原発いらない女たちのテントひろば~福島とともに

佐藤幸子さん「テントを守ろう」と訴え!

5月3日(憲法記念日・休)のテント前青空放送で佐藤幸子さん「テントを守ろう」と訴え!

青空放送のサイトhttp://www.ustream.tv/channel/tentcolor



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5月3日の青空放送は「反原発で行こう」のコーナーで、横須賀市議・山城保男さんが横須賀を母港とする米海軍・第七艦隊の原子力空母「ジョージ・ワシントン」による核の危険と核汚染状況などについて話されました。

続いて「福島から世界へ」のコーナーで、佐藤幸子さん(子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク)が福島の現状や第二テントを建てたいきさつなどについて話されました。
さらに、東京に自主避難されている若いお母さんでつくる「ママネット」代表の増子理香が避難の現状について訴えられました。

佐藤さん
▲佐藤幸子さん

◆佐藤幸子さんの話
「2011年9月 アメリカから帰るときに寄ったテントから女たちの行動は大きく展開し始めた」

 2011年の10月末に「原発いらない福島の女たち」がテント前で座り込みをしました。その当時、座り込みをしたいと思ってもどこに座り込めばいいのかわからない状態でした。座り込みにはたくさんの人たちが集まり、毛糸ヒモ(玉)づくりとか話し合いとか、経産省交渉をしました。手の指でつくった毛糸のヒモを持って経産省包囲をしました。包囲できるかな、つながるかなと心配でしたがつながりました。毛糸のヒモは玉にして今テントの中にあります。
 続いてすぐ「全国の女たちの行動」があり、さらに「とつきとおか」の行動がありましたから、10月の座り込みはテント活動の原点になりました。

毛糸玉アイリーン
▲アイリーンさんと毛糸玉

 私は2011年9月22日に野田首相が「国連演説をする」というので野田首相を追っかけて泉かおりさん、アイリーンさんたちとニューヨークに行き、原発やめろと訴えました。その帰り、テントに寄りました。後から知ったことですが、そのときあった第一テントは20日間のレンタルだったそうです。福島の女たちが座り込みをしたいと言ったら、もう一つ建てようとなりました。こんなに長くテントが続いているのは女たちの座り込みがあったからこそと言えるでしよう。それがいま危機を迎えてします。
「国有地」とありますが「国民の土地」ということでしょう。じゃまになってるわけではないでしょう。みんなで知恵をだしあってなんとかここを続けて行きましょう。

 いま私は福島市のマンションに住んでいます。原発事故がおこるかも知れないと思って、「核シェルター」、避難場所としてマンションを確保しておいたのです。
3.11から2年たって、百姓なのに、川俣町で自然農をやっていたのに、畑仕事田んぼ仕事はしていません。本来人間がすべき生活のスタイルをずっと続けてきたのに、そういう生活が一番被害を受けたってことに怒りがわきます。ただ、今の時点では命をまることが最も大事だという思いで子どもたちの避難もさせました。でも自然の中で土に触れながら生活するというのが本当だということをこの2年間でつくづく感じています。
 川俣町は計画的避難区域に指定されているのは一部なので、その人たちが指定されてない町内の他の地域に仮設住宅をつくって住んでいます。
去年の春で0.6マイクロシーベルト/h、除染をして、はかりましたら、0.38でした。除染した土などは地域のなかに仮仮置き場があったのでそこに移動しました。汚染土などを積み上げた場所の線量は半端じゃない。みなさん一度見に来てください。除染しても置く場所がないんです。また、除染したらそこに新しく土を入れなきゃダメなんだけど、それには山を崩して土をとるんですが、そういう場所が早々あるわけではなく、業者の人はその確保が大変だと言っています。

 子どもたちの未来のことを考えたら、子どもたちを被曝させないあらゆることをしないといけない。除染に使うお金があったら子どもたちの避難にまわしてほしい。避難を受け入れると言っている自治体、行政はたくさんあるんです。ところが国は福島県から要望がない、地元の要望がないことはしませんと言う。福島県は多少の放射能は影響はないと言う。甲状腺検査の結果をみてもわかるように3万人のうち10人に甲状腺癌が出ているというのに、甲状腺癌はすぐ死ぬわけではなく、治療できるからと言って、すべてそういう方向へもっていこうとしています。

 福島の子どもたちは内部被曝をしているのに、学校給食で福島県産の食材を使うと助成金が出る。福島の農業を守ると言って。これからの子どもたちの将来を考えるとこういう状態がいつまで続くのかと思います。せめて1ケ月間でも汚染されてないところに連れて行って、野外活動、保養をさせたい。そういうシステムをつくることはすぐにでもできるんじゃないかなと思います。行政は福島県内の南会津、西会津など放射線量が低い地方に移動をするならば助成金を出す。1泊5000円とか予算もとっています。ところがそれに取り組む学校がないのです。なぜか。学校そのものが被曝がないことにするということと、先生たちが生徒を引率して長い期間移動教室をやるという経験がない。4泊5日の学校行事でも大変だと言うことです。やろうと思えばいろいろと方法を考えられると思いますが。やろうとしてない。去年初めて学校単位で新潟県に移動教室をやりましたが、2泊3日でした。

Image1佐藤さんの本の紹介
▲佐藤さんの本の紹介

 『福島の空の下に』という本を出しました。記録をまとめた方がいいと言われて、これまでの経験をについて書きました。テントの行動も書きました。

国会正門前で集会
▲女たちは国会正門前で集会をした

デモの先頭の泉さん(浴衣
▲デモの先頭の泉さん

 私がこのテントに来ましたとき、一緒に行動したShut泊の泉かおりさんが3月7日に亡くなりました。彼女にすすめられなかったら私はニューヨークなどに行くことはありませんでした。また彼女は「国会正門前で行動しなかったら意味がない」と言って、正門前で行動する先鞭をつけました。がんばったからです。去年、泊原発再稼働阻止で北海道に行きましたが、その時はもうドクターストップがかかっていたんですが、そのときも女が立ち上がらなければだめだと言っていました。泉さんが亡くなられ日に、私の初孫が誕生しました。かおりさんの魂が孫に移ってくれたらと思います。その孫とともにこれから歩んでいきます。孫の名前はあゆむです。娘は酒田に避難しているのでいままで会えなかったのですがこの連休で福島に来て、孫にも会えました。

 このテントがますます維持されてくことです。
 テントに来ると原発いらないんだという人がいつも来てて、元気をいただきます。私は福島にいると私がみんなにエネルギーをあげなきゃいけない。でも放電しっぱなしだと大変。それで充電のためにここがあると思っています。このテントをみんなで支えていかなければならないと思っています。福島は過酷な状況におかれてしまいましたが、それを伝えて世界中の原発を止めるために私はどこにでもいつでもいきます。子どもの命を守る。それ以外のことは私のなかにはありません。

(報告・文字起こし・写真:あれこれ屋)

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原発いらない女たちのテントひろば

Author:原発いらない女たちのテントひろば
「未来を孕むとつきとおかのテント行動」を引き継ぐ新ブログにようこそ!

「原発いらない女たちのテントひろば~福島とともに」は
東京・霞が関の「経産省前テントひろば」を拠点とした、女性による脱原発・反原発のアクションです。
 年齢もバックグラウンドも様々な女たちが、福島原発事故に対して立ち上がった「原発いらない福島の女たち」につながろうと集まって来ました。
 それ以来、つねに新しい仲間を迎えながら、「原発を止めたい」「子どもたちを守りたい」という思いのもとにテントを拠点に多様な活動を続けています。
 生きること、暮らすこと、命をつなぐこと。小さく、ささやかなものへの眼差しを大事にして、「原発」という強大な構造を変えて行けることを固く信じて。
 このブログはもう一つの「テントひろば」。誰にでも開かれた、語らいと学びと交流の場です。世界中の女たちに呼びかけます。
「強く、そしてしなやかにつながっていきましょう!」

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