原発いらない女たちのテントひろば~福島とともに

12.18井上めぐみさん講演・写真パネル展示 「福島の涙はわたしたちの涙 ~あれから5年~」

12.18井上めぐみさん講演・写真パネル展示
「福島の涙はわたしたちの涙 ~あれから5年~」 


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12月18日(日)に反原発美術館の設置されたベランダの前の部屋で井上めぐみさんのお話が行われた。お話の後、井上さんの説明を聞きながら、テント内に展示された写真パネルを観た。参加者は約20人。

井上めぐみさんは愛知県名古屋市在住。2011年5月より、被災支援ボランティアとして福島県に入る。現在も定期的に現地を訪れ、被災地、被災者の現状を各地で伝える活動を続けている。首都圏でお話されるのは今回が初めてである。

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●「“原発事故=福島”と一括りにされてしまいがちですが、実際にはそれぞれの場所で、地震、津波、原発事故の被害や復興の加速度、被災者の思いは異なります。安全な場所もあれば、今も住めない場所もあります。食べられるものもあれば、まだ食べてはいけないものもあります。政府が決めた、“原発からの距離”だけの線引きによって、コミュニティは分断されてしまいました」(井上さん)
 
●井上さんが初めて福島に入ったのは2011年5月。同月放映されたNHKのETV特集「ネットワークで作る放射能汚染地図 ~福島原発事故から2か月」を見たのがきっかけだった。名古屋から一人、車で出発し、ルートを選びながら、長野、新潟、福島へと進み、南相馬に入った。
 
南相馬市は警戒区域(原発から20キロ圏内)、計画的避難地域(20~30キロ区域)、緊急時避難準備区域(30キロ圏内の上記地域を除いた地域)と3つに分断されていた。当時、出会う人と言えば、海外のジャーナリストらしき人、ボランティアなどで、地元の人と深く関わりが出来るようになったのは2011年9月になってからだった。
 
●当時、20キロ圏内では約70万の家畜、ペットが死んだと推定されるが、人がいないサファリパークのような状態だった。牛舎に死に絶えた牛が横たわっていたが、牛舎の中にはうじ虫がびっしりついていて、真っ白にキラキラ光っていた。
 
大体3泊4日の日程で福島に通ったが、3日分のおにぎりを作って行き、車中で寝泊まりしながら、20キロ圏内に取り残されたペットたちの保護活動を始める。これまでにほぼ毎月、約50回以上、福島を訪れている。
 
当初は写真を撮る余裕もなかった。ガイガー測定器は常に持ち歩いていた。最初のころはつなぎの防護服を着ていた。放射線量の高いところに行くと、井上さんの場合、肺が痛むそうだ。測定してみると、やはり放射線量が高いそうだ。

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福島は広いので、「福島」と一言で語ることは出来ない。あちこちを回って地元の人たちの話を聞いた。1か所で話を聞き続けていたら、偏りをもつことになっただろう。
 
●双葉郡浪江町は原発立地ではない。しかし、町の山側は谷あいが多く集中しており、放射能が流れ込みやすい地形だったため、放射線量が高く、2013年4月に帰宅困難区域となった。津島地区(原発から約30キロ)から二本松市の仮設住宅に避難していた、今野さんと出会う。最初のころは、「いつか家に帰りたい、ここで死にたい」と頻繁に一時帰宅をしていたが、5年たった今では、新しい土地に家を建て、帰還を諦めてしまったようだ。
 
除染作業は「ガーデニング」と言っている人もいる。地元の方が除染作業員として働きに行く場合がある。作業方法は、当初、家屋をジェット洗浄していた。しかし、汚染された水が家の周囲に飛び散るという批判を受け、その後、屋根を雑巾のような物でひたすら拭くだけ、という原始的なやり方に変わっていた。
 
汚染土は地表10cmほどを剥いでいた。(除染マニュアルには地表1、2センチと書かれているものもあるが、重機では不可能だと思われる)。それらを集めてフレコンバックに入れる。汚染土を入れたフレコンバックが、至るところに積み重ねられている。
 
原発事故後、常識がくつがえされるようなことが次々に起こっている。浪江町の帰還困難区域内の大柿ダムは、来年、隣の南相馬市小高区に農業用水として供給を再開するという、町からのお知らせがあった。大柿ダム周辺の空間放射線量は今も高い数値。今年やっと帰還できた小高区民は、このダムからの供給再開を歓迎するだろうか。
 
井上さんは、福島第二原発のある富岡町の放射線量率マップの作成にも関わっている。年2回の放射線量測定には、避難先から集まってくれた地元富岡町の人々と一緒に取り組んでいる。詳細はこちらのブログ「ときぶーの時間」に、詳しく書かれている。http://blog.goo.ne.jp/tokigootokiboo/e/65b7e6e9a67ba5b1f14f29501d820f8e
 
●井上さんたちの尽力により、現在も様々な問題が残されている福島の被災ペットを受け入れるシェルターが、名古屋と静岡に作られた。新たな飼い主探し、動物の内部被爆の把握など、難しい問題も多いが、少しづつ進めている。原発事故は人間だけでなく動物たちの生き方も大きく変えていった。
 
●最初に井上さんにお会いしたとき、ちょっと想像していなかったような、華やかな感じの方で、美容関係のお仕事をしていると聞いて納得。彼女のお話を聞いて、その行動力に圧倒された。しかもそれを自分のくらしの一部として、自分の頭で考え、情報を探し、出来ることから実行に移していこうとするフットワークの軽さが素晴らしいと思った。それはきっと彼女の生き方そのものを反映しているのだろうと思う。
 
それにつけても、霞が関から動こうとしない役人どもは、もっと現地でのくらしぶりに触れて、住民の声に耳を傾けるべきだ。それを欠いているから、情け容赦なく、今のような「棄民政策」をつぎつぎと出してくるのだと改めて思わされた。

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(まとめ:あっきい 写真:早川由美子)

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Author:原発いらない女たちのテントひろば
「未来を孕むとつきとおかのテント行動」を引き継ぐ新ブログにようこそ!

「原発いらない女たちのテントひろば~福島とともに」は
東京・霞が関の「経産省前テントひろば」を拠点とした、女性による脱原発・反原発のアクションです。
 年齢もバックグラウンドも様々な女たちが、福島原発事故に対して立ち上がった「原発いらない福島の女たち」につながろうと集まって来ました。
 それ以来、つねに新しい仲間を迎えながら、「原発を止めたい」「子どもたちを守りたい」という思いのもとにテントを拠点に多様な活動を続けています。
 生きること、暮らすこと、命をつなぐこと。小さく、ささやかなものへの眼差しを大事にして、「原発」という強大な構造を変えて行けることを固く信じて。
 このブログはもう一つの「テントひろば」。誰にでも開かれた、語らいと学びと交流の場です。世界中の女たちに呼びかけます。
「強く、そしてしなやかにつながっていきましょう!」

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