原発いらない女たちのテントひろば~福島とともに

木田節子さんのお話@スペースたんぽぽ

2013年10月14日(月・休日)14:00から「木田節子の新たな挑戦 ―選挙に立候補してわかったこと、ジュネーブ訪問してわかったこと、このままにはできません!」と題する木田節子さんの講演会が開かれました。
木田さんは岩手県釜石市の出身。京都・東京・福島などでバスガイド歴通算25年。35年前に結婚して福島へ。1992年に福島県双葉郡富岡町の原発から8キロの所に家を建ててずっと住んでいましたが、2013年3月11日の原発事故後、水戸で避難生活を続けています。

ジュネーブ国連人権理事会で福島の現状を訴える(2013年4月)
「本当に普通のおばさん」だった木田さんは原発震災のショックで、夫が勤務する水戸の社宅で引きこもり状態で避難生活をしていた。2012年2月に茨城県東海村の村長さんの話を聞きに行ったことをきっかけに茨城の反原発の仲間たちとつながりを持つようになった。そして一人で経産省前で抗議を始め、官邸前でも発言するようになった。

ジュネーブに行かないか、と木田さんに声をかけてきたのは人権NGO言論・表現の自由を守る会(JRFF)とプロジェクト・ピースナインというNGOだった。国連の本部はニューヨークにある。しかし、人権関係では女性差別撤廃条約だけがニューヨークで審査されていて、他の人権条約機関は全てジュネーブの国連欧州本部にある。「ジュネーブに行く」ということは、人権問題を国連に訴えるということなのだ(*)。
*国連人権規約は世界人権宣言の内容を基礎として条約化したもので、経済的・社会的及び文化的権利に関する国際条約「社会権規約」(A規約)と市民的及び政治的権利に関する国際条約「自由権規約」(B規約)がある(日本は1979年に締約国となった)。
締約国は規約の実施状況について、4年ごとに社会権規約委員会から審査を受ける。2013年4月30日に日本政府の第3回定期報告書が社会権規約委員会により審査されることになっていて、木田さんのジュネーブ行きはこれに合わせたものだった。

木田1
▲ジュネーブ行きの段取り

自分は話を聞くとイヤと言えない、一つのことにのめり込む性質。この間の活動を通して自分の出来ること、出来ないことがわかってきた、と木田さん。

社会権規約第一条の2
「すべて人民は互恵の原則に基づく国際的経済協力から生ずる義務及び国際法上の義務に違反しない限り、自己のためにその天然の富及び資源を自由に処分することができる。人民はいかなる場合にもその生存のための手段を奪われることはない」。
「このような権利を国と東電が奪ったのであるから、それを弁償しろ!」と木田さん(会場のホワイトボードの上記の引用の下に書かれたもの)。

日本はすでに2001年の審査の際に原発事故について国連から勧告を受けていた(事故の際の避難ルート、ヨウソ剤の配布、食料の調達など)! 6年後にはそれに対して回答すべきだったのに、日本政府は無視していたのだ(*)。

 *「社会権規約 経済的、社会的及び文化的権利に関する委員会(2001年9月24日)
第2回日本政府報告書審査 経済的、社会的及び文化的権利に関する委員会の最終見解
 主な懸念される問題とそれに対する勧告」

 パラグラフ22に対しての勧告:
(勧告)パラグラフ49 委員会は、原子力施設の安全性に関連する問題に関し、周辺住民に対して、すべての必要な情報の透明性及び公開性を促進することを勧告する。さらに、締約国に対し、原子力事故の予防及び事故が起きた際の迅速な対応のための準備計画を策定することを要求する。
 このほか、パラグラフ27に対する勧告(パラグラフ54)、パラグラフ28に対する勧告(パラグラフ55)も重要。

4月24日に日本を出発した(帰国は5月3日)。手違いで参加バッチが27日まで入手出来なくて、会場に入ることが出来なかった。その代わりに国連本部のガイドツアーがあったので、入場料800円を払って内部を見てまわった。
通訳をしてくれる筈だった、筑波在住23年のアメリカ人ジェフリーも仕事の都合で一緒に来れなかったため、バッチを入手するまで、“DAYS JAPAN“2013年4月号に掲載の「富岡町汚染地図」を背景に、国連本部前やジュネーブの大学でゲリラスピーチを行ったり、ジェフリーの作ったドキュメンタリー映画 ”Women in Fukushima”(福島の女たち)の上映を行ったりした。

現在の富岡町
▲富岡町の地図

29日はパレ・ウィルソンという会場で、日本の各NGOが人権理事会に日本政府の報告書審査のために情報の提供を行なった。エジプトのモネーヌ委員は「わたしたちは日本政府の集めた資料以上の資料を日本のNGOからもらっている」と述べた。

30日には日本政府第3回定期報告書が人権理事会により審査された。
日本政府代表団は上田秀明人権大使(*その後、6月に国連拷問禁止委員会で「シャラアプ!」発言をした人物)を団長とした18名で、外務省の阿部人権人道課長が法務省、厚生労働省、環境省、文科省などの担当者と共に回答をした。傍聴について突然、人数制限を設けたり、日本政府の回答はのらりくらりの官僚式答弁に終始したり、というものだった。
ところが、委員会が終わり、関係者があらかた退場すると、日本政府代表団の面々はハイタッチをして、「無事、やりおおせた」ことを祝っていた。そこで木田さんは「何をそんなに喜んでいるんですか」とひと言、意見を言って会場を出たという。
5月17日には国連から日本政府に「総括所見」が出された。

今回は急に行くことになったが、次はちゃんと準備して福島の被害者たち大勢で行きたい。

国連行き
▲スケジュール ジュネーブでの

参議院選挙に立候補(2013年7月)
ジュネーブ行きの準備をしている忙しいさなかに選挙の話があった。脱原発をかかげる緑の党が原発難民を立候補させたいということで声がかかり、出発前にとりあえず党員になった。夫はずっと立候補に反対だった。離婚届を用意してきたので、書こうとしたら立候補を認めてくれた。
息子が飼い始めた犬の世話のため、夫の住んでいる社宅では犬が飼えないので、現在は犬と生活している。ケンカしたとき、帰る所があるのはいいと思う。

広瀬隆さん、山本太郎さんも応援を表明してくれた。原発難民だが、県外避難なので思ったことが言える。福島難民のことをわかってほしいと思って立候補を決めた。
選挙運動を始めて、都会での反応の悪さにがっかり。選挙運動2日目、第一声をあげた静岡から戻ってきて、品川で駅頭街宣。品川駅芝浦方面はIT企業が多いところ。通行人は若い人が多いが、足早に通りすぎ、ちらしを受け取ろうともしなかった。
都内に避難している人が多く住む江東区東雲(しののめ)では、「福島から放射能を撒き散らしに来たのだろう」と言われた。

マスコミの扱いも影響があったと思う。共同通信は緑の党を政党してし扱っていなかった。読売は立候補者へのアンケートの対象として扱ってくれなかった。候補者の肩書きとして、「原発難民」と書いてほしいというと、朝日は「原発被災者」としか書いてくれなかった。そんなこんなで7月で新聞を取るのをやめた。

多くの人たちからカンパをいただいた。「年金生活なので、これだけしか送れません」とか、振込用紙に書き込まれた一言ひと言に涙が出てきた。

「フクシマ、これでいいんですか」
「この国はわたしの思っていた国ではなかった」
この思いを訴えるために、やるだけのことはやった。原発で儲かった奴らは原発反対を言わない。

これからやって行きたいこと
昨年秋から新橋駅前SL広場でゲリラ・スピーチを行なっている。大熊町の木幡ますみさんと一緒にこれからも神出鬼没でやって行きたい。
原発難民の聞き取りをしたい。福島の人の声を政治家に届けたい。

これからのこと
▲これからのこと

皆さんも行動を起こしてほしい。
会場から「原発立地の人の話も聞いてほしい」との声(女川からの参加者)があったが、「場所を設定してもらったら、ガンバって行きます」との答え。

原発難民には現在、月10万円の精神的慰謝料が支払われているが、一括でも受け取れるようになった。それを狙って暴力団が福島に入ってきている。若者が麻薬に手を出しているなどの弊害が生じている。

震災後、妊娠した女性に対し、検査を受けると心音が弱いから、と堕胎し、本人に許可を得ることもなく胎児を福島医大に送っている。

木田さんは2時から途中、休憩を交えて5時までジュネーブ、選挙のスライドを交えて語り続けてくれた。選挙では最後の1週間、木田さんの選挙の手伝いをしたが、これからもわたしなりの方法で、応援していきたいと思っている。

(報告:あっきい  写真:あれこれ屋)

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原発いらない女たちのテントひろば

Author:原発いらない女たちのテントひろば
「未来を孕むとつきとおかのテント行動」を引き継ぐ新ブログにようこそ!

「原発いらない女たちのテントひろば~福島とともに」は
東京・霞が関の「経産省前テントひろば」を拠点とした、女性による脱原発・反原発のアクションです。
 年齢もバックグラウンドも様々な女たちが、福島原発事故に対して立ち上がった「原発いらない福島の女たち」につながろうと集まって来ました。
 それ以来、つねに新しい仲間を迎えながら、「原発を止めたい」「子どもたちを守りたい」という思いのもとにテントを拠点に多様な活動を続けています。
 生きること、暮らすこと、命をつなぐこと。小さく、ささやかなものへの眼差しを大事にして、「原発」という強大な構造を変えて行けることを固く信じて。
 このブログはもう一つの「テントひろば」。誰にでも開かれた、語らいと学びと交流の場です。世界中の女たちに呼びかけます。
「強く、そしてしなやかにつながっていきましょう!」

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