原発いらない女たちのテントひろば~福島とともに

ドキュメンタリー映画「原発の町を追われて 避難民・双葉町の記録」  堀切さとみさん(監督)、鵜沼友恵さん(避難者)の話

8月23日の第48回あおぞら放送「福島からの世界へ」のコーナーでは、ドキュメンタリー映画「原発の町を追われて」の監督、堀切さとみさん、同映画に出演している鵜沼友恵さんの話を伺った。キャスターは道下敬子さん。
あおぞら放送の録画:http://www.ustream.tv/channel/tentcolor#/recorded/37686459



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(数字は録画開始時刻を示す)


トークに先立って「原発の町を追われて」続編の予告編が放映された(00:24:21)
(00:25:51)
道下(以下M):最初の作品が事故後から1年間を追ったもの。双葉町の方たちが埼玉県の騎西(きさい)高校へ避難して、それからの1年という、続編がそれから今までですね。最初の1年も大変だったと思うんですけれども、続く1年間というのも大変な思いを、皆さんされていらっしゃると思いますが。

堀切さん、鵜沼さん、道下さん

堀切(以下H):最初の1年というのは、ホントに皆さん、突然、原発が事故を起こして着のみ着のままで逃げて、それで双葉町の人の大体2割ぐらいに当たる人が埼玉県の騎西高校に避難してきて、本当に多勢でいたわけですね。これからどうしていこうか、どうしたらいいんだろう、ふるさとに戻る訳にもいかないし、仕事もないし、という状況だったんです。
M:本当にもうダンボールでね、各教室はあるとはいえ、なかなかハードな生活が続いてらしたわけですよね、最初は。
H:その避難所の集団生活に耐えられなくて、やっぱり大変ですから、それでだんだん皆さん、借り上げアパート、個人のアパートに移ったり、あとは福島に戻る人たちもけっこう出て来たんですね。騎西高校には町の人だけじゃなくて、双葉町の役場も置いてあったんです。それで、2年目くらいになると、役場も埼玉県に置きっぱなしじゃなくて、福島に戻すべきじゃないか、という声が町の人から出て来た。というのは、本当に、半分以上の人が最初は埼玉にいたんだけれど、1年たつうちに福島に戻る人もけっこう増えてきたので。当時、町長だった井戸川さんは出来るだけ町の外に出した方がいいと、放射能から逃れさせた方がいいということで、埼玉に避難所を設けたわけですけれども、それに対する反発がだんだんこう、出てきてしまったということで、それで3回、町長に対する不信任案というのが出されて、1回目と2回目は大丈夫だったんですけど、3回目、去年の12月の暮に町長が辞任に追い込まれる、リコールされるということがあったわけですね。
M:そのあたりが続編で撮されているということなんですよね。
H:そうです。
M:始めの1年間、追ったあとに、やはりこれは続編を作らなければ、と思われたというのは、どういった動機だったんでしょうか。
H:そうですね。この問題は簡単には片付かないだろうという・・・今、続編、作りましたけど、これで終わりかと言ったら、そういうことも言えなくて、いつが終わりになるか、わからないんですけれども。とりあえず、ちょっと今、騎西高校の閉鎖の問題っていうのがありまして。今、見ていただいた映画の舞台は騎西高校なんですけど、騎西高校が閉鎖になったら、双葉町はもう終わりなのか、って言うと、そういうことではないと思うし、あるいはまた、そうさせてはいけないと思うんですよね。
じゃぁ、いつまで撮り続けりゃいいんだろうということですけど、やっぱりハッピーな終わり方をしたいですけれども、ホントの一番いい終わり方っていうのは、双葉町の人がふるさとに戻れるってことだと思いますが、多分、それはむずかしいと思うんですね。今、もう、埼玉県も結構多いですけど、あと福島とか、全国各地にちりぢりになっている人たち、今までやってきた仕事も全然出来ない人たち、今までと全然違うコミュニティのなかでやり直しをさせられているという人たちが、少なくともふるさとに戻れないながらも、人間らしい生き方を出来るように、少しでも変わっていくっていうことを求めていきたいなぁということですよね。

堀切さん
▲堀切さん

M:いやぁー、ホントにこの映画は見てて辛かったですよね。辛いだけではないんですけれど、でも非常に現実が描かれているので、なんとも言えない思いにはなるんですけれども。その中で、鵜沼さんが最初の一本目の時と、あと続編とどちらにも登場されて、騎西高校でコミュニティカフェのような「Fカフェ珠寿」(じゅじゅ)というのもされているんですが、今回の作品をご覧になって、いかがでしたか。出来上がったものを改めて客観的に見てみると・・・客観的になんて見れないですかね。
鵜沼(以下U):客観的にはむずかしいんですけど、たとえば、誰々さんが出ているとか、知ってる人ばかりなんで、そういうのもありますけど、やっぱり時間がたって、今、続編が出来上がって、第1作目をもう一度、見直したときに、あぁ、そういえば、あんとき、あぁだったよなぁ、とか、そういうのを思い出すことはかなりありますね。
M:この映画で訴えたかったこととか、訴えたいことなんか、というのは、映画の中でも色々お話されてますけども。
U:わたしの中では、まず、あの現状を、たぶん普通にTVとかマスコミとか新聞で伝えられることって、かなり少ないんですよね。で、実情をどう伝えるか、というのが、まずひとつ気がかりでした。あとは、この先、長い長い闘いというか、これから先がまだまだたくさん大変なことがあると思うんですよ。で、その中で、わたしたちがどういう気持ちでいたのか、どういう風に生活をやり直していったのか、とか、たぶん毎日、前向きな気もちだったり、後ろ向きな気もちになったり、毎日、変わるんですよ。今日はどうしよう、1ヶ月後はどうしていようというのは、毎日変わるんですね。その一部だけでも、やっぱり記録にとどめてほしかった。あとは、あの原発の被害があったところを記録にとどめてほしかった。わたしたちも忘れるわけですから。後で見て、あの時はこうだったというのは絶対に残すべきだと思っていたので、堀切さんがやっていることにものすごく賛同したんですね。

鵜沼さん
▲鵜沼さん

M:そういう撮影をされる中では、やはり作られた物語ではないので、現実を直視しなきゃいけないということで、撮影する側も、取材する側もされる側も出来ない部分、踏み込めない部分、辛さをまたよみがえらせちゃう部分、といろんなことがあるかと思うんですけれど。
H:でも、結構、話していると楽しいんですよ。日常会話の延長線上なんですけど、カメラ持ってしゃべってもらうときも、何かこう、聞きづらい質問をこっちがするとか、何か鋭い問いかけをするということではなくて、何か、自然にしゃべってくれるんですよ。ホントにこう、皆さん、それぞれふるさとに対する思いを語ったりとか、あと、悔しいという思いとか、色んなことを喋るんですけど、多分、これ、活字だと伝わらないかなっていう・・・
M:表情っていうか?
H:表情とか、抑揚というか。わたしも撮影させてもらった後で、何度か、ビデオを見返すんですけれど、ホントにこう、魅力的だな、っていうか。すごく辛いことをしゃべっているんだけれど、カメラの前でわりと生き生きとしゃべってくれる、ということがありますね。ホントに自殺を考えてたんだよ、とか、そういうことをサラっと。あと、ホントに義理の息子がちょうど3月11日、爆発したときに、原発の中にいたんだよ、とかいうことも。
こっちから話して、というよりもしゃべりたい、ていう感じで、それでホントにその人なりの魅力っていうか、その人らしい喋り方でしゃべってくれるという、そういうやりとりがありましたね。

M:1本目の作品で出てらした書道をしている方とかは、今はどうされているんですか?
いきなり、今、思い出してしまったんですけれど。
H:今も書道をされています。書道の先生の方は相変わらず教えてらして、生徒いっぱいでやってます。わたしと鵜沼さんも生徒なんですよ。
M: あぁ、そうなんですか。書道の時間は無になれるというか、そういうのでいいんだよねぇという話が出ていたように思いますが。
U:実は、あの書道の言いだしっぺはわたしだったりするんですよ。
M:そうなんですか。それは何かやってみれば・・・、やりたいなぁみたいな?
U:いや、たまたまあそこで世間話をいろいろ渡辺先生としていくうちに、ちょうど娘が夏休みだったんですよ。避難所の中でお習字の宿題をやるってむずかしいな、と思って、「先生、ちょっと夏休みの宿題、教えてよ」、そうしたら「じゃぁ、教室つくるから」なんて言われて。そんな感じでした。
M:そうやって、それまでの共同体とはまた全然違うし、環境も違うけれど、その中で集まれば、お互い助けあったり、協力しあったりっていうことが、もちろん、いいことだけではないかもしれないんですけど、いいこともたくさん生まれて。
U:そうですね。新しいコミュニティがあすこで出来たんですよね。それが一番よかったのかもしれないです。
M:そのカフェをやろうって思われたのも、やはり、そういった、つなぐ場になればっていうような気もちで?
U:そうですね、単純に言うと、あすこに住んでいる人たちもゆっくりお茶を飲む場所ってないんですよ。廊下の片隅のベンチとかで座って、世間話しているとか。
M:校舎の外のベンチに人がいらっしゃる場面がよく写っていましたよね。
U:ああいうのだったりとか、たとえば、わたしなんかは騎西高校をそんなに間をあけずに出たんですけど、出ると遊びに行きたいんですよ、さみしくて。双葉の人に会いたくて。なんだけど、居場所がないんですよ。みんなそれぞれにやっぱり居場所がなくて、だったら、お茶飲む所くらいつくってよ、というのが最初の、わたしのわがままから始まったという感じです。つくってみたら、やっぱりみんな、ほしかったのねぇ、という感じで。
M:みんな、どんどん集まっちゃって。
U:はい、そんな感じでした。
M:そうですよね。話す場とか、それぞれいろいろ問題はかかえていたとしても、やっぱりホッとする場というか、共有出来るか出来ないか、というのは違いますもんね。
U:そういう気もちを持っている方がいて、こういう場が必要だっていうので、手を貸してくださった方がたくさんいたので、それがとてもありがたかったですね。

M:最初、鵜沼さんに出演をお願いしたときに、わたしは原発には反対ではないから、とおっしゃったとか。
U:そうなんです。毎週金曜日、こういうのでやっていたというのは知ってたんですけれど、言葉の言い回しとかで皆さんに申し訳ないことを言ったりしたら、あれかな、と思って。ホントに最初、いいんですか?と聞いて。
M:それはもう、いろいろな意見がもちろんある・・・。
U:わたしは最初に、反原発でも、推進でもなんでもない、タダの、何かエラい目に、ひどい目に遭わされちゃった身なんだと。そういうことを2度と、同じことを繰り返してはほしくない、という意味では、ぜひ参加させて頂きたい、けれどもそういう失礼があってはあれかなと思って。最初にお断りしたのはそれだったんです。
M:先ほどの槌田先生のお話(「反原発で行こう」のコーナー)を聞いていると、このままでは同じことが起きそうなお話でしたね。根本的なところは、何も対策はされていないということなので。原発に安全というのは、ゾッとするほど、ないんだとおっしゃってましたけど。
U:わたしもホントにないと思いますね。

M:監督としたら、引き出すというよりおひとりおひとり、みなさんがどんどん話してくださるということでしたけれども、監督の視点としては、どういう風に・・・同じ立場で聞くみたいな?
H:わたし自身は原発反対。都会に住む人間として、原発はよくないって思ってたんですけれども、福島の、双葉町の人なんかはもともと原発と一緒に暮らしてきたわけで。
M:働いている方も多いし。
H:だから、こういう目に合わされても、東電のお世話になってきた、だから余り批判は出来ないという人も当然、いるだろうなぁと思っていたし、わたしとはぜったい目線というか、立場は違うだろうな、と思ってたんですね。だから、被害者でありながら、加害者だと言われているんだという人もいますよね。要するに、おまえたちが原発を誘致して、原発の恩恵を受けてきたんじゃないか、とまわりにも言われると。
だから、地震や津波のように単純な被害者という風に言い切れないと思っている人々もいるんじゃないか、と思ってたんですよ。たしかに、うちはみんな原発で働いてきて、東電のお世話になってきたという人もいらっしゃいますし、その辺の事情はわたしたちみたいに、東電はこんな事故を起こしてひどいって純粋に言えるかっていうと、もうちょっとアンビバレントな感情があるんじゃないかな、と思うんですね。ですから、ホントに色んな人がいました。最初の頃は特に。
それは自分の考えと違うからといって、それは違うんじゃない?とは言わずに、あぁそうなんだ、こういう風に考えるんだぁって感じで話をしてもらってきましたね。
M:そうは言っても、東電のお世話になっていたんだという言葉は結構、辛いですね、聞いていると。
H:たしかに最初の頃は、そういうのはあったんですけれど、それにしても、謝りにも来てくれない、っていう、今まで一緒にやってきたじゃないか、双葉町なんかは東電で働くのが一番のエリートコースだという感じだったようで、それだけ持ちつ持たれつでやってきた。
M:共にいたはずなのに。
H:だけど、謝りに来てくれない、ということで、これは俺たちのことを人間としてみているのか、という風に怒っているおじさんがいましたね。最初、半年もしないうちに。
それで、だんだん騎西高校のなかでも、最初はなかなかそういうこと、遠慮して口にしなかった人も声をあげるようになってくるというか。でも、だからといって、東京とか埼玉の人たちがデモをやるように、双葉町の人たちもまた立ちあがるか、と言ったら、そうではないし。結構、わたしもそういうことをかもしだしちゃっていたのかも知れなくて。
鵜沼さんに最初のころ、言われたんですけれど、堀切さんはなんで双葉町の人は立ちあがらないんだっていう風に思っているでしょう?って言われちゃって。そんなどころじゃないんだよっていう。ちょっと映画にも出てくるんだけど、そこらへん、わたし自身、双葉町は一番の被害者だから、立ちあがってほしい、という思いは・・・
M:なきにしもあらず、ですよね。
H:でも、現実はやっぱりそうではないっていう。ホントに足なみを揃えて行こうかな、という風に思ったんですよね。
M:それがもしかしたら、テントひろばに集まる人は原発に反対する人がほとんどですし、東京では毎週末いろんなデモとか、東京だけでなく全国でそれは行われていますけど、やはり、立地自治体に寄り添うという視点は決して忘れてはいけないんでしょうね。
(鵜沼さんに)そういう行動をご覧になって、どんな風に思われていますか。その、電力だけとかを使っている東京に対して、そこで原発反対って言うんだ、みたいな、どんな思いでいらっしゃいますか。
U:わたしはあんまりそこまで深く考えていないんですね。反対だって言って、3.11以降、意思表明が出来る時代になったんだなって。
M:あぁ、タブー視されないで言える・・・
U:逆によかったんじゃないかって、そういう意味では、あれがきっかけになったんだなって思いますし、誰だってそれは不思議にいつも思いながら、わたしだって、ホントにいいのかなって思いながら生活はしていたので、それを1回は皆さんが考える機会が出来たっていうのでは、わたしはデモとかはあってよかったんだと思います。

M:たしかに考えたり、それをこう、でも必要じゃないとか言いながら話し合う場というのが特別なことではなくなったということはたしかに大きいかもしれないですよね。でも鵜沼さんは気もちとしては、今後どうして行きたいと思ってらっしゃるんですか?
U:今後は当たり前の生活をしたいですね。どこでも言うんですけど、人として生活したいんですと言うんですよ。やっぱり、時には辛くて、もう、あの事故がなかったかのように自分もしたいって思うんですよ、早く。でも、多分、一生ついて回るんですね、こればっかりは。これとどう付きあっていくか。事故前は原発と付き合っていくかということが先だったんだけど。あとは事故後は放射能と付き合っていくこと、この事故であったいろんなことと当事者として付き合っていくことがまだ慣れなくて、時々きつくなるとき、ありますよね。
M:それは、そうですよね。お子さんもいらっしゃるわけで。お子さんとはどういう風にそういったお話とか、されますか?
U:逆になんか、子どもが話したいようなときは、そういう話もむずかしい話もしますけど、そのときどきによって、そういうのを見たり聞きたくないときもあれば、どんどん聞きたいときもある。わたしもそうなので、まぁ、状況に合わしてですね。
M:さっき「人としてのくらし、当たり前のくらし」というのが、やはり、今はとてもじゃないけど、出来てない・・・
U:そうですね、事故があったがためにいろんなことを押しつけられて、にもかかわらず、わたしたちは着のみ着のままで来たのに、何か知らんぷりされて、とりあえず、うるさいから、手、貸してやったふりしていこう、みたいな感覚になっちゃうんですよ、今までの東電とか国のやり方、見ていると。
いろんなこと、押し付けられるときに、わたしたちって、江戸時代に士農工商で穢多、非人とか、ありましたよね。わたしたち、ホントに穢多なんですか。非人なんですか。原発を造った時点で、その扱いなんですか、最初に言ってくださいよって言いたかったですよ、ホントに。最初にそれ、言ってくれればいいのに。だったら、反対したのにって、思いますから。
M:最初はうまいこと言ってね。
U:そうですね。
M:こんなことになったら・・・
U:ウーン・・・

M:これは皆さん、ぜひ映画を見て頂きたいと思いますけど。これは監督、ライフワークというか、共に生きていくことになりそうでしょうか。
H:わたしの場合は、いくら騎西高校に行って話しても、帰る場所がとりあえず、あるわけですよね。アパートですけど。そういう持ち家でないとしても、やはり、自分の住み場所、暮らす場所があるとか、仕事があるとかってことは、それをベースにした上で、こういう記録が出来るということだから、ある意味で、幸せといったらおかしいですけど、やっぱり、こういうことが起こっても、全然、事態は変わらなかったわけですよね。
M:恐ろしいことに、今のところは。
H:よく再稼働とか言うなと思うんですけど、ホントに福島でこれだけの人たちを生み出して責任が取れないっていうことは、誰の目にも明らかだと思うんですけど、責任がとれないのにまた、やっちゃうのかなぁっていうことがあるので・・・
M:ホントに先ほどの槌田さんもおっしゃってましたけど、東電は身銭を切れと。切って、ちゃんとすべきことはしてほしいですし、国だってそうですよね、ホントに。こんないい加減なことでは・・・
H:ホントにこういう、普通にまともに生きてきた、わたしたちと全く同じような人たちが、もう自分たちは国民じゃないんじゃないか、とか、穢多、非人と同じだねって思っちゃう訳ですから。そういうことを知ってほしいですよね。それが原発事故が生み出したものだ、まぁ、事故が起こる前からですけどね。原発に人々をしばりつけたということの結果がこれなんだっていうことにやっぱり気づいていかないと、と思いますね。
(*この後の署名集めの話は別にアップします)
M:新しい作品が出来たばかりの時で申し訳ないんですが、次回作はどうお考えですか。
H:今、上映をして廻るんで・・・
M:これから、この新しい作品をもって全国各地で、上映会をするということですね。
H:事故から2年というところで、続編、終わっているんですけれども、それだけで充分、双葉の人たちがいい味を出してくれているので、かわいそうな避難民というだけじゃないんですよ。2年こういう生活が続いていると、やっぱりみんな、能動的にやろうと思わざるを得なくなりますし、それがどういう方向にいくかというのは、色々あるんですよ。その辺のところを見て、避難生活、本当に政府がほったらかしにしている避難所の人たちが、長期化した避難民になっていくと、どういうことになっていくのか、ということを一人でも多くの人に見てもらいたいということで。次回作はまだ・・・     (続く)


第二テントでも上映会をします。
日時:9月28日(土)16:00~19:00
プログラム:ドキュメンタリー映画「原発の町を追われて」本編、続編上映
上映後、監督の堀切さとみさんを囲んでトークをします。
そのほかの上映会については「原発の町を追われて」公式サイトをご覧ください。
http://genpatufutaba.com/

(まとめ:あっきい  写真:あおぞら放送より)

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原発いらない女たちのテントひろば

Author:原発いらない女たちのテントひろば
「未来を孕むとつきとおかのテント行動」を引き継ぐ新ブログにようこそ!

「原発いらない女たちのテントひろば~福島とともに」は
東京・霞が関の「経産省前テントひろば」を拠点とした、女性による脱原発・反原発のアクションです。
 年齢もバックグラウンドも様々な女たちが、福島原発事故に対して立ち上がった「原発いらない福島の女たち」につながろうと集まって来ました。
 それ以来、つねに新しい仲間を迎えながら、「原発を止めたい」「子どもたちを守りたい」という思いのもとにテントを拠点に多様な活動を続けています。
 生きること、暮らすこと、命をつなぐこと。小さく、ささやかなものへの眼差しを大事にして、「原発」という強大な構造を変えて行けることを固く信じて。
 このブログはもう一つの「テントひろば」。誰にでも開かれた、語らいと学びと交流の場です。世界中の女たちに呼びかけます。
「強く、そしてしなやかにつながっていきましょう!」

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