原発いらない女たちのテントひろば~福島とともに

7/17 福島原発告訴団 院内集会の報告

7月17日に行われた、検察審査会激励行動の後、参議院議員会館で院内集会が開かれました。その報告です。

1】.開会の挨拶 武藤類子団長
11万人の被害者がふるさとに帰れない責任を問う裁判を切望しています。いま、国の政策は被害者を切り捨てる方向にあります。一人ひとりの市民・国民が大事にされていない。一人ひとりの市民・国民がそのことを自覚し、この理不尽な被害を口に出していかなくてはいけないです。つらく、苦しい日々にある「不正」を糺していきたいです。

2】弁護団
(1)保田弁護士
○2002年、政府地震調査推進本部(推本と略)による日本海溝沿いの地震予測(長期評価)が公表され、東電は福一に10メートルを超える津波が襲う危険性を周知していたのに検察は起訴しなかった。
○2008年、推本が想定したマグニチュード8クラスの地震が福島沖で発生した場合、15.7メートルの津波が襲うシミュレーション結果を得ていた。武藤元副社長らに報告されていた。土木学会からの問題指摘。推本の見解を取り入れず、従来の土木学会の津波評価義技術に基づいて実施。
○推本の調査結果の再検討を土木学会に丸投げ。先延ばし、実際に依頼書の作成は約1年後の2009年6月。
この依頼が真摯でなかったことを裏付けている。昨年、検察の捜索が入らず、その過失を取れなかった。
東電役員たちはこのシミュレーション結果を政府・保安院に提出せず、規制委員会担当者にも隠した。
この土木学会への検討依頼がまともな対応と言えるのか。単なる時間稼ぎだったのかが、東電役員たちの強制起訴の可否についての最終的争点になる。

※3人の弁護士の証拠資料はぶ厚い。
検察は2回の不起訴を経て、重大な事故への対応・真相をうやむやにしている。
不信感は、切り捨て支援、原発輸出、原発の再稼動など、多岐にわたる。

(2)河合弁護士
もし、今回、不起訴となると原発事故の責任にフタをされてしまう。
○2012年の東電役員の 「株主代表訴訟」で、東電から提出された証拠として、
・2008年9/10 福島第1原発津波評価の概要の「文書」(推本の知見の取扱)
・2008年9/10 「耐震バックチェック説明会(福一)」の会議録。
 この議事概要の中に「津波に対する検討状況(機密情報の為、資料は回収。議事メモに は記載しない)とある。会議後回収された。また、「今後の予定」が記載。(略)
○東電の認識(本音)の露呈
・津波の高さの想定と津波対策が不可避であるという認識。
・土木学会への検討依頼は不可避なのに先送り。
・回収するような内容が書かれていた。
○起訴相当の証拠である。
→7/30の検察審査会の「起訴相当」の議決→裁判。

3】告訴人リレースピーチ

1)男性
 2014年11月、ADR(裁判外紛争解決手続き)の申し立てを飯館村の3000人が起こした。村民は怒っている。意志表示、物申す団体になろう。刑事、民事どちらの訴訟においても原発を止めることが最終目的です。損害賠償を要求することは原発のコストをあげることにつながります。

2)女性
 福島から京都に避難しています。いくつかの避難状況を紹介します。
例A: 南相馬で被災した車椅子の方が一週間、避難所で生活しました。今まで、排尿促進剤の服用が必要だったが、服用すると排尿に40分間/1回 程かかり、避難所での生活では周囲に迷惑をかけるので、と服用をやめました。次第に足がむくみ、足首が45cmにまでなり、そしてチアノーゼになりました。施設での生活はムリで、新潟のホテルを転々とした後、現在、新潟で生活をしています。

例B: 80代の母親と50代の方
お母さんは車椅子での生活を2週間余儀なくされ、やっとベットのある場所へ、そして1か月後、仮設に移りました。仮設での日々は生活しづらく、最近、寝たきりの状態です。
 南相馬が避難解除されたなら、山の上にある自宅に住むのが希望ですが、生活出来る環境は出来ていません。せめて復興住宅でも・・・と願うのですが、条件が合いません。

例C: 介助が100%要る男性
てんかん歴があります。入院が必要です。原因不明の貧血となり、輸血が必要な状態です。それなのに、入院が出来ない状態です。福島では現在、このような症例が多発しています。
 
 避難所の仕組みとして、基本的には体力的に弱い人は中央、もしくは入口近くです。冬は寒いです。丈夫な人たちが四隅を埋めます。今、改めて訴えたいのは、避難所はハード・ソフト両面において管理する側の論理で整備され、動かされているという事です。「やさしく」ありません。
 被ばくと病気・障害、不安と不幸がリンクするとは言いません。私は必ずしもリンクするとは思いません。しかし、障害に対する対応は、社会の成熟度をはかるカナリヤだと思います。

3)女性 (田村市、田辺地区)、孫(3歳)がいます。
 私は子どもの頃、原爆の映画を見ていて、知っていたつもりでした。それなのに、原発を安心・安全と信じ切っていました。事故が起こるまで、原発の危険性を訴える運動をしている人たちのことを知りませんでした。
 事故後、大熊町から宮城へと避難した頃、宮城の業者(パン屋)は相馬(福島県)の県境にパンを置いて、引き上げることを知りました。学校では4月6日から始業となり、とても不思議です。

4)女性 (宮古)
 2013年夏休みに孫と祝島へ保養で行きました。心安まる祝島の暮らしでした。祝島の反原発の闘いの歴史を知りました。反対の一声もあげずに、事故が起こるまで暮らしていた自分はなんだったんだろうと、苦しくなりました。
 子どもたちのところに戻り、いよいよ祝島での生活が穏やかで、温かいものであるかを思い、子どもたちに祝島での生活を提案したのですが、一人で行けと言われてしまいました。出来るだけ線量の低い土地を買い、今、そこで暮らしています。
 国・東電は放射能と健康の因果関係を認めず、放射線量が高い所も避難解除にと、進めています。裁かれず、責任をとらず、怒りを覚えます。
韓国でのセオール号沈没事故についての報道では事細かく、大統領の謝罪、関係者の逮捕と一連の動きを追っていたのに・・・責任者を野放しにしている日本の国に孫と住んでいます。

5)女性 (3月14日に楢葉町から(東京都?)北区へ避難)
 原発は五層の壁で守られていると、推進派の多くが言う第2原発建設計画の時、楢葉町を守る会を立ち上げ、1975年に初の公聴会を開きました。原告404人が福島地裁に訴え、スリーマイル原発事故、チェルノブイリ原発事故とは原子炉の型が違うと言われ、1992年に敗訴しました。2008年、東電は防護壁などの対策を取りませんでした。

6)女性(浪江町出身
 夫は定年退職後、うつ病になりました。肺血栓を患い体重が激減し、認知症になり、70歳で他界しました。20代~50代、70代の死亡が目立ちます。原発被害による関連死は12人です。
 故郷に帰りたい人は8.8%、帰りたくない人、不明(わからないを含む)が半分づついます。支援賠償打ち切り、ひどすぎます。

7)女性
 復興住宅に住んでいるが、家賃が高くて苦しい毎日です。娘は思い出の地である自宅とまわりにある里山、たんぼを見るとほっとするので、廃屋にしないでと言っています。
東電・国には刑事罰をお願いします。

資料: 「被災者生活支援等背策の推進に関わる基本的な方針の改定(案)」を撤回し、支援法の本来の趣旨に基づいた背策を求める要請書」
原発事故子ども・被災者支援法推進自治体議員連盟
福島原発震災情報連絡センター
原発事故被害者の救済を求める全国運動実行委員会

*全文は福島原発震災情報連絡センターのFacebook で読むことが出来ます。 
  https://www.facebook.com/fukusimasinsai

(まとめ:有識者)

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Author:原発いらない女たちのテントひろば
「未来を孕むとつきとおかのテント行動」を引き継ぐ新ブログにようこそ!

「原発いらない女たちのテントひろば~福島とともに」は
東京・霞が関の「経産省前テントひろば」を拠点とした、女性による脱原発・反原発のアクションです。
 年齢もバックグラウンドも様々な女たちが、福島原発事故に対して立ち上がった「原発いらない福島の女たち」につながろうと集まって来ました。
 それ以来、つねに新しい仲間を迎えながら、「原発を止めたい」「子どもたちを守りたい」という思いのもとにテントを拠点に多様な活動を続けています。
 生きること、暮らすこと、命をつなぐこと。小さく、ささやかなものへの眼差しを大事にして、「原発」という強大な構造を変えて行けることを固く信じて。
 このブログはもう一つの「テントひろば」。誰にでも開かれた、語らいと学びと交流の場です。世界中の女たちに呼びかけます。
「強く、そしてしなやかにつながっていきましょう!」

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