原発いらない女たちのテントひろば~福島とともに

1.18函館市大間原発建設差し止め裁判 第11回口頭弁論・裁判報告集会の報告

1.18函館市大間原発建設差し止め裁判
第11回口頭弁論・裁判報告集会の報告


1月18日(水)午後3時から、東京地裁103号法廷で函館市の大間原発建設差し止め裁判第11回口頭弁論が開かれた。当日はほかにもいくつも重要な集会が重なっていたので、どのくらい人が集まるか、気になっていたが、100名余の傍聴希望者が来てくれた。
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<口頭弁論>
口頭弁論では準備書面(20)「テロ等の危険性」について甫守弁護士が意見陳述を行った。

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準備書面の目次は以下のとおり。

第1 テロリズム及び他国からの武力攻撃による原子力災害の危険性
  1 テロ等の発生も想定した必要な規制を行う必要があること
  2 世界でもっとも厳しい安全対策を行うべきこと
  3 原発がテロ等の標的となり得ること
  4 国民保護法等に基づく想定
第2 大間原発の立地とテロの危険性
  1 特定海域に面した原発
  2 立地についてのIAEA安全基準
  3 小括
第3 航空機衝突対策の不備
第4 信頼確認制度の不備
第5 侵入者対策の不備
第6 他国からの武力攻撃の危険性
*この書面は函館市のHPからダウンロードすることが出来る。

<裁判報告集会>
午後4時から大間原発反対関東の会主催による裁判報告集会が開催された(参議院議員会館101会議室)。会場の予約に当たっては、いつものように福島みずほ事務所にお世話になった。
今日は陳述をされた甫守弁護士のほかにも3人の弁護士が参加してくださったので、発言していただいた。

海渡弁護士
● 電源開発側は陳述に専門家を起用せず、ほとんどの場合、社員が当たっている。
また、函館地裁で進行中の「大間原発訴訟の会」(市民訴訟)は6月に結審、2018年には判決が出る見通し。
●今月20日に開催される通常国会で安倍政権は共謀罪の成立を狙っており、油断出来ない状況であることを強調された。

中野弁護士
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●11月10日の市民訴訟で陳述された、「降下火砕物に関する過小評価」について紹介(詳細は大間原発訴訟の会ブログ 2016年11月11日提出「準備書面54における私たちの主張」参照)。

兼平弁護士
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市民訴訟にはずっと関わってきたが、函館市の訴訟では函館から参加している弁護士は自分だけである。

甫守弁護士
●地震動について担当。石橋克彦氏が体調不良のため、(国立研究開発法人)防災科学技術研究所 の藤原氏に書面尋問をお願いすることになった。電源開発側は社員が担当している。

逢坂誠二衆議院議員(函館選出)のあいさつ

甫守弁護士
●準備書面(20)「テロ等の危険性」について解説。
・日本の場合、どの航空機事故を想定しているのかも不明である。最悪のケースを想定しておくべきである。
・航空機衝突対策
・危機意識が十分、及んでいない。
・北朝鮮の脅威は強調されているが、原発の存在を無視して行われている。
・信頼性の確認制度が必要。工作員が入らないようにするため。
・日本では原発の警備は民間が請け負っているが、それで大丈夫か。米国では退役軍人を活用している。
結論: 大間原発が弾道ミサイル等、他国の武力行使により攻撃された場合、大量の放射性物質が放出される事態を防ぐことは極めて困難である。上記国会答弁(2015年7月29日参議院「我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会」で山本太郎参議院議員が行った質問に対する安倍晋三総理らの答弁を指す)で、「このような事態を想定せずして、深刻な災害が万が一にも起こらないと言いうる程の対策を講じることは到底できず、大間原発における重大事故による原告の権利侵害の具体的危険性は明らかである。」(準備書面20より)。

竹田とし子さん(大間原発訴訟の会代表)
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訴訟の会の裁判は6月に結審して、判決は来年早々に出るだろう。
3月に証言を予定していたジョン・ラージさんが来日出来なくなったことは非常に残念である。

熊谷(小笠原改め)厚子さん
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地元から立ち上がらないといけないと思って町長選挙に出た(投票日:1月15日)。
原発がなくても暮らしていけることを訴えたかったが、十分に浸透させることが出来なかった。33票をいただいたが、この票を今後、大切に育てて行きたい。

藤原節男さん(原発ドン・キホーテ、元三菱重工原発技術者)
前回から始めた「原子力発電所の講座」の2回目。今日はBWR(沸騰水型軽水炉)について話していただいた。BWRは東電が後押しして、導入された。福島第一原発などに導入されたMARK-1からMARK-IIを経て現在はABWR(柏崎狩羽6号、7号)までが導入されているが、根本的な欠陥はそのままである。話を聞いているだけで、こんな欠陥原子炉を再稼働させようとしているなんて、とゾッとした。

次回口頭弁論期日:
2017年4月21日(金)15:00~  東京地裁103号法廷

(報告:あっきい  写真:M.N.)

1月11日 「福島原発被害東京訴訟」第21回口頭弁論を傍聴して

1月11日(水)午前10時から午後4時半まで、「福島原発被害東京訴訟」第21回口頭弁論が東京地裁103号法廷で開かれました。毎回、その裁判を傍聴しているM&Mさんが、傍聴記を寄せてくださいました。

傍聴記

今回は、前回(11月11日)の6人に続いての尋問でした。東京地方裁判所103号法廷にて、午前10時から午後4時半まで1日で原告6人の尋問。傍聴席は、出入り自由で、ほぼ満席の状態が続いていました。原発事故によって、原告の弁護士の質問に答える中で、今まで住んでいた土地から避難しなければならなかった方々の、それぞれの生活の状況や避難にいたる経過などが、明らかにされました。原告の皆さんは、生活の大変さだけでなく、自分が描いた未来・希望が崩され、体調不良、精神的にも追い詰められている状態が、心に響きました。そして、子どもさん達が学校で原発被害者であることを理由にいじめられ、学校に行けなくなったり、心に傷を負ってしまったりしている実態が語られました。

<学校で、子どもたちが「いじめ」にあっていた>

午前の最初の原告の女性から、お子さんたちが小学校、中学校で原発避難者であるという理由でいじめられていた話がありました。小学生の子どもは避難してきてすぐ、「放射能で汚い」と言われた。更に、「放射能を浴びているから、長生き出来ない」とか「すぐ死んじゃうんだろう」と言われ、担任も「そうだね」と言ったとのこと。担任がお墨付きを与えたので、クラスメートたちに「どうせ中学校に行けないんだからすぐ死ねば!」と階段から突き落とされたという。なんと5度も。中学生の場合は、「ビンボー人」と言われ、「貧乏ではない」と答えたら、「じゃあ、おごれよ」とゲームセンターなどで、一万円おごらされたとのこと。教育委員会で対応しているとの話でしたが、子どもはトラウマになっているそうです。
 前回の11月の公判でも、子どもが学校で「汚い」「ビンボー人」「補償金貰っているんだろ」などといじめられ、転校した話を聞きました。そのお子さんの背中に靴の跡があったとも。
私は、それまで、避難してきた子供が学校でいじめられるなんて思ってもいませんでしたからびっくりしました。その後、横浜、東京などあちこちでのひどい「いじめ」が、報道され始めました。好きで避難してきたわけではないのに、福島の原発事故で、「原発避難者」であることを理由に虐げられているなんて。まして、学校で子どもたちが担任にまで排除されていたなんて。こんな信じられないような事があちこちで起きている事が今まで知らされずに来たのですね。原告=被害者の皆さんの辛い思いを、裁判長も頷きながら真剣に聞いていました。

<子どもを守りたいので、避難している>

母子避難している原告=被害者に、国・東電の代理人弁護士は「会いたいと思わないのか、家族一緒に暮らしたいと思わないのか」と聞きました。母子避難しているのは、子どもを守るため。その覚悟だから、と原告たちは答えました。
★妻子を東京に避難させて単身で暮らす父親は「当時母子避難させたのは、子どもを放射線から守るという親として当たり前のことをしたまでだ。今も子どもを守るため、小さい子どもへの将来の影響を考えて避難させている。だから、自分が『会いたいから戻ってくれ』とは言えない」と答えました。父親の辛い想いでした。
★子どもと二人で、都営住宅で暮らしている母親は、追い詰められて精神不安定になって「一人で色々考えていると、高層階の部屋から飛び降りたくなる。首をつったらどうなるかなと考えてしまう事がある」と言いました。原発を忘れたい。子どもが泣くと、自分が泣きたくなる。我慢して我慢して頑張っているのに、と。
★「母子だけで暮らすので、自分も体調崩しているけれど、心配かけたくないので、夫に相談できない。子どもには父親が必要と思っているけれど、子どものためだから」
★母子避難している原告=被害者は、「学校が再開するというので戻ったけれど、教科書も何も準備できてなかった。そして四月に大きい余震があったので、怖くなってまた東京に避難しました」と言いました。
★小学生以下の子どもと暮らす母親は、「今、いわき市に帰っても、子どもの居場所はないと分かっている。このまま今の場所で暮らすしかない」と言いました。
★「子どもを守りたいので避難を続けることを認めて欲しい」
★「小学校の低学年で東京の学校に転校。子どもの環境は変わってしまった。今までは遊んでいたが、東京では周りの子どもたちはみな塾に行っているので、塾に行くことになった」

<原発事故が怖い>

★家族で避難した原告=被害者の男性は、避難した理由は、「いつまた原発が爆破するかと心配だった」「怖かった」と言いました。私ははっとしました。原発事故は過去や現在の話だけではなく、未来に通じる恐ろしいものなのに、私はその事を忘れて生活していたことに気づかされました。日本中の原発はいつ何が起きてもおかしくない状態です。誰もが怯えるのが当たり前なのに。
★「原発が収束したとは思えない」
★「東京に来てから妊娠。胎児のときに検査して医者は『大丈夫だよ』と言ったけれど、生まれたら心臓に疾患があった。なんでも原発のせいにはしたくないけれど、原発事故のせいではないかと思ってしまう。」
「大丈夫だと言われてきたのだから、国や東電の言う事は信用できない。広報誌を見せられても、そこに書いてある値では安心して戻れない」

<国と東電の代理人弁護士の反対尋問の態度はまるで犯罪者相手のようだった>

国や東電のために、原発事故そして原発がなければ、しなくていい生活や苦労をしている原告=被害者に対して、被告の国と東京電力は避難したのが犯罪であるかのような横柄な態度で質問をしていました。裁判ドラマであるかのように、左手を腰に当てて、右手で持った紙を上下に大きく振りながら、「何故ですか」「知っていましたか」と問い詰めていました。
★震災当時住んでいた場所の現在の線量の載っている市や県の広報を見せながら「この広報を見ていますか」と原告全員に質問していました。その時、被告弁護士が三人で原告を取り囲んでいました。圧迫を与えようとしているかのような姿でした。
★前回、「何で子どもにぬいぐるみを買ったのか」との尋問がありました。原告=被害者は「可愛がっているぬいぐるみを置いて来るしかなかったので、替わりに買った」と答えはあまりにも当たり前の行動で、子どもの辛い想いが、私には良く分かりました。被告代理人には分からなかったようですが。
★年齢の違う子どもが二人いるのに「ベビーバギーは何で二台必要なのか」「一台に二人乗せられないのか」と質問。
★小さい子どもとの二人暮らしで精神的に追い詰められた母親が、医師に保養を勧められて沖縄に母子で保養に行ったことについて、「子どもを置いて一人で行く事は考えなかったのか」と国、東電は尋問。
こういった国、東京電力の質問には、傍聴席からは思わず「えーっ」「ひどい」「何でー」というつぶやきがもれ、ざわめきとなりました。

水野有子裁判長は、原告=被害者の尋問が終わるたびに、一人ひとりに「お疲れ様でした」「ありがとうございました」とねぎらっていました。裁判長のこの心遣いに、ほっとさせられました。

◆次回の裁判 3月1日(水)、10時から原告尋問。
 出入り自由なので、途中からでも短時間でも、原告=被害者の尋問を聞くいい機会です。多くの方が傍聴者に行かれるといいなと思っています。私も友人と一日傍聴しようと思っています。

(報告:M&E)

緊急のお知らせ 1/20(金)テント弾圧で記者会見

【ご案内】

経産省前テントひろば緊急記者会見
~不当逮捕・不当勾留に抗議する~
2017年1月19日(木) 経産省前テントひろば
 

去る1月17日(火)午前1時に私たちの仲間であるMさんが不当逮捕され、10日間の勾留が認められ て今も警視庁で拘束されています。
警視庁が不当に誇張して発表し、誇張されて報道されました。 更に、経産省はここぞとばかりに「放火」を強調して早々と立札まで
準備しました。
 昨年8月21日のテント撤去以来、私たちは、毎日経産省本館前に座込み、毎週金曜日に経産省に対 して抗議行動し、原発コストと使用済み核燃料についての院内ヒアリング集会を重ね、テント美術展を各地で開催し、大間原発再稼働に反対する運動などを重ねてきました。
今回の逮捕は明らかにこれらの運動に対する不当な弾圧です。 記者会見では、私たちが調査した真実を皆さんにお知らせし、  多くの記者さんにお出かけいただきたくご案内申し上げます。


日時:2017年1月20日(金) 13時~14時
場所:経産省本館ポケットパーク前
主催:経産省前テントひろば
発言: 経産省前テントひろば 淵上太郎他
担当弁護士

以上。

1月19日(木) 南相馬・避難20ミリシーベルト基準撤回訴訟 

南相馬・避難20ミリシーベルト基準撤回訴訟

公衆の被ばく限度20倍である年20ミリシーベルトを基準とし、住民の意思を無視した<避難勧奨地点の解除>は違法だとして、福島県南相馬市の住民たちが国を相手どり提訴しました。
その後、2016年7月に南相馬地区全体が「解除」されてしまいましたが、現実に、住民の皆さんは1割も帰られていません。

<避難勧奨地点の解除>第6回口頭弁論が1月19日に開かれます。~大法廷をいっぱいにして南相馬のみなさんを応援しよう!

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▼ なお、当日のスケジュールはいつもと異なります。ご注意ください。

【第6回口頭弁論の日程】

事前集会 13:00~14:30  場所:参議院議員会館B109

第6回口頭弁論 15:30~    場所:東京地方裁判所103号法廷
  ※傍聴券が必要となりますので、配布締め切りの15:00までにお並びください。
  なお、希望者多数の場合抽選となることがあります。

報告集会 16:30頃~17:00頃
      場所:経産省前テントひろば (雨天中止)

1月18日(水) 大間原発建設差し止め 函館市裁判

1月18日(水) 大間原発建設差し止め 函館市裁判に来てください。

今月は19日行動=電源開発株式会社本社への抗議行動はありませんので、裁判に集中しておいでください。
大間函館裁判

大間裏

丸木美術館設置のテントの様子 1月8日(日)の報告 

寺崎さんと共に、丸木美術館へ10時到着。

天気予報では午後から雨ということなので、人足が遠のくと予想していましたが、トータルで小学生以下のお子様3名を含め、30人近くの人がテントの展示を見て行かれました。
何もイベントの無い日としては、それなりに入ったのではないかと思います。(通常が少なすぎるという話なんですが)

顔見知りの方の来館は、玉中さんとそのご友人の方々4名と、テントや金曜行動で頻繁にお会いする方で、毎週土曜日の新宿西口のスタンディングなどをしておられる方がご夫婦で来館。玉中さんとそのご友人から、和菓子や干し柿の差入をいただき、ティータイムが更に潤いました。ありがとうございます。

親子連れが4組程。ご夫婦(?)などの二人連れも数組。
テントの存在は何となく聞いていたが、よくはご存知ない方が殆どで、テントの成り立ちや、美術館となった経緯などをお話しました。
現在は、テントが強制撤去されても12時から18時の時間帯で交代で座り込みをしていることもお伝えしました。その継続の大変さと根気を、とても驚いておられました。何も行動をしていない自分が申し訳ない、というようなことをおっしゃっていた主婦の方も。
丸木来館が何かのきっかけになればと思います。

以前、農水省の請負工事で現場に入っていた方が来られました。工事をしている時に、経産省前テントを見て知って、強制撤去される前に1度テントに来て下さったとのこと。強制撤去されてからはどうしたかと気になっていたそうです。丸木美術館に展示されていることはご存知なかったようで、このような形で残っていること(継続していること)を激励してくださいました。

あいちトリエンナーレに参加(?)された女性の方もご来館。丸木美術館のことをレポートに書くと言っていました。テントのことも書いてくれるのではないかと思います。

とても寒い1日で、午後からは雨が降り出しましたが、テントでお茶を飲んで行かれる方は8割強~9割だったのではないかと思います。ささっと見てささっと帰られる方も数名いらっしゃいましたが、比較的興味を持って鼻水とお茶をすすりながらお話してくださる手ごたえがあったように感じます。
私などは、このような活動を始めたのが311以降なので、未だに知らないことだらけ。
来館者の方から教わることも多く、私にとっても丸木当番はとても良い経験になりました。

あと1週間ですが、少しでも多くの方が来館され、様々なことを知るきっかけになればよいなと思います。引き続き、SNSなどでもアピールしていきたいです。

(報告:オツカー)

丸木美術館設置のテントの様子 1月7日の当番の報告

当番2人は同じ電車で丸木美術館へ。10時着。

初めの頃は客がいなくて閑散としていた。今日は団体客はないようだ。
11時ごろか、丸木美術館のボランティアの人たち3~4人が来られた。今日は丸木美術館の『会報』を送る日だそうで、ボランティアの人達も大勢来ているようだ。顔見知りの人もちらほらいる。

昼食は外で川を眺めながら食べた。晴天。風はほとんどなく、暖かい。ベランダのテントの寒さとは大違い。

午後も山本さんが次々と人を勧誘してくる。合計は15人か20人くらい。お茶を飲んで話し込んでいく人も多数。お茶を飲んでくれた人にはなるべく「くもりぞら」さんの名刺を渡すようにした。

281さんの絵が好きだという若い人がいた。バッチを持ってきていれば売れたのに。残念。

(毒山さんの相棒だった)居原田さんニコニコと現る。丸木美術館の次のイベント「沖縄の歴史?」の準備のために展示場所を採寸に来ているとのこと。
<テントをドイツに持っていって展示できないか>かということに関して、居原田さんのグループの芸大学生さん♂がつぎのようなことを話してくれた。
「ドイツには日本規格の建設が普通にある。(建築物の規格は国際的に標準化されていて、日本規格は国際的にも一般的に通用するという。)パイプなら必ずある。向こうでテントの骨組みを材料入手、組み立てるのは全く難しくないはず。特にドイツ西部なら全く問題ないはず。必要なのはサイズを正確に測って現地に伝えることだ」と言う。彼自身はイギリスなら協力できるがドイツにはツテがないとのこと。
また、「2月では船便はもう間に合わないが、飛行機でも(丸ごと送るとしても)10万円あれば送れるだろう。布だけなら2万あれば送れるだろうと」と言っていた。

芸大生の話では、「(テントに描いた)絵がくっつく、傷つくことについては、表面に挟む紙が売っているだろう。ただしすでに傷ついてしまっている分については手遅れ。とりあえず一番オススメなのは靴用防水スプレーでコーティングすることだ」だそうだ。

小学校低学年くらいの息子さんを連れた親子連れが来た。お父さんは数年前、汚染土を処理(放射能除去?)する巨大プラントの修理に行った経験があるとのこと。やたらと壊れるのだそうだ。ただし彼が修理をした部分は処理のメインの部分ではなく、全体としてどのように処理しているのかの原理はわからないよし。大きなコンテナにぎっしり土が入っていたが、それが処理済みのものなのか処理前のものなのかもわからない。サーベイすると白い防護服は全く汚れていないのに、地面には所々黒いものでものすごく放射能の高いものがあってびっくりしたという話をしていた。(苔かもしれませんねと話した。)

前にテントひろばでお会いした有名なカメラマン?の方が見えた。丸木美術館の客が少ないことに危機感を表明。遠いということもあるが、団体客を入れる以外に生き残る道はない、社会科見学や遠足の子供を連れてくるべきだ、とにかく子供に見せるべきだ、と。

一緒にいた人は第一テントのメンバーのHさんの元同級生という方。「南相馬20mSvで指定解除するな訴訟」の裁判が1月19日(木)15:30~あるので、マイクロバスで上京する。公判のあと経産省で抗議したいという声が上がったので(16時半頃?)テントひろばの座り込みのところにいくことになると言われる。→木曜当番の山本さんが対応する。

夕方4時、客が減ってきたので終了に。
タクシーを相乗りした男女を誘って森林公園駅前の焼き鳥屋「や平」へ行く。お二人はご夫婦ではなく、JAALA(日本アジアアフリカラテンアメリカ)美術家会議という団体に所属する画家さんたちだった。男性は会の代表の方で今回丸木に出展している。
女性は、絵画の他にも様々な活動をしている方で、「日の丸・君が代」強制反対の裁判の渡辺厚子さんの支援にも関わっているとのことだった。

(報告:橋ゆき)

2017年が明けました。今年も頑張りましょう。 1/4餅つき大会

経産省前テントひろば座り込み行動は年末・年始と休むことなく続いています。みなさんタフです。

1月4日(水) 餅つき大会

今日は12時から餅つき大会なので、いつもより椅子を多く持っていった。11時に経産省前にテントグッズをセットした。すでに数人が経産省前にいた。警察権力はまだ登場していなかった。
いい天気で暖かかった。

12時になると、餅つき隊が、杵、臼、蒸かしたもち米等々をもって経産省前に登場し、地下鉄の出口まえの郵便ポストの脇で餅をつきだした。その手早さは見事で、あっという間にひと臼目はつきあがり、すぐに黄粉餅として完成した。続いて、二臼目に入った。
この頃から、警察が出てきて、「餅つきはやめろ」と餅つき隊に迫ってきた。結局、二臼ついたので、それ以上のトラブルになることは避けやめにした。

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この餅はあんころ餅と辛み餅にした。三臼目はつくことができなかったが、別の方法でもち米の粒を軽くもち状にして、ぼた餅ときな粉餅、ゴマ餅にした。

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12時を過ぎで集まってきた人も数を増し、皆さんととともにおいしく食べた。餅の他、トン汁、野菜汁、白菜、たくあんもあり、みんなの食欲を満たすことができた。つきたての柔らかい餅を食べるのははじめてと言う若い人もいた。

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通常通り、「ご近所さんへの新年の挨拶と餅配り」をした。農水省、文科省、コンビニ、地下鉄改札口、そして経産省に出向いた。経産省以外は快く受け取ってくれた。経産省は受け取らなかった。経産省の警備をしている帝国警備保障の人にも持って行ったがやはり受け取らなかった。

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14時から、経産省前で新年初の抗議行動を高瀬さんの司会で行った。新年の最初の演説は淵上さん。

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斎藤美智子さんもしゃべられた。江田さんが発言しようとしたとき、車いすのTさんが経産省に「トイレを使わしてください」と頼んだのに対して、経産省は警備の係の者や松本さんまで出てきて、「使わせない」と入れなかったのでみんなで抗議した。結局Tさんは別のところですませた。江田さんは、障碍者にトイレを使わせないというところに、原発政策にも通じるこの国の行政、経産省の態度がよく示されている。許せないと言った。そして川内原発反対闘争について話した。
最後に、司会の高瀬さんが、今年も頑張り続けようとまとめ、この日の行動を終えた。

通常の経産省前座り込みは16時までなので、集会後、餅つきのかたずけに入る人、帰る人、座り込みに参加する人などそれぞれ。
16時にこの日の座り込みを終えた。参加人数は80名くらいか。

(報告:あれこれ屋 写真:ナガー、あれこれ屋 )

12/18(日)井上めぐみさん講演・写真パネル展示の感想の追加です。 

12.18井上めぐみさん講演・写真パネル展示
「福島の涙はわたしたちの涙 ~あれから5年~」

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12月18日(日)に反原発美術館の設置されたベランダの前の部屋で井上めぐみさんのお話が行われました。それについてのあっきいの報告は、すでにブログにアップしました。
さらに、橋ゆきさんからの感想が届きましたので、アップします。

井上さんの講演と活動についての感想です。

実のところ私は、犬猫の保護活動については「自分とは関わりのない活動」という感覚でした。保護という言葉がそもそも好きではなくて。
生き残り、先祖返りして野牛に戻ったような牛が地響きを立てて走る写真などを見ると、これはこれでアリではないか、たとえ放射能まみれでも、と感じたりしていたものですから。

だから、人の住まない被災地で、(緊急の避難の時だけでなく、その後も長期間、継続的に)犬をつないだままにして飼っている人が沢山いるなど、想像もしていませんでした。
なんとなく、人間のいなくなった土地で動物たちは(とにかく生き残った動物だけは)食料は乏しくても自由に生きているのだと想像していたけど、そうじゃなくて、人に飼われる動物としてのくびきはどこまでもついて回るということなのですね。

もともとが繋がれて飼われる動物ではない猫を保護しなければならない理由も全くわかっていなかったのです。野生を取り戻し、ネズミを狩って立派に生きている猫をケージに詰め込んで他地域に送るなど、猫にとっては大きなお世話だろうと思っていました。
保護しなければいけない直接の理由は「建物取り壊しで地域が全て更地になってしまう」こと、だと聞いて、ああ、そうなのかと、目から鱗の取れる思いでした。人間だけでなく、猫にとっても、故郷が永遠に失われてしまうのですね。

井上さんの話を聞いて勉強になったのは(というか、私の常識が足りなかっただけですが)、人間の問題と動物の問題はひとつながりのもので、切っても切り離せないのだということでした。

また、井上さんは動物たちのことだけではなく、人間のこと、社会のことを見る目も<愛とオリジナリティー>にあふれた方と感じました。素晴らしい出会いでした。この出会いを今後につなげていきたいです。

(感想:橋ゆき)

プロフィール

原発いらない女たちのテントひろば

Author:原発いらない女たちのテントひろば
「未来を孕むとつきとおかのテント行動」を引き継ぐ新ブログにようこそ!

「原発いらない女たちのテントひろば~福島とともに」は
東京・霞が関の「経産省前テントひろば」を拠点とした、女性による脱原発・反原発のアクションです。
 年齢もバックグラウンドも様々な女たちが、福島原発事故に対して立ち上がった「原発いらない福島の女たち」につながろうと集まって来ました。
 それ以来、つねに新しい仲間を迎えながら、「原発を止めたい」「子どもたちを守りたい」という思いのもとにテントを拠点に多様な活動を続けています。
 生きること、暮らすこと、命をつなぐこと。小さく、ささやかなものへの眼差しを大事にして、「原発」という強大な構造を変えて行けることを固く信じて。
 このブログはもう一つの「テントひろば」。誰にでも開かれた、語らいと学びと交流の場です。世界中の女たちに呼びかけます。
「強く、そしてしなやかにつながっていきましょう!」

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