原発いらない女たちのテントひろば~福島とともに

強制捜査はまだか!!~告訴受理から1年を迎えて~いわき報告2

プログラム(続き)
録画:https://www.youtube.com/watch?v=BN62JA4haq0(数字は録画の開始時刻を示す)



・福島の告訴人のスピーチ 
村田弘さん(南相馬市から横浜へ避難、原発を問う民衆法廷(原発民衆法廷)の運営スタッフ
(0:50:07)

村田さん

 わたしは(南相馬市)小高区からカミさんと避難して、今は横浜に住んでいます。河合先生にも入っていただいて、市民の立場からこの原発問題を裁くという「原発を問う民衆法廷」というのを去年(第1回は2月25日)から今年にかけて1年半ほど、やってまいりました。全国を廻って10回ほど公判を開いて、先月21日に一応最終的な公判を東京で開きまして、「原発と核は全く裏表の問題であって、我々、これから原発禁止条約を作るべきだ」というような勧告をいただきました。地方でも、原発禁止条例を作る運動を続けようじゃないか、というような勧告を出していただきました。
 それに先立って、去年5月20日に郡山で開きました3回目の法廷では、今、問題になっている東京電力、さらには当時の政府、菅直人さん以下、主だった幹部と、例の班目先生を始めとする原子力関係者について、業務上過失致死罪などで明らかに有罪であるという判決文を実は出していただいているのです。河合先生にも検事並びに原告団長となっていただいておりまして、非常に明快な論理で追及された結果の市民の判断であったと思います。しかし、現実は何と遠いことか、ということをホントに今、しみじみと感じているところです。
 ずっといろんな活動を見てますと、女性は大変、元気で僕はホントに羨ましいんですが、男は弱いんですかねぇ。最近、ちょっと疲れたなぁという、なんか非常に重い、体が重いという感じがしてます。さっき電車の中で数えてみたんですけど、避難してから876日位になるのですが、何で疲れたのか、改めて考えてみると、それは生活が慣れないとかいう、そういう単純な話ではなくて、先ほど広瀬さんなんかにご紹介していただいたような、ホントーに信じられないようなことが毎日毎日、出てくるわけですよね。我々の直観としては、こういうことがありうるだろう、と分かっていたことが、一つ一つ表に出てくる。それを受け止める、それに対して怒りを感じる。この怒るということが大体、疲れるんですよね。1日3回怒ったとすると、365日1700回ほど、怒っている。疲れるのも当たりまえだなぁと思いながら、この会場に来た次第です。
 このあいだ、馬追(相馬の伝統行事)が本格的に再開するというので、横浜で脱原発関係の運動を一緒にやっていただいている方たちをご案内して、3日ほどふるさとに帰ってきました。霊山町、小国町、あすこはすでに除染が終わったということで、住民たちに帰ってくるようにということを必死になってやっているようなんですが、驚いたのはですね、除染が終わった、さっき広瀬さんのスライドにあったようなフレコンバッグというんですか、あれに詰め込んで2段重ねにしてあちこちに積んであるんですね。1か所、見に行ったんですが、何とフレコンバッグの下から草が生えているんですね。里山の真ん中ですよ。一緒に行った方が測ったら1.98μSv。あのきれいな里山で、もう除染が終わって帰ってきて、みんなで生活しましょうというところの現場がそういう状況です。それだけじゃなく、川内村にしろ、都路にしろ、みんな、今、お帰り、お帰りと言われているところの現実はそういうことだと思うんです。
 さっき、河合先生が大変上手に、飯館村の歌を歌われましたけど、浪江町の駅前にも、足をこう、踏むと、「高原の駅よ、さようなら」という歌が出てくるのがあるんですよ。そういう町、村、そういうものがまとめてこういう悲惨な状況にある。これはやっぱり怒んなければダメです。怒って怒り抜かなければ、ダメだと思います。今、賠償の問題も含めて、東電だけではなく、この国の姿勢というのは、かなり露骨になってきていると思います。子どもたちの甲状腺のあれだけのことも無視しながら、ブルドーザーのように再稼働に進むという姿勢がはっきりしていると思う。しかも向こう、というか進める側には日本だけでなく、バックにいる国際的な大きな力が働いて、我々のこういう現実を戦車のように、踏みつぶそうとしているのが現実だと思います。それをしっかり見極めた上で、やっぱり一歩一歩、苦しけど怒って、その怒りをエネルギーにしてこれからもやって行きたいと思います。
 去年でしたが、武藤類子さんが関西の方で話された「炭火の話」というのを、わたし、いつも思い起こすんですが、最初、カッカと赤い炎を出してくれる。しかし、本当に一番熱を発するのは、その赤いのが退いて、白くなったときだと、こういうお話を聞いてわたし、ずっと考え込んでいます。たしかに一番熱いのは炎が燃えて白くなった時だと思うけど、ほっておくと、灰になって終わっちゃうんですね。終わってしまってはダメだと思います。燃料を次々と補給しながら、熱を出して、いつまでも熱を出して、この現実をひっくり返すように、皆さんと共に微力ですが、ガンバって行きたいと思います。よろしくお願いします。

千葉由美さん(いわきの初期被ばくを追及するママの会)

千葉さん

「いわきの初期被曝を追及するママの会」の共同代表をしております。わたしはこの原発事故が起こるまで、いろんなことを意識しないままに、ちょっとぼんやりとして生きて来てしまったことをとても反省をしているんですけれども、今、みなさんが怒るべきだ、声をあげるべきだとおっしゃっています。わたしたち、子どもを育てている母親は、母性のエネルギーをふるい立たせて、問題に向き合っていかなければならない、と思うんですが、お母さんたちが、勇気を出して立ちあがって、声をあげることがどれほど大変なことか、ということを感じながら過ごしてきた2年半ほどでした。ちょっと冷静に振り返って、用意した文章を読ませていただきます。
 原発事故から2年半が過ぎようとしています。今もこうして、諦めることなく声をあげ、間違いを正すために、問題に立ち向かっている皆さんとともにこの場に立つことが出来ることを誇りに思います。このような言葉を発することが自分への決意表明でもあり、そうでもしなければ救いようがないほど、特に原発事故後の日本という国は、絶望感でいっぱいの状況となっているように感じます。多くの犠牲者を生み出していながら、罪を犯した人間を処罰することも出来ず、さまざまなことが煙に巻かれるようにごまかしのなかに置き去りにされ、責任の所在を追及することが出来ないために見失った怒りやかなしみの矛先は方々に向かって、やり場のない言葉や叫びと共に、深くて大きな闇の世界を作り出してしまっています。
 原発事故という、あってはならない事態が起こっていながら、目には見えない放射能による被害がもたらした世界は見えないから、見えないようにしてフタをするという、強引な進め方によって、いくらでも不誠実な対応が許されてしまっています。それはまるで、物語の中の世界のように、結末には必ず痛い思いが待っているという展開を分かっていながらも、窺っているような、そんな状況のようにすら、感じてしまいます。経済復興のためには、そうするしかないという、分かってはいるけれども、そうするしかないという苦し紛れの立場に立たされてしまっている人たちは、どのようにして自分の魂の声とのバランスをとっているのだろうと、そのような目線を持たなければ、問題を解決することが出来ないということに気づかされた2年半でもありました。責任の追及が出来ないことによって、仕方なくそうせざるを得ない今の復興の形は、本当はそれぞれが迷いながら、苦しみを伴っているのではないでしょうか。原発事故の影響を受けていながら、明るく元気を装い、元に戻りました、ガンバっています、と言わなければ進まない復興の中で、自分の良心と闘っている人は沢山いるのではないでしょうか。そのような葛藤を生み出してしまっている原発事故の悲劇をわたしたちは伝えなければならないと思っています。まだまだ伝わっていないばかりか、自分の思いを語ることすら出来ていない原発事故後の福島のことを関心を持って知ってもらうことが、原発の再稼働を止めるために必要なことだと思っています。
 意見の相違から生まれる対立は苦しみや悲しみを生むばかりです。なぜ、同じ方向を向いて進むことが出来ないのか、を見つめながら、本当は誰しもが望んでいるであろう平和な世の中の実現のために、冷静に事態を改善する方法を模索しなければならないと思っています。この現実の中に生きながら、この問題をどのようにとらえるのか、ということを突きつけられている今、わたしは子どもを持つ母親として、原発事故前は本当に何も分からないままに生きてきてしまったことを後悔しており、当事者になってみなければわからない痛みや悲しみを経験し、この惨状を二度と繰り返してはならないという思いで、今は生きています。原発事故の被害を受けた福島県に生きるわたしたちは、日本の未来に対して大きな責任を持つ存在となってしまったことを覚悟して受け入れなければならないのだと思います。事態をきちと把握せずに楽観視をしてこの場を見過ごしてしまうことは、重大な責任を放棄してしまうことのように感じます。その責任を感じながらも、未だに声をあげることが出来ずに苦しんでいる人や、それぞれの立場や関係性の中でむずかしいところに立たされ、自分の思いとは別のところで生きなければならない人がたくさんいます。そして誰かを傷つけまいとして、自分の感情にふたをして閉じ込めることで、罪悪感を募らせている人がたくさんいます。このように多くの闇を生み出してしまっている世界を見ながら、平和な未来、明るい未来の道は程遠いと感じます。そんな夢も希望もないような未来へ子どもたちを送りださなければならないということを、親として悲しく思います。このまま強行に自民党政権が押し進めようとしている原発の再稼働や憲法の改定などを許してしまうことは、未来を放棄することであり、子どもたちに対してはますます顔向けが出来ません。
 そのようなことに加担している人たちは、たとえこの先、惨状が繰り返されたとしても、自分の身には決してふりかからないであろうという、痛みがわからない立場の方々であり、痛みを経験しているわたしたちからの心からの叫びなどは届かないところにいらっしゃるのだろうと思います。市民の力などちっぽけなものであり、そんなものは痛くもかゆくもないと思っているのかも知れませんが、いつの時代も尊いものは共通しているということを信じたいという思いもあり、市民一人ひとりが誇りを持って生きることが出来れば、きっといつかそれは大きな力となって、事態を動かすことになるということを信じながら、最善を目ざす日々です。
 わたしは一人の母親として、こどもたちの未来を奪うような、今の日本のあり方を許すことは出来ません。直ちに影響がないという無責任な言葉からスタートした原発事故後の対応の数々は、今でも変わりなく続いており、子どもを取り巻く環境は本当に最悪な状況です。子どもを預けている教育の現場はまるで戦場であり、教師たちは子どもを守ってはくれません。一人ひとりの思いがどうなのか、を見れば絶望ばかりではないのかも知れませんが、文部科学省という原発推進の組織の下にある教育現場に放射能対策を求めても、被ばくの影響を認めないというかたくなな姿勢が、子どもたちを守らないという、ありえない事態をうみ出しています。
 地元行政も同じく、いのちと健康を守りたいので、対策を求めたいというわたしたちの声はずっと無視をされたままです。そんな状況のなかに生きながらも、子どもたちは未来を信じており、わたしたち大人を信じています。わたしたちが立ちあがらなければ、こどもたちはこのまま放置されたまま、守られることもなく、原発事故の影響を受け入れるだけの理不尽さを許すことになってしまいます。収束のめどの立たない原発という存在を背負わされることになってしまった子どもたちに対して、謝罪するどころか、責任も取ろうとしていない国と東電に対して過ちを認めさせ、二度と繰り返さないという誓いの言葉を認めなければ、わたしたちは子どもたちに対して、原発事故のことを説明出来ないばかりか、希望を渡すことも出来ません。
 どんなことが起ころうと、未来には希望があり、願い続ければきっと叶うということを子どもたちに伝えるためにも、わたしたち大人一人ひとりが自分の足で立ち、今を強く生きなければならないのだ、と思います。今、わたしたちに求められていることは、これからの未来をどう築いていくか、ということを自分自身に表明することであり、行動を伴ったリアルな言葉で、福島を変える、日本を変える、未来を変えると宣言することだと思います。立ちあがった皆さんとともに、今を生きる一人となって、これからもあきらめることなく、歩みを続けて行きたいと思っています。がんばりましょう!

浅田眞理子さん(都路から金沢へ避難)
司会:浅田さんは都路から金沢へ避難して生活をされておられます。
浅田:(拍手)ありがとうございます。そんなに拍手をしていただけるようなお話ができないと思うんですけれども。

浅田さん

 私は18年前に東京から、当時、都路村と言っていたところに移り住みました。
で、自然農という方法で、田んぼでは稲を,畑では豆や雑穀、野菜を作って自給的な生活をしていました。我が家に訪れるのは小鳥やリスやウサギ、そしてかえるとか蛇とか、本当に自然いっぱい、次々と咲き乱れる草花や木々とかに囲まれて本当に毎日が新鮮で満ちたりた生活でした。
 原発が爆発したその日の夜に金沢の友人が「遠い方がいいんじゃないか、逃げてこい」という電話がありました。そのすぐあとに避難指示がありまして、金沢へ向かいました。最初の1週間は友人のところで居候しました。
それからすぐ金沢市が市営住宅を用意してくださってそこに入りました。ただ6か月という約束でしたので、入った直後から家を探し始めて、本当に親切な方がいて、戸建ての住宅を貸してくださりそこに住んでいたんですけれども、やっぱり畑がやりたくて。で、去年の春に畑を紹介してくださる方がいて、近くに空き家もありましたので、去年からはそちらの方に移り住んでいます。

 私たちの避難生活はとても恵まれていると思っています。
だからこそ金沢での生活は反原発活動、集会や講演会に参加したりして、多くの時間を費やしています。
 この2年5ヶ月、本当に何度も何度も打ちのめされました。事故当初からの国の対応の仕方とか県の対応の仕方とか、本当に私たちが望んでいることとは正反対のことが多くて。特に大飯原発の再稼働や、衆参議院の選挙の結果にはもうほんと打ちのめされて、絶望の底をみたような気がします。それでも気を取り直してまだ生き続けています。そのつど、気を取り直すんですけれども、この告訴団も私にとって希望の一つです。先ほど力強い河合先生のお話を聞いて、またがんばらなくてはという気持ちがわきました。
 また、心ある人々との出会いが私たちに力を与えてくれていると思います。
 そのお話をちょっとさせてください。

 つい最近金沢に保養に来たお母様方との懇談会がありました。福島県での心を開けない生活を皆さん、涙ながらに語ってくださいました。その保養プロジェクトを主催した若い方なんですが、避難者とのつながりが持てればここに住んでいる人もやがて避難するという選択をするかもしれない、そういう深い思いを持って、私たちを招待してくれたということを、あとで聞きました。
 また7月31日には避難者の権利を守る政府交渉の場にも呼ばれました。私たち避難者のために多くの方が力を尽くしてくださる。その様子にただただ感謝しありがたいと本当に思いました。
 参院選後に三宅洋平さんがかなり話題になっておりますけれども、金沢でも若い人たちが三宅洋平さんのライブ中継を企画して「政治を語る会」を2度も開いてくれました。また、他の方法で「政治を語る会」を主催した青年にもお会いしました。
 いま、あきらめないことの重要性を自分自身に言い聞かせています。
 そして一方では前のように自然の営みにあわせた心おだやかな生活をすることこそ大切なんだということを思っています。
 自然農2年目の畑では思うような収穫はありません。でも振り返ってみたら、都路でも初めはとても人に見せられるような畑ではありませんでした。それと同じように、あきらめず、人と人とつながり続けて行けば、原発のない、平和で一人一人が自らをいかせるような生き方ができる世の中を作り上げることができるんじゃないかと夢見ています。
 この告訴団においてもあきらめず、できることを続けて行きましょう。つながり続けましょう。ありがとうございました。

・神田香織さんのスピーチ(別途アップ予定)

(まとめ:あっきい、けろっぷ、写真:nomorefukushima2011さんの録画より)

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Author:原発いらない女たちのテントひろば
「未来を孕むとつきとおかのテント行動」を引き継ぐ新ブログにようこそ!

「原発いらない女たちのテントひろば~福島とともに」は
東京・霞が関の「経産省前テントひろば」を拠点とした、女性による脱原発・反原発のアクションです。
 年齢もバックグラウンドも様々な女たちが、福島原発事故に対して立ち上がった「原発いらない福島の女たち」につながろうと集まって来ました。
 それ以来、つねに新しい仲間を迎えながら、「原発を止めたい」「子どもたちを守りたい」という思いのもとにテントを拠点に多様な活動を続けています。
 生きること、暮らすこと、命をつなぐこと。小さく、ささやかなものへの眼差しを大事にして、「原発」という強大な構造を変えて行けることを固く信じて。
 このブログはもう一つの「テントひろば」。誰にでも開かれた、語らいと学びと交流の場です。世界中の女たちに呼びかけます。
「強く、そしてしなやかにつながっていきましょう!」

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