します浪江町現地からの報告を聞いていただき、これまでに、日本社会が経験したことのない、過酷な原発事故災害によって甚大な損害を被った町民の苦悩、苦痛を想像していただき、現状を知って頂きたいと思います」。
・3月12日早朝からの捜索予定だった。
・何人かの尊い命が救えた可能性があった。
 3月12日午前5時44分、突如、原子力発電所から半径10km圏内に避難指示が発令された。この避難指示により、津波被害者の行方不明者の捜索活動が中止となった。
・浪江町の町民が避難した津島地区
実は請戸の浜は線量は非常に低かった。津島地区は今も10μSv、当時はものすごく高かったと思われる。
・地上線量は7.88マイクロシーベルト
・浪江町足立運動場仮設住宅自治会長本田昇さんの話(2:20:34)
 「請戸の浜に立つと、今も助けを求める泣き声が聞こえる。翌朝の救助活動の準備のために浜を回った消防団員は、多くの被災者の助けを呼ぶ声を聞いていた」
・海岸に立つマリンセンターの廃墟。波は屋上を超えたが、浸水を免れたレストランには3.11の新聞が残されていた。
 請戸の浜では182名が亡くなった。38名は特例死亡。ここの線量は0.2μSv以下。スピーディが正確に公開されていれば、早朝の捜索で救えた命があった。
・広河隆一氏撮影『新人間の戦場』より。2011年4月、請戸の浜で子どもの遺体を運ぶ警察官。
・大震災の日から約1ヶ月後に実施された捜索(写真、同書)
・「生きている声」(二階堂晃子詩集『悲しみの向こうに ―故郷・双葉町を奪われて』より)海渡弁護士の朗読(2:22:00)

 「生きている声」  二階堂晃子
確かに聞こえた
瓦礫の下から
生きている声
うめく声

人と機械を持ってくる!
もうちょっとだ!
がんばれ!
救助員は叫んだ!

3.11
 14:46 地震発生マグニチュード9.0
     請戸地区一四メートル津波発生
15:00 原発全電源喪失
19:03 原子力緊急事態宣言発表
21:23 原発3キロ圏内に避難指示
翌5:44 避難指示区域一〇キロに拡大

 
救助隊は準備を整えた
さあ 出発するぞ!
そのとき出された!町民全員避難命令
 呻き声を耳に残し
 目に焼き付いた瓦礫から伸びた指先
 そのままに逃げねばならぬ救助員の地獄
 助けを待ち焦がれて絶望の果て
 命のともしびを消して行った人々の地獄
 請戸地区津波犠牲者一八〇人の地獄
 それにつながる人々の地獄

 放射能噴出がもたらした捜索不可能の地獄
 果てしなく祈り続けても届かぬ地獄
 脳裏にこびりついた地獄絵
 幾たび命芽生える春が来ようとも
末代まで消えぬ地獄

・時間が止まっている常磐線浪江駅(2:24:25)
・新聞販売店に積まれ、配達されなかった3月12日の朝刊
・「大地震のため終日運転を見合わせます」(2011/3/11)の掲示板
・浪江の悲劇を繰り返してはならない。

過失も因果関係も明白なのに、なぜ、検察は強制捜査もしないのか(2:25:40)
・2013/6/29 共同通信による不起訴見込み記事
・対策は防潮堤だけではない
実際には想定以上の津波が来ることは明らかだった。M8の地震は確実に来るだろうと言われていた。そういう状態の下で、何の対策も取られていなかった。
何も対策をとらなかったことが正しかったのか。そこに責任追及の余地はないのか。
告訴人らの疑問に正面から答える捜査を最後まで求めていきたい。
因果関係のある被害の存在は明白(2:27:30)
 請戸の浜の救援が出来なかったことについて、浪江町の遺族が申し立て。
 酪農家、須賀川のキャベツ農家の事件
・キャベツの出荷制限の翌日に自殺(2011/3/24)
・山木屋事件
養鶏業渡辺はま子さんが長引く避難生活の中で、一時帰宅の際に自宅に近くで焼身自殺(2011年7月)

健康被害の発生も予測される(2:28:53)
 福島県健康管理調査の結果(2013年5月27日)
 従来想定されていた甲状腺ガンの一般的な発生率をはるかに超過している。
 専門家の中にも、これは疫学的な因果関係があると言わざるを得ないのではないか、とはっきり言われる方も出てきている。
・疫学の専門家、津田敏秀先生(岡山大学)「甲状腺がんデータの解釈整理 ―とりあえず3つの仮説」(2:29:22)

もし、不当にも検察庁が不起訴としても、闘いは続けられる(2:30:02)
 報道機関は不起訴になったら、どうするのかというコメントを求めてくるが、「不起訴にするのはおかしい」という解説記事を書いてほしい(拍手)
・不起訴処分に対して検察審査会への申し立てが可能(2:30:49)
 万が一の不起訴の時には、検察審査会への申し立てを決意しよう(拍手)
 検察審査会で2回起訴相当の決定が得られれば、強制起訴が出来る。
 検察庁が集めた資料を引き継いで、検察官役の弁護士が検事となって事件を進める。
 小沢さんの事件の時は余り評判がよくなかったが、JT西日本尼崎事故では強制起訴がなされて、裁判が行われている
 そういう道が残されているんだということを確認しておきたい。
・検察審査会は市民の力で刑事裁判を提起出来る機関
 検察審査会のメンバーは一般市民13人
 有権者名簿から無作為抽出で選ばれますから、今日、ここに来られている福島県民の方が検察審査会の委員に選ばれることもありえます。今やっている裁判員(制度)とちょっと似ています。
 わたしが提案したいのは、被害者の生の声を検察審査会に聞いてほしい。これが実現出来れば、大変大きな効果があると思います。それはわたしが担当した日航ジャンボ機墜落事件のときの経験から言えることです。
 二度の起訴相当を必ず勝ち取り、事件を起訴に導いて、裁判が開かれるということを目ざしましょう。
絶対にあきらめないで闘い続ける中で、展望を切り開こう(拍手)。
 *海渡弁護士の力強く、情熱のこもったプレゼン、だいぶ端折ってしまいました。ぜひ、録画をご覧ください。

保田行雄弁護士からの報告(2:35:25)
皆さん、こんにちは。今、海渡先生が大体、話をしてしまったんですけれども、やっぱりあきらめないで闘うということの大事さを痛感します。昨年8月に受理してもらったわけですけれども、この福島原発の告訴をしようと思いたった3月の学習会の頃には、この福島第一原発の事故をホントに刑事処分として、国民の声として求めていくことが果たして可能かどうか、とそういう感覚だっただろうというふうに思います。それが急速に告訴人が集まって福島での第一次告訴、そして全国での大きな告訴まで実現出来ました。
それから1年、検察の動きはどうだったでしょうか。やはり、これだけの事件と被害ということからみれば、全く不十分であります。強制捜査をしてない、実際にこの福島原発事故が業務上過失致死傷罪という犯罪を構成要件としては成立するという風に考えています。
ひとつは予見可能性の問題。今回の場合、地震と津波を予見出来たかどうか。福島第一原発に津波の結果、被害を与えるような地震や津波を予見できたかどうか、この点が一つの争点です。
二つ目は結果外可能性(?)です。そのために東電がやるべき対策があったかどうか。
第三にその結果、人の生命や健康に傷害を与えたかどうか。

保田弁護士

検察では聞くところによりますと、裁判所の令状をとって、吉田所長等の国会事故調での調書を入手したというふうに聞いています。とすれば、その結果、本件の事故との因果関係を含めて、ここはクリアをしているわけです。
新聞等報道によると、結果外可能性、先ほど河合先生もおっしゃいましたけれど、何百億とかかる防潮堤を作れ、なんということは言っていない。非常用発電機を分散したり等、それは短期間にそんなに費用がかからなくて出来る対策はいくらでもあった。それはおそらく検察庁もそのように考えているだろうといふうに思います。
新聞報道等によりますと、この予見可能性の点で、東電がこの福島第一原発を覆い尽くすような、そういう津波を予見出来たのかどうか、こういう点で疑問が残るということなんですね。そういうことを考えているようだということのようなんです。また、不起訴に向けて、先ほどの共同通信の記事によりますと、項目毎に説明を詳しくしよう、ということを考えているなどと伝えられています。
ところが、もともと原発とはどういうことか、ということをやっぱり考えてほしいんですね。
1つは津波、これだけの津波が来るということは、千年に一度と言われているかもしれませんが、大きな地震が来るということは警告されていた。M8以上のものが来るんじゃないか、ということが言われていた訳です。
地震があれば、当然、津波がありうる訳です。さらに原発という装置がどんなに危険なものか、これは広瀬さんもずっとおっしゃっている。だからその安全対策というものは、本当にその予想そのものを超えて起こるということを、やっぱり考えて行かなければならないような装置だったんた、ということを検察庁に十分、考えていただきたい、というふうに思っています。

この点に関して、わたしは告発・告訴代理人をやったエイズのときにですね、医者で帝京大学の副学長である安部英というのが起訴されて、一審では無罪になったんです。僕は一審で無罪の可能性はあるな、と思ってました。なぜかというと、安部先生と一緒に血栓止血学会という血友病の学会を作って、そこで安部さんと同じように、言われる通りに血液製剤は危なくないと言って注射をした全国の専門医がみんな出て来たんです。犯罪者のために犯罪者が証言するんですよ。無罪になるに決まってるじゃないですか。
今回、同じなんです。学者がこう言っていた、そんな犯罪を犯したような学者に聞いて、東電の弁解をするようなことになっては絶対ならないと思います(拍手)

検察庁には、世界中の地震と津波に関する叡知を集めて、福島の第一原発が津波によってやられないというような、東電の想定が科学的に見て正しかったのかどうか、それを徹底的に究明していただきたいというふうに思います。これが1点です。
もう一つは、強制捜査の問題です。犯罪の捜査においては強制捜査抜きに不起訴なんてありえません。強制捜査をしないというのは、犯罪そのものが最初の構想自体から成り立たないという時であります。証拠の評価に関して、証拠があるかないかに関して強制捜査をしないまま結論づけるということは、これはあってはなりません。
今、新聞報道されているところによると、学者が言ったり、東電がそういった津波があるかないか、予見出来たかどうか、証拠がないと言っている。しかし、この津波や地震の危険性について一番考えていた人たちは誰でしょう。それは東電であり、経産省であり、原子力安全保安院じゃないですか。こういうところで彼らが実際、どんなことを考えていたか、その文書を、その議事記録を実際に入手することなしに捜査を終結させるなんてことは、断じて認めるわけには行きません(拍手)。この点はぜひ、検察庁に強く訴えかけていこうではありませんか(拍手)。

エイズの時ですね、厚生省の生物製剤課長はエイズの被害製剤を注射することを続行すると、書いていたんですね。当時、我々は自民党の厚生族のドンであった持永という、事件当時、薬品局長だった彼を起訴してほしいということを強く言っていた。それで検察庁はようやく厚生省の捜査に乗り込んだわけですけれども、幸いにですね、幸いというか、厚生省は当時まで、そういった局長会議であるとか、部内の会議について一切、議事録を作っていなかったんですよね。だから、持永はその政策決定に関与したと言ったという証拠がなくて、起訴出来なかったんです。
その後、その捜査を指揮していた特捜部の検事に会って聞いたんですが、法務省はやっぱり議事録を作っているそうですが、行ってみたら、議事録はない、厚生省は昔から作ってないんです、というんですね。役所同士もそのような状況だったんですが、東京電力に関しては、そういった部内の資料があるかどうか、メールのやりとりだけではダメです。実際に、様々な会議が行われたと思われます。そしてそれは原子力安全保安院と連絡を取りながらやっているわけです。そういうことに対する深い捜査を抜きにですね、結論が出るはずがありません。

そういう点で、わたしたちはまだまだ検察庁に対して強く要求をして、そして徹底的に捜査を遂げろ、という声を集中して行きたいというふうに思います。法律的案件に関しては、東電株主訴訟等で河合先生、海渡先生が世界中からいろいろ資料を集めて提出されています。そういう点で、非常に水準の高い意見書を出しておられます。
そういう点であと、残る点はなにか。検察庁は本気で強制捜査をするかどうか、それにはやはり、国民の怒りの声が、そして福島県民の声が、いかに福島地検と東京地検に集中されるか、ということにかかっていると思います。これから夏場に結論を出すとか言っているわけですが、ぜひ、短期間ですけれども、福島地検と東京地検に強制捜査をしない結論は絶対に許さないという声を集中させて行こうではありませんか(拍手)。
そのために、全国から抗議ハガキを送るとか、いろんな創意工夫で声を集中していこうではありませんか。そして強制捜索からさらに起訴へと、検察庁を突き動かして行く、そういう運動を作っていきたいと思います。わたしたちも頑張りますので、皆さんもぜひ、強制捜査から起訴まで頑張りあおうではありませんか。よろしくお願いします。

(まとめ:あっきい  写真:nomorefukushima2011さんの録画より)

強制捜査はまだか!! ~告訴受理から1年を迎えて~いわき報告4

ミニコンサート 李政美(イ・チ”ョンミ)さん

10分間の休憩の後はイ・ヂョンミさんのミニコンサートから始まりました。
録画:https://www.youtube.com/watch?v=BN62JA4haq0(数字は録画の開始時刻)


(1:38:06)イ・ヂョンミ「アニアンセヨー、こんにちは。ずっと東京の葛飾というところに住んでいました。四月に越して埼玉の住民になりました。神田さんも今年の1月に埼玉に引っ越されたというので、一緒だなぁと思いました。
わたしの住んでた町に、武藤類子さんがお話をしに来てくださったんですね。そのとき、わたし、初めて武藤さんのことを知ったんですけども、原発(事故)があるまでの暮らしぶりをずっとスライドで写真を見せてくれながら、話をしてくれました。そのお話にすごく共感をして、それが去年の秋だったんですけれども、類子さんにお手紙を書きまして、わたしはこういう者ですけれども、歌をうたっているんですが、類子さんの町、福島に歌いに行きたいんですけれども、呼んでもらえませんか、というファンレターを書きました。それで、その後、今年の2月に福島の田村市、郡山市、福島市、それから大熊の皆さんが避難している会津若松市、全部で6か所だったと思うんですけれど、歌をうたうツアーをすることになりました(注:このツアーについては本ブログ1月24日付けに案内が掲載されています)。
 福島に行くにあたって、わたしの名前を知っている方は、この中でも5人ぐらいはいるかと思いますけど、ほとんどの方はわたしのことを知らないので、どんな歌をうたうんですが、といろいろ事前に言われて、CDもお送りしたんですけれど、ぜひ、福島の民謡も歌ってくださいっておっしゃってくださって、福島の民謡もちょっと勉強しました。今日はそんな歌もうたいたいと思っています。

 まずはわたしの自己紹介も兼ねて、わたしの生まれた、わたしのふるさとをうたった歌です。京成線という、とてもローカルな電車が東京を走っていますけれど、京成線の窓から見た、わたしのふるさとをうたった歌です。
 わたしのふるさとといっても、わたしにはふるさとがずっとないんじゃないか、と思って生きて来ました。わたしの両親は朝鮮半島の済州島という、朝鮮半島、うさぎみたいな形してますけど、その最南端にある済州島の出身なんですね。両親が子どものときに日本に渡ってきて、出会って、生まれたのがわたしです。ですから、わたしは在日、自分では朝鮮人と言ってますけど、朝鮮人2世になります。そんなわたしが生まれた場所、この国がふるさとだなって、今は思っています。そんな思いをつづった歌をうたいます。
京成線 (1:41:25)
(曲の合間に共演者の紹介) ギターとマンドリン、矢野敏広です。

李さん(ギター)

 いろんな楽器が並んでますけど、この変わった楽器はインドの楽器で、タンブーラっていうんです。とても簡単なんですね。(弾きながら)こうやっているだけなんですけど、これがまた不思議な音がするんですね。弾いているわたしは音の波の中にいるような感じで、すごく気もちがいいんですけど。このタンブーラを弾きながら、「祈り」という歌をうたいます。
 「祈り」というこの詩は、山尾三省(やまお・さんせい)さんという、(1938年~)2002年に亡くなられましたけど、屋久島で20年以上、百姓をしながら詩を書いていた詩人がいました。三省さんは東京の生まれなんですけども、日本のヒッピーのはしりだったんですね。自分で自給自足の生活をするために屋久島に渡って、ほとんど自給自足に近いような生活をしながら、詩を書いていましたが、三省さん、亡くなる前に自分の家族や親しい友人たちに遺言を残されました。三省さんは東京の生まれでしたけど、3つの遺言を残されました。1つめの遺言は、彼が生まれた東京の神田川の水も、屋久島の白子という川のすぐ傍に住んでいましたけど、その白子の水のようにわたしたちが飲み水として飲める水に再生されますように、という遺言。それから世界中からすべての核兵器と原発がなくなりますように。もうひとつは日本国憲法第9条が世界のあらゆる国の憲法に組み込まれますように、世界中から一切の戦争がなくなりますように、という3つの遺言を残されました。そんな三省さんの思いがこの「祈り」という詩にはこめられています。

李さん(タンブーラ)

 わたしはこの詩に出会ったのが、ちょうど今から20年くらい前になりますけども、この詩を三省さんの朗読で聞いたときに、何だかこう、胸のすごく深いところに届いて来たんですね。で、自分で作曲とかは全然したことがなかったんですけれども、この詩に作曲して、このたった1曲の「祈り」という歌を自分のレパートリーとして歌い始めたのが、わたしの歌手生活の始まりでした。
わたしにとってはそんな大切な歌のひとつなんですけれども、この歌の始まりに「ナム・ジョー・ルリコウ」(南無浄瑠璃光)という言葉が出てきます。南無というのは仏教の言葉で、ジョーは浄化する、ルリコウは瑠璃色の光、瑠璃光世界にいらっしゃると言われている薬師如来にわたしは帰依します。そんな言葉で始まります。最後には「オンコロコロ・センダリマトウギ・ソワカ」という、これは薬師如来の信仰なんですね。もともとはパーリ語で、「オームフルフル・センタニ・マトウンキ・スババ」というのが、日本語で発音しやすいように、オンコロコロ・マトウーギ・ソワカ」という発音になったそうです。「オンコロコロ、オンコロコロ」と言って、昔、おばあちゃんたちは痛いところをさすりながら、傷を癒したと言われています。薬師如来の信仰です。「祈り」という歌をうたいます。
祈り(1:51:33)

 この太鼓は韓国の太鼓で、チャングといいます。この太鼓を使って福島の民謡を歌ってみようかなと思っていますけども、皆さん、合いの手をよろしくお願いしますね。「新相馬節」と「会津磐梯山」を歌います。
新相馬節(1:59:14)
会津磐梯山(2:01:35)

李さん(チャンゴ)

 これは韓国の民謡です。
珍島アリラン(2:04:23)
(ブラボー、アンコールの声)
 ありがとうございます。アンコールじゃなくて、もう1曲歌おうと思います(笑い・拍手)。「朝露」を歌おうと思っていたんです。
 「朝露」という機関紙があると聞きました。朝の露、本当にキレイなんですよね。初めて朝露に気がついたとき、びっくりしました。ダイヤモンドより、真珠より、もっときれいなんですよね。
 これは韓国の歌で、1970年代に韓国で若い人たち、市民がよくうたっていた歌なんですよ。韓国はその頃、軍事独裁政権だったんですけれども、この歌をホントに生きる糧にしていたんですね、韓国の人たち。今でも若い人たちにもお年寄りにもよくうたわれている歌です。韓国語、日本語、両方で歌います。
朝露(キム・ミンギ作詞・作曲)(2:09:25)
ミニコンサート終わり(2:13:37)

注:新相馬節、会津磐梯山以外の歌の歌詞は「李政美の世界」(http://leejeongmi.com/)の全歌詞コレクションで見ることができます。

(まとめ:あっきい  写真:nomorefukushima2011さんの録画より)

強制捜査はまだか!! ~告訴受理から1年を迎えて~いわき報告3

神田香織さんの話
録画:https://www.youtube.com/watch?v=BN62JA4haq0
(数字は録画の開始時刻)



(1:15:10)みなさんこんにちは。
いわき市は泉町というちょっと田舎なんですけれども、そこの出身であります講談師の神田香織でございます。
どうぞよろしくお願いいたします。
今から9年ほど前、約8年間いわき市にわたくし住んでおりました。
で、ここは古い市民会館しかわたくし知りませんでした。
今日きてみたらすごく楽屋も新しくなっていて、思い起こせば今から10年ほど前古かったいわき市民会館で、私は代表作のひとつ「チェルノブイリの祈り」をここで語らせていただいたんです。その頃を懐かしく思っております。

神田さん

まさか、我が故郷が原発事故、というか事件ですね、このような目にあってしまうとは、もう日々、2年と5ヶ月たってもはらわたが煮えくり返るような思いは消えません。
先ほどのご挨拶のなかで、怒りで、毎日怒ってばかりで大変だ、というようなお話もありましたけどもね、怒るためには、時には笑って、泣いて、思いっきりいろんな感情をフルに起こしてそしてたまに怒る。
1週間7日のうち、3日にいっぺんくらいやる。ほかはね、免疫をさげないように、そういうことをぜひ取り入れてやっていただきたいと思うんですね~。
え~わたしは2ヶ月くらい前に、佐藤和良さんから、え~講談やってくれって言われて、もう8月ですからね、間に合うと思って引き受けたんです。
そしたらですね、そのあとすぐに選挙に入りましたでしょ。応援でもってそっちこっちにわたくし呼ばれました。
そしたら夏ですから、夏になりますと「はだしのゲン」っていう講談で結構全国各地呼んでいただくんです。今年は特に、中沢けんじさんが去年お亡くなりになりました。
で、追悼という意味も含めまして、各地で取り組みも多くてほとんど高座を制作している暇がなくて今日を迎えてしまったんです。

でも頭の中にはたくさんあるんですよ。
どれをまとめたらいいか、例えば避難されているお母さんのお話。あるいは作業員のお話。あるいはこの故郷、住んでらっしゃる方の気持ち。
どの切り口からお話をまとめていいかわからないくらい、たくさんたくさん私は資料は集めてます。
9月26日に東京でこれからシリーズで語っていく第一回目をやりますので、これからもぜひぜひ応援していただきたいと思いますが、簡単に近況報告をさせていただきます。

7月の半ば頃には北海道にいっておりました。
4日間、これは「はだしのゲン」ですけれども、呼んだところはどこだと思いますか。宗教団体なんです。真宗大谷派ってご存知でしょうか。真宗大谷派だけじゃなくて真宗にはほかにもたくさん派閥があるんですね。それが北海道は非常によくまとまっていて、10個くらいの教団のみなさんが集まって、そして呼んでくださったんです。
聞いたんです。なんでそんなにまとまりがいいんですかって。そしたら言いましたね。
自分たちは歴史が浅い。開拓団と共に100年前に北海道にはいった。だから歴史が古いといろいろ葛藤があったみたいですが、浅い、そしてまた助け合わなければやっていけなかった。だから、自分たちはまとまりがいいんだ。このようにおっしゃっておりました。
はい、ヒントがありますね。今度の参議院選挙、こういう結果になりましたが、しかしこれから先も地方選挙も含めてたくさんありますから、そのときにこの北海道の真宗の皆さんの取り組みをピッと思い起こして、これから先役立てていかなければいけないなぁというふうに思っております。

そして北海道から移動いたしまして、函館から大間にいきました。日本本州の最北端です。
大間といえばマグロで有名ですが、ご存知でしょうか、「あさこはうす」っていうのがあるんです。
大間原発をたてる時に土地の人々がどんどんどんどん土地を売っていったそのときに、これは絶対に売るわけにはいかないと、村八分にあいながらも自分の土地を手渡さなかった人なんですね。
このあさこさんが亡くなりまして、小笠原厚子さんという娘さんがそのあさこはうすに残ってるんです。そこに住んでらっしゃるわけではないのですが、原発に反対したそのシンボルとして大勢の人がそこに集っています。一町歩もある広さなんです。さあ、すばらしいところですよ。
厚子さんに会いました。そしたら厚子さん、こういうこと言うんです。
去年までは井戸水が出ていたのに電源開発がもっとそばに深い井戸を掘ったがために、自分ちの井戸水が出なくなってしまった。つまり、水がないんです。水攻めなんです。
13メートルの井戸から水が出なくなってしまった。さあどうしたらいいか。ぜひぜひ知恵を貸してもらいたい、とこういうことをおっしゃってるんですね。で、言ってましたね。
思い切り深く掘ってみようと思うんだ。だけど深く掘って、温泉がでたらどうすべ、と心配しておりましたけれども、ひろーいところです。
ここにいろいろ動物を飼って、そして子どもたちが、福島や関東の子どもたちがここで保養できたらいいな。そういう夢をもっていらっしゃいます。
固く握手をして、別れて今度は私は福島に参りました。

7月23日、桑折町で映画のロケがありました。
桑折町を舞台にする「物置のピアノ」という映画の撮影なんですね。
これは来年あたりに封切りになる予定なんですけれども、それを制作している映画会社と、私は昔から知り合いがたくさんおりまして、「香織さん、聞くとあんた昔俳優を志していたんでしょ。それがなまりがなかなかとれなくてなまりを直すのが目的で講談習い始めて、講談師になったんでしょ。だったらこの映画にでてみたら。」っていってくださったんです。
私、ピアノの先生の役で出させていただきました。台詞は二言ぐらいいただいています。
ピアノの先生といっても私ピアノひけませんから、「猫ふんじゃった」くらいしか弾けないですけれどもね、でもそういうシーンもないから、ということで一日おつきあいしました。

そして東京に戻りまして、それからすぐに大阪に行きまして、親子劇場というところで昼•夜2ステージ『はだしのゲン』をやりました。
これ昼•夜2回やって大変疲れたんですが、お客さんの数は1回にしてもちょうどいいくらいの数でございましてね、疲労だけが残りました。そして関空の傍のホテルに移動しまして、夜中11時頃、それは次の日朝7時の飛行機で博多に、福岡にいくためです。
そして朝早く起きてね、ピーチっていう飛行機ご存知ですか。私、初めて乗りました。ピンクでね、とってもかわいいんです。安さで有名なんですけれども。
ピーチで福岡空港に行きまして、そこから天草エアラインって飛行機ご存知ですか。ちいちゃい飛行機なんですけれども、プロペラ機、これにのりまして天草へ参りました。
天草には私の講談のアマチュア弟子が、もう6年前から天草の自然に惚れ込んで住んでおりまして、毎年よんでいただいている。
去年いったときには私は福島のこどもたちをなんとかこの天草のような自然の中で思いっきり遊ばせたいんだということを散々言いふらしておりました。
そしたら天草市長にまで会いまして、市長さんが私たちがやっているNPOの会員になってくれたんです。「福島支援 人と文化ネットワーク」で、それ、僕たちも一生懸命、市をあげて協力しますから、といって、今年の7月25日から1週間、いわき育英舎ってご存知でしょうか。養護学校なんですが、小学生が1年生から6年生までちょうど9人おりました。この9人を招待して、そして、天草に遊びにいっていた。そこに私も合流したわけでございます。
さぁ、こどもたち、もうまっくろになって海で泳いで、なにしろね、いわきの海は海開きはひらかれましたよね、あのー、四倉と勿来ですか、でもそれと同じように同時期に原発からものすごい濃い汚染水が流れていると発表されて、だれがそんなところで子ども安全で、海開き喜んでられますか。親だってビクビクしながらですよね。
そういう心配なしに思いっきり天草の自然の中でとびまわって、ホームステイもして、なにしろ養護学校の子どもさんたち、家庭の味もなかなかとおざかっています。
そこで3人ぐらいずつ家庭にひきとってもらいましてね、中には大きな犬がいる家、猫がいる家、おじいちゃんおばあちゃんがいる家、そういうところで本当に宝物のように大切に一週間みてもらったんですね。
それはそれは初めての取り組みでしたから、いろいろご苦労もあったと思いますが、こどもたちが帰るときにはもう天草の世話をしてくださった方、涙ぐんでいましてね、「また来年も来るんだよ」「また来年も来たい」っていう、私も思わず見送ってて涙がでましたが、そういうことで、みなさん確実につながりは広がっています。

私は「はだしのゲン」をやっておりますから、戦中派のような気持ちでおります。で、大本営発表など過去のものだと思っておりました。しかしそうではなかったのです。今度の事故ではっきりいたしました。戦争のときの生き残りが今でも日本をそのまま支配しているんです。今の大本営発表はすべて福島を忘れさせようという発表です。
今度の選挙の争点だって、ねじれなんかじゃないんです。参議院選挙は良識の府なんですから、結果ねじれだってそれはいいんです。
それを「ねじれ解消」なんてどっかからもってきた名前をくっつけて、これが大本営発表なんです。これにだまされるわけにいきませんね。そして、広島の原爆、長崎に落とされて、2度の原爆でもって日本は戦争をやめた。
福島の原発事故があった。もう一回事故を起こさせるつもりなんですよ、あいつらは。
こんなこと絶対に許せません。

私は「チェルノブイリの祈り」という講談を10年前から、「はだしのゲン」を27年前から、そして今度もし日本のどっかで事故を起こさせようとしたら、そんなのはね、皆さん、江戸時代でしたらね、市中引き回しのうえ、拷問、はりつけ、縛り首ですよ。
そんな責任、誰もとらないなんて冗談じゃありませんよね。これはね、皆さん、どんどん声だしていかなければいけませんよ。
昔は生きるか死ぬかって言われましたが、これからは生き抜くか、殺されるかの時代ですからね。

さ、わたしたちのNPO、311のあと、なんとか福島を支援しようっていうみんなで集まって作りました。ちっちゃいちっちゃいNPOですが、確実にこのように広がっております。
そして今度は長野の小諸というところにも保養に連れて行こうといろいろ計画をしております。
でも、お金がないんです。お金はないけど皆さん、たくさんの善意をいただいているんです。今日、売店にもってきておりますが、支援Tシャツってのがあるんですね。支援メッセージTシャツ。これはいわき市にお住まいのデザイナーの方最初に作ってくださったんですね。その方のお名前をちょっとど忘れしてしまいましたけれども、そちらのうしろで皆さんTシャツをもちあげておりますけれども、デザインは3種類もう変わって、もう今最新のものです。前は花びらですが、後ろはまるで花火のようなデザインの中にメッセージが書いてあるんです。
このメッセージを読みますとですね、本当につながっているなって実感いたします。
2500円で販売させていただいております。
このようにして北海道でもたくさん買ってもらいましたし、こうやってつながっていくんです。

闘いって言うのは、明るく楽しく、しつこく、というのが大切なんです(拍手)。
それからもうひとつですよ。いいですか。呆れ果てることばっかりですよ、次から次へと。
あきれ果ててそこでストップしちゃ、呆れ果てるだけ。
呆れ果ててもあきらめないことです(拍手)。絶対あきらめないですよ。諦めないでそして楽しくつながっていくんです。
向こうがそういう手にでるんだったら、じゃあ私たちはこういうふうにやってやろうじゃないのって、そこに喜びを見いだして、免疫を下げないようにする。
やっていきましょうよ。
これ放射能のことばっかり語ってきた私がいうんですから間違いないですよ。

そこで私は今、ちから入れているのは、全国各地呼ばれていくときに、この人の詩を紹介してあげているんです。
相馬から滋賀県の大津市に避難している青田恵子さんです。
ご主人は校長先生でした、元。そして40年も反原発の運動をしてきたんですが、やはり故郷がそういうことになってしまって、いろいろいろいろ、こう5回くらい避難先をかえながら、滋賀県の大津市に今お住まいなんですね。
この人が去年の集会でかきました2つの詩、これを紹介させていただきます。
私はいわきなまりをとるために、講談をならいました。しかし逆に今は、このなまりでもっていろんなところで語らせていただいているんです。
それではいってみます、まず最初に「拝啓関西電力様」という詩です。

「拝啓関西電力様」   青田恵子

エアコン止めで、耳の穴かっぽじって
よーぐ聞け。
福島にはなぁ、「までい」っつうことばがあんだ。
「までい」っつうのはな、丁寧で大事にする
大切にするっちゅう意味があんだ。
そりゃあ、おらどこの東北の暮らしは厳しかった。
米もあんましとんにぇがったし
べこを飼い
おかいこ様を飼い
炭をやき
自然の恵みで「までいにまでいに」今まで
暮らしてきた。
原発は一度になにもかも
奪っちまった。

原発さえなかったらと
壁さチョークで遺書のこして、
べこ飼いは首をつって死んだ。
一時帰宅者は、水仙の花咲く自宅の庭で
自分さ火つけて死んだ。
放射能でひとりも死んでねぇだと….
この嘘こきやろう 人殺し
原発は田んぼも畑も海も
人の住むところも
ぜーんぶ、かっぱらっちまったんだ。
この盗っ人ドロボー
原発を止めれば
電気料金を2倍にすんだと…
この欲たかりの欲深ども。
ヒットラーは毒ガスで人を殺した。
原発は放射能で人を殺す。
お前らのやっていることは
ヒットラーとなんもかわんねぇ。
ヒットラーは自殺した。

おめえらは誰一人、
責任とって詫びて死んだものはないねぇ。
んだけんちょもな、おめえらのような
人間につける薬が、ひとつだけあんだ。
福島にはなぁ、人が住まなくなった家が
なんぼでもたんとある。
そこをタダで貸してやっからよ、
おっかあと子と孫つれて、
住んでみたらよがっぺ。
放射能をたっぷり浴びたベコは
そこらじゅうウロウロいるし、
セシウムで太った魚は
腹くっちくなるほど太平洋さいる。
いんのめぇには梨もりんごも柿もとり放題だ。
ごんのさらえば
飯も炊けるし、風呂も沸く。
マスクなんとうっつぁしくてするもんでねぇ。
そうして1年もしたら
少しは薬がきいてくるかもしんねえな。

ほしたら福島のこどもらとおんなじく、
鼻血がどどっとでて、
喉さグリグリできっかもしんにぇだ。
ほうれ、言ったとおりだべよ。
おめえらが言った、安全で安心なところだ。
さあ、急げ。
荷物まとめて、福島さ引っ越しだ。
これがおめえらさ、つける
たったひとつの薬かもしんにぇな。

はい。ありがとうございました。
本当に汚染地帯を区分けして、人を呼び戻そうとしている。なんなら言った人が、まずは率先垂範、手本をみせたらよかっぺと思いますよね。これ人として当たり前ですよ。ましてや税金で食ってるあんたたちなんだ。
ぜひ、行ってすんでみてくっちぇ。
わたしも今度、安倍さんにあったらよーく言っときますけどね。

さあ、次は「1万円」という詩でございます。

東京電力はあれほど2年間毒水流しておきながら、最近になってそれを白状しているんですね。そして毒水はどんどん流すがお金はケチ。本当にど・け・ちです。自分らにはボーナスだしているんですよ。

「1万円」  青田恵子

宮城県に5人で避難していた5ヶ月、
当座の物品購入費用代、1万円の賠償請求したんだが、
東京電力さ郵送したらば、
2、3日して速達がきたんだわ。
さすが東京電力。やることはぇと思ってあけてみたんだが、
1万円分の領収書つけてよこせって
戻されてきちゃったの。
レシートなぞどっかさなくしたべし、
で、なくしたならば買った店の名前さ言ってよこせって。
買った日付を言ってよこせって。
そだこと今更わかんねぇ、おもいだせねぇ。
やっぱしくれたくねぇんだね、1万円。
1万円くれてやっからあれ出せこれ出せって
はじめっからねぇのわかってて言ってくる。
おめえらだって2年前の買い物覚えてっか?
マンションやダイヤモンドでねぇんだよ。
茶碗5個、湯飲み5個、皿5枚。
たわしにスポンジ、包丁にまな板。
自衛隊から水もらうのに並ばねばなんねし、
その日その日生きるのに精一杯で、
そんな領収書どこでねかった。
ゆくゆく賠償さ必要になっぺなんて、
そんなことまで考えられなかった。
座卓のねえ畳さ、新聞紙広げて
テーブル代わりにしていたんだけんちょも、
紙コップからはじめて瀬戸物の茶碗でおちゃっこしたときは、
あーぁ、うまかったなぁ。
5人で二ヶ月分の日用品代だよ。
下着も着替えもなにもねかったんだよ。
1万円とはずいぶん少なく見積もってやっちまったもんだ。
領収書だせなんて脅すもんだから、
こっちから東電さおまけして安くしてやったんだ。
どこまで欲深で浅ましいやつらなんだ。
あーあ。いらねぇいらねぇ、1万円なんぞいらねぇ。
そのかわり、3.11前の福島さ戻してけいろ。
早春のあの阿武隈の峰より注ぐ、
あのオレンジ色の残照に包まれた
おらの故郷を返してくいろ。

青田恵子、「1万円」でございました(拍手)。

みなさん、この詩を日本全国どこで語っても、泣かない人はいませんよ。
感情は変わらないんです。
決して福島は孤立していません。みんな事情がわかれば誰だって手を差し伸べたいんです。
それをマスコミが、大手マスコミが報道しないから終わったのかなぁと思ってしまっているんです。決してそんなことはありません。人情はあるんです。
絶対に失望しないでください。諦めないでください。
そしていいですか、いきますよ。呆れ果てても諦めない!それで行きましょう。

ありがとうございました。

(書き起こし:pipi、 写真:nomorefukushima2011さんの録画より)

この夏、霞ヶ関でいのちの躍動を感じよう!

今年5月に行った「からだノビゆるワーク&霞ヶ関スキップ&福島と共に生きたい茶話会」に続く、菊地びよさんのからだワークの第2弾を下記の日程で開催いたします。
菊地さんは現在、福島県いわき市の自立支援センターに通い、仮設住宅に暮らす避難者の方々を対象に体のワークを行っています。
「話そうカフェ」ではそうした活動を通して感じたことを中心に、参加者と交換・交流ができればとのことです。
汚染水、被ばく、原発再稼働等々…とり組まなければならない問題は山積していますが、時には立ち止まって、自分の体と向き合うことも必要です。
お誘いあわせの上、どうぞ参加ください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

◆霞が関ナイトスキップ&福島のことを話そうカフェ

日時:2013年8月20日(火)18:30~

場所:経産省前テントひろば・第2テント
(営団地下鉄「 霞が関」駅 A12出口すぐ)



【プログラム】

18:30~ 霞ヶ関スキップ

…まずはストレッチ。そして身も心も開放する

誰でも出来るスキップを。老若男女どなたでもどうぞ ! 

霞が関でいのちの躍動・自由を踏みしめるステップ。

皆ですると爽快です!



19:30~ 話そうカフェ …福島での話を中心に交換交流します。





※雨天の場合は、テント内でのワーク&「話そうカフェ」のみ行います。

※スキップのできる服装でお出でください。予約は不要です。





企画:菊地びよ(体話舎主宰、舞踊手。「人それぞれに心地よいからだ、それぞれに翼と根の踊り・人生の物語」をキーワードにからだのワークや踊りの時間を持っています。)

連絡先:090-8342-8558(きくち)



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「第二テント日直だより」第14便

「第二テント日直だより」第14便をお届けします。
本当に暑いです!
喉が渇く前に水分補給、塩分補給が肝心、とはいえ市販のスポーツドリンクをどんどん買うのはお金もかかるし、エコじゃない気がする…というかたは、自作してみては?
「スポーツドリンク 手作り」で検索してみると、どうやら手軽に作れるようです。
水1リットルに対し、砂糖:大さじ4 塩:小さじ半分 を混ぜるだけで吸収のいい飲み物になるんですって。
レモン汁を大さじ2杯加えるとさらに熱射病対策にいいみたい。

この酷暑の中で、原発事故の片付けをしている人たちのこと、気になります。
マスク必須で肉体労働、その場で水分補給なんてできない。心配です。(0.k)


。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・
7月15日(月)
1時過ぎに千葉の教会の牧師さんが見えて、2時間ぐらい座っていかれた。
3時頃、大阪のミュージシャンたち(先日、大飯闘争の時、中島哲演さんの寺で演奏した)が来た。昨日の三里塚・千葉集会に参加したそうだ。テントに来て、演奏。賑やか。
その後、立教大学の院生3人と若い先生がテントを見に来て、話を聞きたいといわれ、第1テントで話す。SMさんもみえる。
【あれこれ屋】

。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・
7月16日(火)
昨夜から涼しく、12時頃から第2テントで作業を始めたが30℃を上回ることはなかった。それでも陽が射すと暑い。
4時15分前ごろ、東京地裁前行動の声かけがあり、MNさんと横浜からきた方は参加して帰宅された。
鹿児島川内集会(7/28・29)に持参する横断幕仕上がり、金曜デビュー後、鹿児島川内集会に参加の人に託すことになる。
規制委新基準腹立たしく、再稼動申請した電力各社にも腹が立つ。これぞと思う言葉を横断幕にあらわしたいがなかなか良い案が浮かばない。
SMさんいつもの様にアナウンスされる。マイクの調子悪く残念。
【TM】

。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・
7月17日(水)
曇りのち雨
あまり暑くなく、久しぶりに過ごしやすい一日でした。
3時45分ごろ、在特会の男2名が突然やってきて椅子をけり、暴言をはく行動に。まもなく丸の内署から警官10名くらいがやってきて、連れていってくれ、ひと安心しました。
その後あれこれ屋さんが見え、すわり込みをしながら選挙のことなどをお話しました。
夕方5時くらいから雨が降り始めました。暑い日が続いていたので、ちょうどよいお湿りといったところです。
【メーテル】

。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・
7月25日(木)
曇、小降りの雨時々
雨で畳の下が濡れているかと思ったが、それほどではありませんでした。
左とまん中の畳をあげて、テント内に立てかけて干しましたが、天気が良くなったので畳2枚を外に干しました。4時半ごろ取り込みました。
今日はSMさん、早く見えて、歩行者に脱原発の呼びかけを力強くされて、国会前の座り込みへ。
共産党系労組の抗議活動に参加した方々がテントの前を通られた。中にはカンパしてくださった方も。柏崎から来た方と少しお話ししました。
【あっきぃ】

。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・
7月28日(日)
到着した時は川柳句会の途中。句会終了後はみなさんでかけられたので、雑用をしていました。
すだれの七夕飾りを外して、ドイツ折り鶴を20枚くらい飾りました。8月中旬まで雨に濡れないように管理していただければ、嬉しいです。
もう少し派手にしたいのだけれど、どうしたらいいかな。どなたでもご自由に手を加えてください。
KYさんが、今日のデモではたくさん泣いてしまったと話していました。自分の気持ちとしてはひたすら原発反対と真面目にやりたいのに、若い人達のデモは音楽で賑やかでお祭りのよう。その楽しそうな様子が納得いかないけれど、今はこれでいいのだと自分に言い聞かせているとのことでした。脱原発の運動が被災者である当事者の方と気持ちがすれ違ってしまっているのならそれはまずいなと思いました。
第1テント前へ夜になってから来た若い人(維新に投票したとかいう人)が声が大きいので喧嘩かと思って見に行きました。そのあと皆が集まって議論になっていました。ずいぶん長い時間賑やかに話していました。
なんであれだれであれ議論するのはいいことなのでしょうね。
【ケロップ】

。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・

強制捜査はまだか!!~告訴受理から1年を迎えて~いわき報告2

プログラム(続き)
録画:https://www.youtube.com/watch?v=BN62JA4haq0(数字は録画の開始時刻を示す)



・福島の告訴人のスピーチ 
村田弘さん(南相馬市から横浜へ避難、原発を問う民衆法廷(原発民衆法廷)の運営スタッフ
(0:50:07)

村田さん

 わたしは(南相馬市)小高区からカミさんと避難して、今は横浜に住んでいます。河合先生にも入っていただいて、市民の立場からこの原発問題を裁くという「原発を問う民衆法廷」というのを去年(第1回は2月25日)から今年にかけて1年半ほど、やってまいりました。全国を廻って10回ほど公判を開いて、先月21日に一応最終的な公判を東京で開きまして、「原発と核は全く裏表の問題であって、我々、これから原発禁止条約を作るべきだ」というような勧告をいただきました。地方でも、原発禁止条例を作る運動を続けようじゃないか、というような勧告を出していただきました。
 それに先立って、去年5月20日に郡山で開きました3回目の法廷では、今、問題になっている東京電力、さらには当時の政府、菅直人さん以下、主だった幹部と、例の班目先生を始めとする原子力関係者について、業務上過失致死罪などで明らかに有罪であるという判決文を実は出していただいているのです。河合先生にも検事並びに原告団長となっていただいておりまして、非常に明快な論理で追及された結果の市民の判断であったと思います。しかし、現実は何と遠いことか、ということをホントに今、しみじみと感じているところです。
 ずっといろんな活動を見てますと、女性は大変、元気で僕はホントに羨ましいんですが、男は弱いんですかねぇ。最近、ちょっと疲れたなぁという、なんか非常に重い、体が重いという感じがしてます。さっき電車の中で数えてみたんですけど、避難してから876日位になるのですが、何で疲れたのか、改めて考えてみると、それは生活が慣れないとかいう、そういう単純な話ではなくて、先ほど広瀬さんなんかにご紹介していただいたような、ホントーに信じられないようなことが毎日毎日、出てくるわけですよね。我々の直観としては、こういうことがありうるだろう、と分かっていたことが、一つ一つ表に出てくる。それを受け止める、それに対して怒りを感じる。この怒るということが大体、疲れるんですよね。1日3回怒ったとすると、365日1700回ほど、怒っている。疲れるのも当たりまえだなぁと思いながら、この会場に来た次第です。
 このあいだ、馬追(相馬の伝統行事)が本格的に再開するというので、横浜で脱原発関係の運動を一緒にやっていただいている方たちをご案内して、3日ほどふるさとに帰ってきました。霊山町、小国町、あすこはすでに除染が終わったということで、住民たちに帰ってくるようにということを必死になってやっているようなんですが、驚いたのはですね、除染が終わった、さっき広瀬さんのスライドにあったようなフレコンバッグというんですか、あれに詰め込んで2段重ねにしてあちこちに積んであるんですね。1か所、見に行ったんですが、何とフレコンバッグの下から草が生えているんですね。里山の真ん中ですよ。一緒に行った方が測ったら1.98μSv。あのきれいな里山で、もう除染が終わって帰ってきて、みんなで生活しましょうというところの現場がそういう状況です。それだけじゃなく、川内村にしろ、都路にしろ、みんな、今、お帰り、お帰りと言われているところの現実はそういうことだと思うんです。
 さっき、河合先生が大変上手に、飯館村の歌を歌われましたけど、浪江町の駅前にも、足をこう、踏むと、「高原の駅よ、さようなら」という歌が出てくるのがあるんですよ。そういう町、村、そういうものがまとめてこういう悲惨な状況にある。これはやっぱり怒んなければダメです。怒って怒り抜かなければ、ダメだと思います。今、賠償の問題も含めて、東電だけではなく、この国の姿勢というのは、かなり露骨になってきていると思います。子どもたちの甲状腺のあれだけのことも無視しながら、ブルドーザーのように再稼働に進むという姿勢がはっきりしていると思う。しかも向こう、というか進める側には日本だけでなく、バックにいる国際的な大きな力が働いて、我々のこういう現実を戦車のように、踏みつぶそうとしているのが現実だと思います。それをしっかり見極めた上で、やっぱり一歩一歩、苦しけど怒って、その怒りをエネルギーにしてこれからもやって行きたいと思います。
 去年でしたが、武藤類子さんが関西の方で話された「炭火の話」というのを、わたし、いつも思い起こすんですが、最初、カッカと赤い炎を出してくれる。しかし、本当に一番熱を発するのは、その赤いのが退いて、白くなったときだと、こういうお話を聞いてわたし、ずっと考え込んでいます。たしかに一番熱いのは炎が燃えて白くなった時だと思うけど、ほっておくと、灰になって終わっちゃうんですね。終わってしまってはダメだと思います。燃料を次々と補給しながら、熱を出して、いつまでも熱を出して、この現実をひっくり返すように、皆さんと共に微力ですが、ガンバって行きたいと思います。よろしくお願いします。

千葉由美さん(いわきの初期被ばくを追及するママの会)

千葉さん

「いわきの初期被曝を追及するママの会」の共同代表をしております。わたしはこの原発事故が起こるまで、いろんなことを意識しないままに、ちょっとぼんやりとして生きて来てしまったことをとても反省をしているんですけれども、今、みなさんが怒るべきだ、声をあげるべきだとおっしゃっています。わたしたち、子どもを育てている母親は、母性のエネルギーをふるい立たせて、問題に向き合っていかなければならない、と思うんですが、お母さんたちが、勇気を出して立ちあがって、声をあげることがどれほど大変なことか、ということを感じながら過ごしてきた2年半ほどでした。ちょっと冷静に振り返って、用意した文章を読ませていただきます。
 原発事故から2年半が過ぎようとしています。今もこうして、諦めることなく声をあげ、間違いを正すために、問題に立ち向かっている皆さんとともにこの場に立つことが出来ることを誇りに思います。このような言葉を発することが自分への決意表明でもあり、そうでもしなければ救いようがないほど、特に原発事故後の日本という国は、絶望感でいっぱいの状況となっているように感じます。多くの犠牲者を生み出していながら、罪を犯した人間を処罰することも出来ず、さまざまなことが煙に巻かれるようにごまかしのなかに置き去りにされ、責任の所在を追及することが出来ないために見失った怒りやかなしみの矛先は方々に向かって、やり場のない言葉や叫びと共に、深くて大きな闇の世界を作り出してしまっています。
 原発事故という、あってはならない事態が起こっていながら、目には見えない放射能による被害がもたらした世界は見えないから、見えないようにしてフタをするという、強引な進め方によって、いくらでも不誠実な対応が許されてしまっています。それはまるで、物語の中の世界のように、結末には必ず痛い思いが待っているという展開を分かっていながらも、窺っているような、そんな状況のようにすら、感じてしまいます。経済復興のためには、そうするしかないという、分かってはいるけれども、そうするしかないという苦し紛れの立場に立たされてしまっている人たちは、どのようにして自分の魂の声とのバランスをとっているのだろうと、そのような目線を持たなければ、問題を解決することが出来ないということに気づかされた2年半でもありました。責任の追及が出来ないことによって、仕方なくそうせざるを得ない今の復興の形は、本当はそれぞれが迷いながら、苦しみを伴っているのではないでしょうか。原発事故の影響を受けていながら、明るく元気を装い、元に戻りました、ガンバっています、と言わなければ進まない復興の中で、自分の良心と闘っている人は沢山いるのではないでしょうか。そのような葛藤を生み出してしまっている原発事故の悲劇をわたしたちは伝えなければならないと思っています。まだまだ伝わっていないばかりか、自分の思いを語ることすら出来ていない原発事故後の福島のことを関心を持って知ってもらうことが、原発の再稼働を止めるために必要なことだと思っています。
 意見の相違から生まれる対立は苦しみや悲しみを生むばかりです。なぜ、同じ方向を向いて進むことが出来ないのか、を見つめながら、本当は誰しもが望んでいるであろう平和な世の中の実現のために、冷静に事態を改善する方法を模索しなければならないと思っています。この現実の中に生きながら、この問題をどのようにとらえるのか、ということを突きつけられている今、わたしは子どもを持つ母親として、原発事故前は本当に何も分からないままに生きてきてしまったことを後悔しており、当事者になってみなければわからない痛みや悲しみを経験し、この惨状を二度と繰り返してはならないという思いで、今は生きています。原発事故の被害を受けた福島県に生きるわたしたちは、日本の未来に対して大きな責任を持つ存在となってしまったことを覚悟して受け入れなければならないのだと思います。事態をきちと把握せずに楽観視をしてこの場を見過ごしてしまうことは、重大な責任を放棄してしまうことのように感じます。その責任を感じながらも、未だに声をあげることが出来ずに苦しんでいる人や、それぞれの立場や関係性の中でむずかしいところに立たされ、自分の思いとは別のところで生きなければならない人がたくさんいます。そして誰かを傷つけまいとして、自分の感情にふたをして閉じ込めることで、罪悪感を募らせている人がたくさんいます。このように多くの闇を生み出してしまっている世界を見ながら、平和な未来、明るい未来の道は程遠いと感じます。そんな夢も希望もないような未来へ子どもたちを送りださなければならないということを、親として悲しく思います。このまま強行に自民党政権が押し進めようとしている原発の再稼働や憲法の改定などを許してしまうことは、未来を放棄することであり、子どもたちに対してはますます顔向けが出来ません。
 そのようなことに加担している人たちは、たとえこの先、惨状が繰り返されたとしても、自分の身には決してふりかからないであろうという、痛みがわからない立場の方々であり、痛みを経験しているわたしたちからの心からの叫びなどは届かないところにいらっしゃるのだろうと思います。市民の力などちっぽけなものであり、そんなものは痛くもかゆくもないと思っているのかも知れませんが、いつの時代も尊いものは共通しているということを信じたいという思いもあり、市民一人ひとりが誇りを持って生きることが出来れば、きっといつかそれは大きな力となって、事態を動かすことになるということを信じながら、最善を目ざす日々です。
 わたしは一人の母親として、こどもたちの未来を奪うような、今の日本のあり方を許すことは出来ません。直ちに影響がないという無責任な言葉からスタートした原発事故後の対応の数々は、今でも変わりなく続いており、子どもを取り巻く環境は本当に最悪な状況です。子どもを預けている教育の現場はまるで戦場であり、教師たちは子どもを守ってはくれません。一人ひとりの思いがどうなのか、を見れば絶望ばかりではないのかも知れませんが、文部科学省という原発推進の組織の下にある教育現場に放射能対策を求めても、被ばくの影響を認めないというかたくなな姿勢が、子どもたちを守らないという、ありえない事態をうみ出しています。
 地元行政も同じく、いのちと健康を守りたいので、対策を求めたいというわたしたちの声はずっと無視をされたままです。そんな状況のなかに生きながらも、子どもたちは未来を信じており、わたしたち大人を信じています。わたしたちが立ちあがらなければ、こどもたちはこのまま放置されたまま、守られることもなく、原発事故の影響を受け入れるだけの理不尽さを許すことになってしまいます。収束のめどの立たない原発という存在を背負わされることになってしまった子どもたちに対して、謝罪するどころか、責任も取ろうとしていない国と東電に対して過ちを認めさせ、二度と繰り返さないという誓いの言葉を認めなければ、わたしたちは子どもたちに対して、原発事故のことを説明出来ないばかりか、希望を渡すことも出来ません。
 どんなことが起ころうと、未来には希望があり、願い続ければきっと叶うということを子どもたちに伝えるためにも、わたしたち大人一人ひとりが自分の足で立ち、今を強く生きなければならないのだ、と思います。今、わたしたちに求められていることは、これからの未来をどう築いていくか、ということを自分自身に表明することであり、行動を伴ったリアルな言葉で、福島を変える、日本を変える、未来を変えると宣言することだと思います。立ちあがった皆さんとともに、今を生きる一人となって、これからもあきらめることなく、歩みを続けて行きたいと思っています。がんばりましょう!

浅田眞理子さん(都路から金沢へ避難)
司会:浅田さんは都路から金沢へ避難して生活をされておられます。
浅田:(拍手)ありがとうございます。そんなに拍手をしていただけるようなお話ができないと思うんですけれども。

浅田さん

 私は18年前に東京から、当時、都路村と言っていたところに移り住みました。
で、自然農という方法で、田んぼでは稲を,畑では豆や雑穀、野菜を作って自給的な生活をしていました。我が家に訪れるのは小鳥やリスやウサギ、そしてかえるとか蛇とか、本当に自然いっぱい、次々と咲き乱れる草花や木々とかに囲まれて本当に毎日が新鮮で満ちたりた生活でした。
 原発が爆発したその日の夜に金沢の友人が「遠い方がいいんじゃないか、逃げてこい」という電話がありました。そのすぐあとに避難指示がありまして、金沢へ向かいました。最初の1週間は友人のところで居候しました。
それからすぐ金沢市が市営住宅を用意してくださってそこに入りました。ただ6か月という約束でしたので、入った直後から家を探し始めて、本当に親切な方がいて、戸建ての住宅を貸してくださりそこに住んでいたんですけれども、やっぱり畑がやりたくて。で、去年の春に畑を紹介してくださる方がいて、近くに空き家もありましたので、去年からはそちらの方に移り住んでいます。

 私たちの避難生活はとても恵まれていると思っています。
だからこそ金沢での生活は反原発活動、集会や講演会に参加したりして、多くの時間を費やしています。
 この2年5ヶ月、本当に何度も何度も打ちのめされました。事故当初からの国の対応の仕方とか県の対応の仕方とか、本当に私たちが望んでいることとは正反対のことが多くて。特に大飯原発の再稼働や、衆参議院の選挙の結果にはもうほんと打ちのめされて、絶望の底をみたような気がします。それでも気を取り直してまだ生き続けています。そのつど、気を取り直すんですけれども、この告訴団も私にとって希望の一つです。先ほど力強い河合先生のお話を聞いて、またがんばらなくてはという気持ちがわきました。
 また、心ある人々との出会いが私たちに力を与えてくれていると思います。
 そのお話をちょっとさせてください。

 つい最近金沢に保養に来たお母様方との懇談会がありました。福島県での心を開けない生活を皆さん、涙ながらに語ってくださいました。その保養プロジェクトを主催した若い方なんですが、避難者とのつながりが持てればここに住んでいる人もやがて避難するという選択をするかもしれない、そういう深い思いを持って、私たちを招待してくれたということを、あとで聞きました。
 また7月31日には避難者の権利を守る政府交渉の場にも呼ばれました。私たち避難者のために多くの方が力を尽くしてくださる。その様子にただただ感謝しありがたいと本当に思いました。
 参院選後に三宅洋平さんがかなり話題になっておりますけれども、金沢でも若い人たちが三宅洋平さんのライブ中継を企画して「政治を語る会」を2度も開いてくれました。また、他の方法で「政治を語る会」を主催した青年にもお会いしました。
 いま、あきらめないことの重要性を自分自身に言い聞かせています。
 そして一方では前のように自然の営みにあわせた心おだやかな生活をすることこそ大切なんだということを思っています。
 自然農2年目の畑では思うような収穫はありません。でも振り返ってみたら、都路でも初めはとても人に見せられるような畑ではありませんでした。それと同じように、あきらめず、人と人とつながり続けて行けば、原発のない、平和で一人一人が自らをいかせるような生き方ができる世の中を作り上げることができるんじゃないかと夢見ています。
 この告訴団においてもあきらめず、できることを続けて行きましょう。つながり続けましょう。ありがとうございました。

・神田香織さんのスピーチ(別途アップ予定)

(まとめ:あっきい、けろっぷ、写真:nomorefukushima2011さんの録画より)

終戦の日に愛を叫ぶ!~オープンマイクのお知らせ

第39回オープンマイクのお知らせが主催者の浦邊力(うらべ・ちから)さんから届きました。
オープンマイクは毎月第1・第3木曜日の夜にテント前で行われている自由参加型のイベントです。
お盆のこの時期、霞ヶ関はいつもより人通りが少なくなりそうですが、テントはお盆休みもなく「脱原発」の声を上げ続けます。
座り込みを兼ねて、お誘いあわせの上、ぜひ足をお運びください。
もちろん、歌、楽器演奏、詩の朗読、ダンス等々、いろいろな表現での出演も大歓迎です。

第三十九回「After 311~霞ヶ関の中心で愛を叫ぶ!!」
お盆ざわわスペシャル
経産省前テントひろばオープマイク



2013年8月15日(木)18:00~21:00
【歌うたい、ミュージシャン、詩人、役者、その他表現者各位へ】



第三十八回8月1日(木)はカスチュー始まって以来の他のエントリー無しで、2時間30分の〝浦邉力〟のワンマンライブとなってしまいました。
さてさて、次回第三十九回は8月15日のお盆&終戦(敗戦)記念日です。
自民党は「原発事故で死んだ人はいない」と言ったり、「戦争行かないと死刑」と言ったり、「ナチスに学んでこっそり憲法変える」と言ったり、本当にメチャクチャです。
悲しく、悲惨な歴史をないがしろにするにもほどがあります。
今回、お盆ざわわスペシャルとして、特に戦争や平和に関するメッセージを訴える表現者、もしくは、死者の声を代弁したり、聴くことの出来る方(霊能力者やイタコさんも可)も数多くご参加下さい。
もちろん、それ以外のことが言いたい方も今まで通り来て下さい。
熱いライブを演りましょう(^O^)V!
ノルマ、ギャラもちろん無し(笑)♪
しかし、ライブ後〝しゃべり場〟可♪
あと、ネット中継してくれる方も募集します。

持ち時間1人10分前後(一夜につき10人程度、場合により飛び入り可、但し21時以降完全音出し禁止)。
お問い合わせはメールでchikarasongs@hotmail.com (浦邉 力)まで


1組目が18時00分スタート(多少前後有り)
雨天は状況によっては順延せずにマイク無しで演る場合もありますが、濡れる覚悟でお願いします。その他状況はツイッター @chikara69 でつぶやきます。(出演者にはメールを送ります)

強制捜査はまだか!! ~告訴受理から1年を迎えて~ いわき報告1

本ブログ7月30日付けでご案内した「強制捜査はまだか!! ~告訴受理から1年を迎えて~」の集会が8月4日(日)いわき市文化センター大ホールで行われました。会場には県内はもとより広く各地から300名を超える人が集まりました。プログラムは以下のとおりです。進行役は人見やよいさん。
録画:https://www.youtube.com/watch?v=BN62JA4haq0


プログラム (文末の数字は録画の開始時刻)
団長 武藤類子さん 挨拶・この1年間を振り返るスライドショー 0:01:59

武藤類子さん
▲武藤類子さん

「皆さん、暑い中をありがとうございます。時がたつのは早いもので、第一次告訴から1年の月日が流れました。その日のことをわたしはとてもよく覚えています。その日は福島市で開かれた「原発政策に対する意見聴取の会」に出ていました。選ばれた30人の県民のほとんどは原発をなくしたいと次々に述べていました。
あれから、たった1年、政権が替わり、原発の再稼働、海外への輸出と、まるで事故などなかったような、そんな有様に驚きます。検察は100人以上の人々から事情聴取をしたと報道などから聞こえてきますが、わたしたちが何度も訴え続けている強制捜査は未だに行われていません。原発事故から2年5ヶ月、わたしたちの被害は続き、さらに拡大しています。原子炉からは空へ海へ放射能が放出され続けています。汚染水はたまり続け、高濃度の汚染水が海へ漏れ出していたことを、東電はようやく認めました。原発や除染作業員たちのおびただしい被ばく、危険手当の不払い、荒れ果てる警戒区域、帰れない故郷の一方で、区域の再編による帰還政策、積み上げられた除染による放射性物質、住民の意向を無視するかのような焼却施設が次々と造られようとしています。
正当な賠償はされず、自主避難者の県外支援は打ち切られ、福島へ戻るしかない人も沢山います。新聞報道ではまたもや、起訴はむずかしいなどの記事が流布されています。しかし、このような甚大な被害を前に、東京電力や国の犯罪性は明確です。わたしたちは強制捜査と起訴を強く求めるために、1年目の今日、再びここで集まっています。民主主義の仕組みのもとに、この巨大犯罪が明確にされ、正しく裁かれるように、祈るような気もちで集まっています。

今日は皆さんに告訴団の新しい活動を紹介します。今回の告訴・告発に際して全国の皆さんから7000通の陳述書を頂いています。その1つひとつには多くの悲しみと怒りが溢れています。この陳述書を本にすることにし、作業を進めて来ました。この事故が風化して忘れられていくような今、この事故がどのようなものだったのか、何をもたらし、何を奪ったのかを心に刻んでおくことが必要だと思います。本来は検察に出されたものですが、たくさんの人々に読んでいただきたく、書籍化に踏み切ました。本当なら、承諾をいただいた全員の方の陳述書を取りあげたいのですが、諸般の事情から、福島県民50名の方を選ばせていただきました。8月末にブックレットの形で刊行します。(株)金曜日よりの出版です。落合恵子さんが「まえがき」を書いてくださいました。ご期待ください。
福島で被ばく対応の努力をしながら暮らす人も、福島の地に遠くからお出でくださった方々も、今日一日、共に過ごし、共につながりを確かめ合いましょう。そして力を合わせて、この事故の責任を追及していきましょう。どんな時代にあっても、どんな状況にあっても、暗闇に光るホタルのように生きていきましょう。

広瀬隆さんゲストスピーチ「ゴーストタウン2013年7月の惨状」0:07:34

広瀬隆さん
▲広瀬隆さん

広瀬さんは先月、広河隆一さん(DAYS JAPAN 編集長)、藤田祐幸さん(物理学者)とともに福島で一番の危険地帯を調査してきた報告をしてくださった(パワーポイント使用)。
「滞在に制限時間があるということは危険だということ、そこに長くいられないということなんです」。「車で広野町から楢葉、富岡、大熊、双葉町、浪江町と30キロ圏内を走った」。「東京で言うと、東京駅から立川、横浜、千葉、さいたまをつないだ圏内が廃墟になっているんです」。
日本全土で余り汚染していない地域の平均的な空間線量は毎時0.02-0.05µSvくらいであり、1µSvあれば危険である。双葉町農村広場55µSv、大熊町広域避難場所320µSvなど、訪れた各地での計測値をあげながら、それがチェルノブイリ原発事故の汚染地帯と比較しても、ずっと高い線量であることを指摘。
「今年4月に『チェルノブイリ被害の全貌』(岩波書店)という翻訳書が出た。わたしは2年前から英文で読んでいたが、その中で30kmゾーンに関する数字は日本では関係ないと思って読み飛ばしていた。しかし、今の日本の状況はそれを上回るものになっている」。
(山下俊一の発言を引用して)「許せない!! 許すべきではない。関わった人間すべて。地検はなぜ強制捜査をしないのか」
安倍内閣の日本政府はこの町に住民を帰還させようとしている。正気ではない。それが現在の国会議員たちだ!! ここに住まわせるべきだ」。
「ゴーストタウンを作った、このこと自体がもう犯罪ですよ!住んでいた人達を追い出した」。「何で鮫川で焼却をしますか。この上にまた、放射能を降らせますか。許されないですよ。ともかくみんなで地検をつるしあげたいと思います」という怒りのこもった言葉で結ばれた。
 広瀬さんたちの調査の詳しい報告は8月20日発売の「DAYS JAPAN」9月号に発表されるそうです。

河合弘之弁護士からの報告 0:29:15

河合弁護士
▲河合弘之弁護士

 「こんな赤いシャツを着てますけど、一応、弁護士です(笑)。
広瀬さんのお話にあったように、今、日本の国土が大きく喪失しているという状態です。放射能に高度に汚染された部分は外国に侵略された状態よりも悪い状態だと思います。外国に侵略されたら、交渉ごとやいろんな圧力によってどけることが出来ますけど、放射能はどけられません。その部分はボコッと陥没して使えないのと同じ状態、それも永久に使えないような状態になってきていると思います。単に国土の問題ではなく、そこに住んでいた人達に大変な不幸をもたらしている、ということは皆さん、本当に怒りをもって感じていらっしゃることだと思います。職を失い、家族が別れ別れになり、コミュニティが崩壊し、しなくてもいい選択を毎日まいにちさせられながら生きている皆さんをお気の毒だと思うし、怒りをもって共感します。
 こんなことにしたのは誰か、一次的に言えば、東京電力であるし、東京電力の役員、そしてそれにからめとられて言いなりになっていた経産省の役人たち、言いなりになっていただけではなく、一緒に原発を推進してきた。そういう人たちの責任を問わなくていいのか、という我々の怒りが去年、集団告訴・告発という形で現れました。第二次世界大戦以後、最大の国難、最大の公害事故、最大の被害を起こしておきながら、誰も刑事処罰を受けていない、これは非常に奇妙なことです。
雪印のことを考えてください。ちょっと使用期限を過ぎた牛乳を出して下痢をした人がいた。それで強制捜査、逮捕、起訴。オリンパスの事件でもそうです。事故が発覚したら、すぐに強制捜査が入って、逮捕、起訴。それに比べて、福島の事故って、どれ位の被害なのか。それらの何百万倍もの被害を国民や国に与えているじゃないですか。だけど、その人たちの責任はいまだに問われていない。わたしたちがこの刑事告訴をしなかったら、もうみんな、ほっかむりをして終わりだったんですよ。
 僕らがこれだけヤンヤ言っても、強制捜査に着手しない検察や警察が、僕たちが黙っていたらどうなっていると思いますか?今頃、完全に事件は忘れ去られています。我々はそういう権力側に石を投げ込んだ。鎮まろうとしている大きな澱んだ池にわたしたちは大きな石をボーンと1年前に投げ込んだ。それだけでも、すでに成果があったとわたしは思っています。また、そのように考えていいと思います。

 検察は始めっから、告訴なんか起きなきゃいいな、と思っていたんです。そこに我々はドーンと石を投げ込んだ。そして権力に対して、喉に大きな骨を刺したんです。
さぁ、この骨がどうなるか。今、正念場に来ています。しかし、検察は権力の内部のかばい合いをして非常に消極的です。国策に協力した、その間に事故が起きたんだから、しょうがないよね、刑事事件にはならないよね、というのが、基本的に検察官の考えのように思われます。
わたしたちは何回も何回も、福島地検にも東京地検にも通いましたけど、検察官はわたしたちに非常に慇懃には対応しますが、基本的にはそういう立場を崩しません。
 しかし、これだけの被害を国民に与えておいて、それも肉体的、精神的、経済的、全人格的被害を与えておきながら、何も刑罰を受けないということは、たとえば、第二次世界大戦におけるA級戦犯の人たちが何も刑罰を受けないで、そのまま社会で自由に歩き回っているのと同じことです。あの第二次世界大戦のときには幸か不幸か、連合軍が極東裁判というのをやって、A級戦犯を罰しました。しかし、あれがなかったら日本人は、自国の権力を用いて戦争犯罪人を処罰できただろうか。わたしは多分、できなかっただろうと思います。日本はそういう国です。自浄作用が出来ない国、ほっておけば、なぁなぁでうやむやに済ましちゃう国です。
だから、わたしたちはそういうことは許さないということで、この刑事告訴をした、ということは皆さんも各々、わかっていらっしゃることだと思います。そうは言いながらも、ある程度情勢は動いています。東電がやや方針を変えたからです。

今までは全く予想出来ない、想定出来ない地震と津波が来たのだから、自分たちには全く責任がないという立場をとっていました。東京電力の事故調の報告書はそれに終始しています。
ところが、去年の11月および今年3月に出た東京電力のタスクフォースの報告書は、ある程度、予測することが可能だった、それに対して対策をとらなかったことを反省すると言い出しました。これはきちんと公文書に出ていることですし、皆さんも確認することができます。
わたしたちは、そのタスクフォースの報告書を東京地検に出しました。「東京電力でさえ、過失を認めているんだ、犯人でさえ過失を認めているのに、なんで逮捕しないんだ!」ということを、わたしたちは強く言いました(拍手)。
では、タスクフォースの反省を額面通りに受け取っていいか、というとちょっと問題があります。なぜ、東京電力はそういう方針を変えたか。いままでは旧原子力経営陣を丸抱えで自己弁護していたのですけれども、ある程度、切り離しにかかった。それは一種のトカゲのしっぽ切りです。それはなんのためか。柏崎刈羽を再稼働するためです。俺たちは何も悪くなかった。福島原発の事故はしょうがなかったんだ。だけど、柏崎刈羽は再稼働させてくれ。それじゃ通らないということを彼らは考えたんですね。だからいったん反省してみせる。福島第一原発については、やはり足りないところがあった。よく事故分析もしてみた、反省もした、改善もした。柏崎刈羽では改善もしている。だから再稼働させてください、という論理以外に柏崎刈羽を再稼働させる道はないし、柏崎刈羽を再稼働しなければ、会社として存続する道はない、という風に彼らは見切った。
 そういう意味ではわたしたちに情勢は有利に進んでいる。それにもかかわらず、最近の新聞報道によれば、8月中旬か下旬には不起訴の処分が出そうだという風になっています。東京電力自身が組織として過失があったことをほぼ認めているのに、どういう理由で不起訴にしようとしているのかな、と言うのが、わたしは正直、疑問に思います。

報道なんかでは非常に単純な内容で、(津波は)15.7mという予測が部内であったけれども、それはまだ試算の段階だから、しようがない、それに対して、例えば16mの防潮堤を築くには大変なお金、記録によれば数百億円と書いてあります。多分、16mの防潮堤を十分な長さ築くには2000億円ぐらいかかると思います。浜岡原発の例でもすでに1500億くらい、かかっている。2000億かけるというのはムリな注文だという形で、不起訴になるんではないか、不起訴になってもしようがないよね、という大新聞の記事が出ている訳です。
 わたしたちはそれに対して、もうすでに福島地検、東京地検に反論を出してあります。防潮堤を築くのが大変だったら、ほかにもお金もかからず、期間もかからない対策がいくらでもあるでしょ、と。
 たとえば、外部電源が喪失したから、あの事故が始まった。鉄塔が倒れないようにしておくだけでも、あの事故の第一歩はなくなった、第一歩がなくなったということは、その後の展開はなかったんです。鉄塔とか、電線をきちんと強化しておくこと、皆さん、ご存知のように非常用ディーゼル発電機が同じ場所に2台あって、同時に冠水して同時にアウトになった、という非常にバカげた話がありますよね。ああいうことは当然、予想出来るんだから、2台を離して置いておく。それはそんなにお金のかかることではない。2台を両方とも高いところにあげておく。これもそんなに大してお金のかかることではありません。電気を外から受ける受電盤、それが水没してアウトになったわけですが、そこをきちんと防水加工しておくことは、そんなにお金のかかることじゃない。
 あれもやればよかった、これもやればよかったということはいくらでもある。ところが東京電力は何一つ、それをしなかったんです。だからそういう俗論には説得力がないんですよ、ということを東京電力、地検に言ってあります。そういうことを乗り越えて、不起訴にするならしてみろ!もし、そんなことをしたら、わたしたちは絶対に検察審議会に申し立てをして、何回でも申し立てをして、強制起訴にこぎつけるぞ、ということまで検察官に言ってあります(拍手)。
告訴をする前とした後に、被害をきちんと目でもう一回見ておきたいということで、飯館村に行ってきました。村の役場前にお地蔵さんが置いてあります。お地蔵さんの頭をさわると、村民歌が流れます、と書いてある。頭をなでると、少年少女合唱団の美しい二部合唱が流れてきました今からその歌を歌います(0:45:24 河合先生の美声が流れます)。
飯館村はみんなで力を合わせて、成功していた素晴らしい村だったんです。それがたった3日でああいう状態になってしまった。この歌を聞き、僕の背丈よりも高い草ぼうぼうになった畑や田んぼを見たときに、東京電力はこれをどうやって償うんだと思いました。それにはやっぱりそれだけの罪を受けていただくしかない。それでも償うことはできないけれど、こんなことにしてしまった東京電力の役員をこのまま放置しておくということは、ホントに正義に反すると思いました(拍手)。
 わたしたちはこの正義を貫くことから日本中の原発をなくしていくまで、闘いを今日も明日もずっと続けなければいけません(拍手)。東京地検、福島地検が我々の意に沿う処置を簡単にしてくれるとは思いません。それは勝ち取るしかないんです。勝つまで戦うしかないんです。わたしたちは絶対、負けることはありません。勝つまで戦う、こういう決意でこれからの闘いをさらに強化して行きたいと、皆さんと共にお誓いをしたいと思います。ありがとうございました。
(続く)
(まとめ:あっきい 写真:nomorefukushima2011さんの録画より)

ブックレット「これでも罪を問えないのですか!」を発刊

福島原発告訴団のHPより転載致します。

ブックレット「これでも罪を問えないのですか!」を発刊します!

2013年8月末、私たちの想いが詰まったブックレットが発行されます。提出した約7000通の陳述書の中から、50通を抜粋しました。子どもから高齢者までさまざまな立場から、福島原発事故の責任を強く問いかけます。ぜひ多くの方に読んでいただきたいと思います。そして「福島原発事故の責任は、責任ある人たちに必ず取らせるべき!」「このまま、うやむやにすべきではない!」の世論を高め、検察の背中を力強く押そうではありませんか。

全国の書店にてご予約ください。
福島原発告訴団の事務局でも販売いたします(送料無料)。下記に注文票があります。必要事項を明記して、メールかFAXでお申し込みください。

福島原発告訴団・編
これでも罪を問えないのですか! 福島原発告訴団50人の陳述書

版形:ブックレットサイズ約130ページ
定価:840円(本体800円)
発行:(株)金曜日
ISBN:978-4-906605-91-0

koredemo.jpg

moushikomisyo.jpg

ブックレット注文票(PDF) ←注文票のPDFはこちらをクリックください!


▼被災者陳述書出版へ 福島原発告訴団「生の声聞いて」(産経)
koredemo-sankei.jpg


福島原発告訴団HP(http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.jp/

【拡散希望】朝日新聞報道を受けて

福島原発告訴団からの転送です。

2013年8月10日土曜日
【拡散希望】朝日新聞報道を受けて。
本日、朝日新聞の1面トップに「原発事故全員不起訴へ」という記事が掲載されました。
原発事故、全員が不起訴へ 東電前会長や菅元首相ら

福島の告訴団の電話には、早朝から「不起訴は許せない」、「地検に抗議の電話しました」、「がんばってください」と、ひっきりなしにかかってきています。
弁護団が、「不起訴報道」に対して、「反論の投稿をしよう」とコメントを作成し、朝日新聞に連絡しましたが、「今回は掲載を見合わせる」という返事が返ってきました。
そこで、「不起訴報道への反論稿」を以下に掲載いたします。みなさま、広く拡散をお願いいたします。

また、8月9日の朝日新聞の一面記事は、「福島原発告訴団の告訴」と、別の方々の告訴(数件)もいっしょにして、まとめて書かれています。福島原発告訴団は「菅直人元首相」、「枝野幸男元官房長官」、「海江田万里元経済産業相」を告訴していません。

・被告訴人名簿はこちらです。

・勝俣 恒久 東京電力株式会社 取締役会長
・皷 紀男 東京電力株式会社 取締役副社長 福島原子力被災者支援対策本部名長原子力・立地本部副本部長
・西澤 俊夫 東京電力株式会社 取締役社長
・相澤 善吾 東京電力株式会社 取締役副社長 原子力・立地本部長
・小森 明生 東京電力株式会社 常務取締役原子力・立地本部副本部長兼福島第一安定化センター所長 
・清水 正孝 東京電力株式会社 前・取締役社長
・藤原 万喜夫 東京電力株式会社 常任監査役・監査役会会長
・武藤 栄 東京電力株式会社 前・取締役副社長原子力・立地本部長
・武黒 一郎 東京電力株式会社 元・取締役副社長原子力・立地本部長
・田村 滋美 東京電力株式会社 元・取締役会長倫理担当
・服部 拓也 東京電力株式会社 元・取締役副社長
・南 直哉 東京電力株式会社 元・取締役社長・電気事業連合会会長
・荒木 浩 東京電力株式会社 元・取締役会長・日本経済団体連合会副会長
・榎本 聰明 東京電力株式会社 元・取締役副社長原子力本部長
・吉田 昌郎 東京電力株式会社 元・原子力設備管理部長、前・第一原発所長
・班目 春樹 原子力安全委員会委員長
・久木田 豊 同委員長代理
・久住 静代 同委員
・小山田 修 同委員
・代谷 誠治 同委員
・鈴木 篤之 前・同委員会委員長(現・日本原子力研究開発機構理事長)
・寺坂 信昭 原子力安全・保安院長
・松永 和夫 元・同院長(現・経済産業省事務次官)
・広瀬 研吉 元・同院長(現・内閣参与)
・衣笠 善博 東京工業大学名誉教授(総合資源エネルギー調査会原子力安全・保安部会耐震・構造設計小委員 地震・津波・地質・地盤合同WGサブグループ「グループA」主査、総合資源エネルギー調査会原子力安全・保安部会耐震・構造設計小委員会地震・津波・地質・地盤合同WG委員)
・近藤 駿介 原子力委員会委員長
・板東 久美子 前・文部科学省生涯学習政策局長(現・同省高等教育局長)
・山中 伸一 前・文部科学省初等中等教育局長(現・文部科学審議官)
・合田 隆史 前・文部科学省科学技術政策局長(現・同省生涯学習政策局長)
・布村 幸彦 前・文部科学省スポーツ・青少年局長(現・同省初等中等教育局長)
・山下 俊一 福島県放射線健康リスク管理アドバイザー(福島県立医科大学副学長、日本甲状腺学会理事長)
・神谷 研二 福島県放射線健康リスク管理アドバイザー(福島県立医科大学副学長、広島大学原爆放射線医科学研究所長)
・高村 昇 福島県放射線健康リスク管理アドバイザー(長崎大学大学院医歯薬学総合研究科教授)


【不起訴報道への反論稿】

何の津波対策もとらなかった東電免責はあり得ない

  河合 弘之(弁護士・福島原発告訴団弁護団代表)

 去る8月9日本紙朝刊に、月内にも福島原発事故について、我々が行っていた告訴・告発について不起訴処分がなされる方向で検察庁が調整に入っているという報道がなされた。記事において不起訴理由とされている点を取り上げ、告訴人らの考えを述べ、検察官・検察庁の再考を強く求めたい。

 本紙報道によると不起訴の理由は、「事故と災害関連死との因果関係はないとは言い切れない。今回のM9規模の大地震と津波は、専門家の間で予測されていたと言えず、事前に想定できたのはM8.3までだった。巨大津波の発生と対策の必要性を明確に指摘していた専門家も少なかった。東電が2008年に津波高さ15.7メートルと試算していた点についても、専門家の間で賛否が分かれ、東電も『実際には起きないだろう』と受け止め、対策を検討したものの、具体化は見送った。東電の津波対策は十分ではなかったものの、刑事責任を問うことは困難。」とされている。

 検察官の立脚する予見可能性の議論には次の疑問がある。15.7メートルの津波は東電内部の検討において確かに試算されていた。この原発の想定津波高はわずか6メートルであった。この地域でマグニチュード8.3程度の地震と高さ10メートル程度の津波が来ることは、地震と津波の専門家なら、だれもが頷く普通の想定であった。

 電源喪失を防止するための対策としては、防潮堤の設置だけでなく、外部電源の耐震性強化、非常用ディーゼル発電機とバッテリーの分散と高所設置等、構内電源設備の耐震性,耐津波性の強化など多様な措置がありえた。

 浜岡原発においては、老朽化した1,2号機は耐震補強を断念し、2008年には廃炉の決定がなされていた。福島第1原発1-3号機についても、同様の措置は十分あり得た。にもかかわらず、東京電力は一切何の対策もとらなかった。予測されたレベルの地震と津波対策を講じたにもかかわらず、それが不十分であったわけではない。東京電力自身が、原子力改革特別タスクフォースの報告において、結果を回避できた可能性を認めているのだ。

 事故以前の東京電力社内のすべての証拠を収集し、どのような検討がなされていたのかを解明するには、強制捜査による関係資料の押収が欠かせない。このことは、捜査機関として当然の責務だ。検察庁は、テレビ会議録画や社内メールなどの任意提出を受けただけで、今日まで強制捜査を実施していない。多くの市民の生命と生活、生業を根こそぎ奪ったこの事故について、強制捜査もしないで捜査を終結するような事態は絶対にあってはならない。検察内部の良心が検察庁を揺り動かし、強制捜査の実施と起訴が実現することを心から願ってやまない。

心に訴える暑中見舞いを~地検への『お葉書』作戦~

福島原発告訴団よりのお願いを転送掲載します。皆さま、「お葉書」作戦にご協力ください。


■福島原発告訴団より緊急のお願い:地検への『お葉書』作戦■

           “心に訴える暑中見舞い”を


************  <地検住所>  *************

    福島地方検察庁 〒960-8017 福島県福島市狐塚17番地
    東京地方検察庁 〒100-8903 東京都千代田区霞が関1丁目1-1

*********************************


○ 夏ですから、出かけた先から飛び切りきれいな絵はがきで、まず自然称賛の文面を。
または手持ちのステキな絵はがきなどを使って・・・
○ 「でも、ここから放射線が・・・」とか、「一瞬で灰色に」など福島原発震災に対する思いを書く。
○ それに加えて以下のようなひとことを添えて結びとする。

「早く強制捜査を」
「どうして起訴しないのですか?」
「早く責任者の刑事責任を!どんどん証拠隠滅されてしまいます」
「東電本社の家宅捜査をしてこそ東京地検!」
「原発に家宅捜査に入ってください!」
「現場調査を」
「これでも法治国家といえますか?」
「海外でひんしゅくを買っています」
等々、心を込めて書きましょう!

○ 差出人の住所・氏名も、出来るだけ書く方が効果的です。
○ 仮に不起訴の決定が出ても、それへの異議を唱える文面に変えて、引き続き送ってください。

テントを守れ~川柳句会 7月

7月句会の席題は「新基準」と「違い」の2題、選者は乱鬼龍さん。

728脱原発川柳句会1


事前の広報が行き届かなかったため投句者は4名、途中で長谷川修児さん(詩人・81歳)が
参加。披講の後は長谷川さんのガリ版人生を聞くことになり盛り上がりました。いわゆるアナ
ログ人間、パソコンを使わず今でもガリ版で詩集を発表しているユニークなお爺さんです。
今回の景品はあの扇子に乱鬼龍さんの川柳を書いたモノ。さすがセンスがいいですね。

728脱原発川柳句会2

<違 い>
 特選:政策を超えて命の手を結べ /芒野
 秀句:原発は核爆弾と違いなし /エチゼンクラゲ
     選ぶべき道が違うぞ安倍晋三 /草地

<新基準>
 特選:運転の基準はいらぬ廃炉には /草地
 秀句:ボール替え大騒ぎだが毒は無視 /芒野
     日本だけ超人並だ放射能 /芒野


  次回は8月11日(日)14時からです。
  

(報告:わかち愛、写真:芒野)

柏から来た女性のスピーチ@裁判支援集会(7月22日)

 わたしは我孫子市、柏の近くから参りました。わたしの子ども夫婦と孫は柏の近くの手賀沼のふるさと公園の一角に住んでいます。原発事故が起こって約2年余り、子どもたちがそこで転げまわって遊んでいました。犬も大人も子どもも楽しんでいました。ところがつい3ヶ月くらい前から、そこにロープが張られるようになって、「危険につき、立ち入り禁止」になっているのです。どういうことですか。2年以上もたって、今頃、除染をやっているんです。いかに政治が怠慢であるか、いい加減であるか、政治家がウソつきであるか、ということをそういう現実を目の前にして痛感しました。

Image2柏柏

 わたしが原発を知ったのは約15年前です。勉強会で原発が50基以上も日本列島の海岸を取り囲んで、あることを知りました。日本の地図を見ると活断層が真っ赤になるくらい、塗られているんですね。そういうところに、なぜ50基以上の原発があるのか。販売したアメリカのメーカーですら、あんな狭い日本で事故があったら、どこに逃げるんだろう、と陰口があったそうです。
 それを政府、官僚が知らないわけがありません。知らないとしたら、それは怠慢というほか、ないのです。わたしもそれまでは原発というものを知らなかったんです。しかも知ってもなおかつ反対運動にまで投じることが出来なかった。福島で事故が起こってから、すごく自分自身の行動を後悔しました。やはり、反対っていう意思表示をしない限り、利権にまとわりついている政治家や企業家たちはどんどん、この原発を推し進めるのです。福島の原発だってそうです。
 あれはもっと10m位高いところに建設される予定だったんです。ところが、経費とかそういう問題で10m下に造られた。しかも安全神話を日本中にふりまいた。さて、事故が起こった。「想定外」のことであった。事故はすべて想定外だったんです。想定外のことを考えられなかった、というのは、これも怠慢なんです。
 その時の東電の技術開発者は、想定外のことであり、被害の大きさは予想できなかったと言います。それは単なる言い訳です。自分の身に危険が及ばなかったからと言って、それを言い訳にしていいものでしょうか。今、皆さんもご存知のように、日本の原発はほとんどが海辺の近いところにあります。どんなに高い堤防を造っても、この前の津波の破壊力をみればわかるように、打ちこわされるのは明白なんです。それでまた、事故が起これば、想定外で済ませるんでしょうか。日本人はどこに住むんでしょうか。

スイスの原子力安全対策委員が福島の事故が起こる前に日本に来ました。日本のセキュリティの甘さに驚いたそうです。スイスでは原発は2基しかありませんでした。格納容器は日本よりもっと大きくて水素がもれた場合の安全性に備えました。技術者も真っ暗ななかでも操作できるようにトレーニングしました。でも日本はどうですか?津波が襲ったから、電気が止まったから、と何もできなかったではありませんか。そしてベントして爆発しました。それを何だかんだと言い訳のみならず、今や、まだ海辺の近くの井戸からはセシウムが2ヶ月前の70倍から100倍の濃度で検出されているのに、それは爆発のときの汚泥から出たものだとウソぶいています。今も海に放射能は垂れ流しの状態なんです。ほとんどの国民は自分に直接、被害が及ばない限り、ものともせず、安倍政権の経済というのに踊らされています。

Image2柏2222

再生可能エネルギーの本格的な研究、開発、発展、流通によって、企業間が本当に本腰で切磋琢磨し、競争を強めるならば、原発の費用よりもうんと安くすむ、そういう競争力が生まれ、電気もとどこおりなく、皆さんの家庭、医療に送れるはずなんです。 
ドイツはそれを目ざして原発全廃を進めました。スイスも観光立国ですから、もし事故が起こったら、国自身が滅亡の危機になるんです。だから原発を止めました。日本は止めるどころか、まだこれから再稼働して、あわよくば新しい原発を造ろうと考えています。でも、その(使用済み)核燃料の捨て場もない。廃炉にするには、再生可能エネルギーの開発に費やすよりも何百倍の費用がかかるんです。しかもそれが何十年という年月に及びます。それを国民がもっと少しでも知るように、わたしたちが少しでも運動して、現実を分かっていただく、そして政治家が利権にしがみつかない、企業が自分たちの営利目的のためだけに経済を発展させることだけに目が行かないようにしなければなりません。そういう日本にして行かなければいけないと思います。少々の不便があっても、そこに至るまでわたしたちの努力が必要なんじゃないでしょうか。皆さんがこうして参加していただくことは、たとえそれが百万分の一の力であっても、それを少しづつ広めていかなければいけないということを、この運動に参加して実感としてとらえています。皆さん、声を上げましょう!
「原発はんた~い!」
「再稼働、はんた~い!」
「自民党は国民のことを本当に考えろ!」
 ご清聴、ありがとうございました。


*このスピーチはUplanさんの「東京地裁裁判がいよいよ始動」録画0:40:10からみることが出来ます。

(まとめ:あっきい、写真:Uplanさんの動画より)

7.22 脱テント裁判 第2回口頭弁論 報告会 (その6)澤地久枝さんの発言

 7/22テント裁判の報告会は16:00から 弁護士会館2Fで行われました。(その5)
参照。
 報告会ではテントひろば応援団の澤地久枝さんが発言されました。(長いのでブログの都合上、整理をさせていただきました。


澤地

■澤地久枝さんの発言
<懲りないんだろうか>
 きのうの参議院選挙の結果はやっぱりがっかりでした。でも投票所に行かなかった人が半分ちかくいるんですね。これはいかにみんなが政治離れをしているか、日本の政治は駄目だと思っているかのあらわれだと思います。
 
 民主党が勝って、民主党政権ができて、たちまち私たちの期待を裏切りました。政権をとるとすぐに消費税をあげると言いました。2011年12月には「収束宣言」を出しました。なんにも収束していないのに。こういう人たちが選挙で負けるのは当たり前ですけれども、替わって自民党がまたこんなに出てきて、安倍さんが憲法96条を変えるとか、TPPに入るとか、その他、私たちが望まないことをやるのがもう目に見えている。 憲法も変えようという馬鹿な政府の下に私たちはあるわけですけれども、もう、「投票所に行くのを止めた」っということは止めましょう。
 今までいっぱいそういう裏切りをやられてきているのに、日本人は懲りないんだろうかという気もちょっとします。でもね、やけどをすれば熱いんですよね。

 私は政府と、民主党の政府と自民党・公明党の政府の両方でが、それから国と、国っていうのは実体がないですけれども、私たちの上にある権力機構ですよね、それと電力会社が日本人から故郷を奪ったんだと思うんです。故郷が死んでしまったらそこに帰っていくことはできない。今は尖閣列島とか竹島とかいろいろ言っていますけれども、別にそんなところで領土争いをやって、ふたつの国の関係を悪くする必要はないんです。 日本の固有の土地であることが誰の目にもはっきりしていて、最も美しい土地であると認定したような福島県飯舘村を含めて、福島とその近辺の土地を人を住めないようにしたということを政府も東京電力もはっきり言いません。今避難している人たちはいつ故郷へ帰れるか。放射能というのはそれだけ怖いものなんで言えないのです。
 チェルノブイリの事故(1986年)から随分経ちますけれども、チェルノブイリは完全解放されたということはないわけですね。同様に、福島はもう戻せない。福島を殺してしまったこの国の責任というものを問いたいと思うんです。

写真Image2澤地
 
<テントを応援すること>
 原発事故はまだ終ってない。最近も“湯気が出た”という話がありましたね。湯気なんていうのはお風呂の湯気がたつなんていうくらいで、原発から、すごい建築物から湯気がたつなんていうのはおかしいんですが、それはまだ事故が進行形、英語でいうingなんですよね。
 私はテントのあたりを通るたびに、まだ今日はテントはある、と思ってたんです。でも新聞にもなにも出ないから、去年の5月にあそこで座り込みをしようと思って、瀬戸内寂聴さんに連絡をしました。あそこで私は2日間ハンストをしましたけれども、そうすれば、マスコミが動く。誰かが子どもを産んだというと父親は誰かといってワッと動くんですよね。一体なにが大事なことなのかを考えてほしい。マスコミはみんながどんなことを求めているかということをヒシヒシと感じ取るような神経をもっていかなきゃと思うんです。
 去年寂聴さんが食べないで1日座ったときはものすごく人がたくさんきたんですね、寂聴さんはなにがあっても私は命がけでいきますよ、といってらっしゃる。
 わたしはテントがいつとられるかと実は思っていたわけです。機動隊が入ってきて強制的にあれを排除しようとすればできなくはないんですね。だから、みんなかなり緊張して見守っているわけです。でもどうするかな、と思ってみていたら、自民党が政権をとったら今度のような訴訟になった。おまけに一千万円を超えるお金まで払えといってきた。でも国とか裁判所は、まず自分たちがやるべきことをもっときちんとやって、その上でテントが目障りならばどいて下さいといったらいいんです。だけど、国も電力会社もなにもしていないですね。

<原発で死んだ人>
 原発で死んだ人はいないと言って、あとで自分の発言をどうするか困ってしまった女の政治家がいました。しかし大勢の方が亡くなっています。普通の生活を営んでいたら、次の瞬間に住んでいる家も全部奪われ、そして家族が行方不明になって、生きるための働く手段も全部奪われてしまって、路頭に迷わされる。そういうような状態に突き落とした国というものが許せるかということだと思うんですね。
 亡くなった方のひとりは、私の息子くらいの年齢の人ですけれども、「ねえちゃんには大変お世話になりました。私の限度を超しました。ごめんなさい。」2011年6月10日、午後1時30分、こういう書置きを遺して自殺をしています。全部を奪われて、これからどうやってやっていこうかと考えたら、絶望しない人なんていないですよね。

 あと2、3の自殺をなさった方の声をご紹介したいと思います。
「原発さえなければと思います。残った酪農家は原発に負けました。頑張ってください。」こう言って。飯舘村で、もうここで牛を飼っていくのは無理だ、そして上からトサツせよという命令がきた。どうして家族のようにかわいがってきた牛を殺すことができるかと。
 まだ今も被爆を覚悟で餌を運んでいる人がいます。この人はいっぱい飢え死にした牛の遺体を目にしている。自分のところは500頭、餌をやり続けている。しかし、自分は被ばくをしている。それは覚悟の上で。

 それから、7歳と5歳の息子を遺して死んでいった人は、「仕事をする気力をなくしました。」というのが最後の言葉です。
 あるいは、102歳のおじいさんは「お前ら避難しなんねんだべ。おれがいたんでは足手まといだべ。」といって死んだって言うんですよね。102裁まで家族と普通の生活を営んでいた人がなにが起きたかということを考え、自分はこの愛する家族の足手まといになるだろうと考えた時に死を選んだ102歳のおじいさんがいたということを私たちは忘れちゃいけないだろうと思います。
 それからまた、93歳の南相馬市のおばあさんは「私はお墓に避難します。」と。

<再稼働なんてとんでもない> 
 福島の人たちに対する経済的な保障を、私たちから税金をとるだけとっておいて、何もしていないと私は思います。被災者に支払われるお金は僅かですね。
また、福島第一原発の作業員の2000人近くが100ミリを超す放射能を受けている。これは、あそこの現場では非常に厳しい緘口令が敷かれて、人々が「私はこういう経験をした」とか「こういう風に口を封じられました」とか言えないような仕組みになっている。そして業者の孫請けの更に下請けの、訳のわからないような、仕事がなくてなんにでも飛びつくような人たちが、いちばん大変な仕事をしているんですね。そういう状態の中で、被爆の程度も人数も公表されているよりずっと多いだろうと思います。早くその状態から解放されたいけれども、それをやりながらでもやはり原発をなくさなくてはならないですね。私は即刻全部、今動いているものを止めて、再稼働などはとんでもないですから、再稼働はさせないということを、やっぱりこれはわたしたちみんなの気持ちとして政府をゆさぶってやらなきゃならないだろうと思っております。

<東電の勝手を許さない>
 その一方で、東電は3回赤字決算をするわけにはいかないから、原発を再稼働させたいと平然と口にしましたね。あんな責任の重いことをやって、会社が税金を投入してもらっても赤字なのは当たり前だと思いますね。普通の企業はつぶれますよね。
 東電も電気代を上げている。また上がる。でもそんな勝手なことをさせてはならないんですね。
 経産省前のテントは、わたしたちの意思表示としてあそこにあると思います。あれをどけろとか、これだけのお金を払えとかいうならば、国は、あるいは東京電力は、被災した人たちが納得がいくようなきちっとした処置を、口先だけではなくて具体的な処置をとるべきですね。
 政府に対する、電力会社に対する批判をやめたわけではありません。わたしたちは忘れませんということを、思い知らせるためにあそこにテントがある。謙虚に座り込んでいるのが非常に意味があるんですね。
 目障りと言われようと、近代的な建物の前にがっちりテントがあって、私よりも十くらい年長の女性の方もいつもみえていますね。そういう年齢を問わない人たちがあそこに詰めていて、わたしたちは忘れない、わたしたちは要求するという声をあげつづけるということが非常に大切であろうとわたしは思っております。
 テントは、長く続くことは本当に大変ですけれども、でも答えが得られるまでは続けていくべきだろうと思っております。



(動画起こし:Pipi、写真:ケロップ)

プロフィール

原発いらない女たちのテントひろば

Author:原発いらない女たちのテントひろば
「未来を孕むとつきとおかのテント行動」を引き継ぐ新ブログにようこそ!

「原発いらない女たちのテントひろば~福島とともに」は
東京・霞が関の「経産省前テントひろば」を拠点とした、女性による脱原発・反原発のアクションです。
 年齢もバックグラウンドも様々な女たちが、福島原発事故に対して立ち上がった「原発いらない福島の女たち」につながろうと集まって来ました。
 それ以来、つねに新しい仲間を迎えながら、「原発を止めたい」「子どもたちを守りたい」という思いのもとにテントを拠点に多様な活動を続けています。
 生きること、暮らすこと、命をつなぐこと。小さく、ささやかなものへの眼差しを大事にして、「原発」という強大な構造を変えて行けることを固く信じて。
 このブログはもう一つの「テントひろば」。誰にでも開かれた、語らいと学びと交流の場です。世界中の女たちに呼びかけます。
「強く、そしてしなやかにつながっていきましょう!」

QRコード

QR

福島とともに