原発いらない女たちのテントひろば~福島とともに

5月3日(憲法記念日・休)のテント前青空放送で増子理香さんが訴え!

さらに、東京に自主避難されている若いお母さんでつくる「ママネット」代表の増子理香が避難の現状について訴えられました。

s-増子理香さん
▲青空放送で。
 私は福島県三春町に住んでいました。滝桜で有名なところです。自主避難してきて東京にいます。自主避難は母子避難という形が多いのですが私のところもそうです。三春町で小学校に通っていた娘も3年生になりました。
 2011年5月に避難しましたが、その時にはもう「安全宣言」が出されていました。かれました。例えば、郡山のスーパー(イトウヨーカ堂系列)では俳優の西田敏行さんが来て、丸かじりの野菜を食べるデモストレーションがされました。芸能人が来るような所ではないので、みんな来て、野菜を買っていました。学校も4月6日には普通通りに入学式が行われ、マスクをして通うという状況でした。学校の給食もはじまりました。

 5月に、最初に避難したところはインターネットで探して、個人のマンションにお世話になりました。1年ほどしてから、雇用促進住宅に移りました。
 私たちのように自主避難者は点在し孤立もしていました。怒りとか不安を話しあったりも出来なかったので、私はすぐ、6月頃に個人的にブログをつくって発信していきました。ブログで子どもを守るために避難したお母さんたちと、もちろん福島では全く知り合うことがなかつたわけですが、つながりました。そこからママネットははじまりました。

------------- ”つながろう!放射能から避難したママネット”
  つながりたい方、なにかを行動にうつしたい方、それぞれの想いを私たちと共有しましょう!hinan_mamanet_tokyo@yahoo.co.jp
事務所  〒101-0051 東京都千代田区神田神保町2-28 日下ビル4F
     NPO法人 しんぐるまざあず・ふぉーらむ内
-----------
 当時は、つながれた喜びがありました。福島県中のいろんな地域のお母さんがいまして、その土地土地の3.11の状況を生々しく話すこと「なんだったんだ、あれは」と語ること、そういうものでした。
 その後、子どももおおきくなって行きいき、お腹いる子どもをどこで生んだらいいのか、その間、上のお姉ちゃんは誰に預かってもらったらいいのかとか、幼稚園や学校に入るのに住民票が福島にあるならダメだと言われた、どうしようとか、お母さんが働いてないから学童保育には入れてもらえないとか、そういう悩みや行動を母子避難のお母さんたちは一人で抱えなくちゃならない状況でした。
 いま現在は、一つには避難生活に慣れてきたと言うことがあります。それで、妥協や折り合いを付けながらやっています。個別の悩みは、地域とか家庭でそれぞれあるので共有できない悩みも多いです。認知症のおばあちゃんを福島においてきてしまったという悩みとか、そういうことまでわかりあうということにはならないということに直面しています。

s-甲状腺検査
▲甲状腺検査通知
 子どもたちの健康、甲状腺検査などは受けています。いまは3.11に住民票が福島県にあった人、異動者登録がしてある人には避難先にも行政から「お知らせ」が来ます。
 私は3月27日に三春町に帰って受けてきました。やはり、避難対象地域の人たちが優先されるので、自主避難の人たちにはどこの病院で受ければいいという知らせがなかなか回った来ませんでした。知らせが徹底せず、新幹線代2万円とかのお金を出して福島に帰るのも大変でした。
 私たちはママネットという枠を越えて、「福島避難者子ども健康相談会」を行っています。これは「放射能被害から子どもたちを守る小児科医ネットワーク」が、福島から避難してきた子どもに限定して、2月と7月にやっています。今度は7月は亀戸と西東京市でやります。先生がいらっしゃった方たちのお話を30分くらい、聞いて下さったり、弁護士さんが賠償の相談にのって下さったりしてもしています。

 「私は避難して来たのです」と言えない人たちも多くいます。差別の問題だと思います。福島ナンバーをつけている車に石が投げられたとかホテルの宿泊拒否がされたとかいうことは本当にあります。私の娘が転校したときに「福島に帰れ」と言われたりしまとした。子どもの世界でもあるそうした差別が、その子たちが大きくなったときに、取り越し苦労であってほしいんですけど、結婚や出生の問題にかかわったとき、悩むと思います。そういう悩みをいまから除去してやれるのならやりたい。

 東京に来て良かったと思ってています。一言でいうと、3.11直後の福島にいて、そのときに親として子どもにしてあげられることは避難しかなかったんです。いま福島にいる親御さんの中には、なにもしてあげられないことですごく自責の念に駆られている人もいらっしゃると思います。私はたまたま夫がが了解してくれたからです。ラッキーだった。ただそれだけです。「避難してもなにもなかったね。福島に住んでいる子どももなにもなかつたね。避難して来てバカだったね、取り越し苦労だったね」と言えればそれでいい。でもいまはそうではない現実がみえているので、これ以上何かが起きない方がいいなという思いがあります。

 いま私が問題に思っていることは当事者にとっては2年しかたっていない。だけれども支えてくれる人たちにしたら、もう2年もたつたという感覚のギャップが非常にあるということです。2年たってもなにも変わっていないなとという思いもあるし、これからだという思いもある。2年というのが一つの区切りになっていろんな支援が終わってしまったり、県のなかでも助成が終わってしまったり、賠償ですら今回で打ち切りの話がされたり、なにか、どんどん「収束」に向かって行く、なにもなかったかのような気がしている。でも被害者はまだいるんです。
 そしていまやっと避難できるタイミングの人たちが福島から出てきて、今家を探していらっしゃる。だから家を提供して下さる方がいたら手をさしのべてください。福島では借り上げ住宅への助成は去年の11月26日に打ち切りなんです。ですから手をさしのべて下さる方、情報を寄せて下さる方は、子どもたちをドンドン外に出して下さる秘策を出していただきたい。
 私たち避難者はまだここにいます。そして身の振り方を選べずに苦悩の中にいます。私自身がこれからどうするのといわれたら、さあどうするかねーという状態です。家族の中で夫ともなかなか結論がだせない問題です。
 私たちはまだここにいるんだ!避難者なんだけど避難生活ではなく、2年間も毎日を、みんなと同じように送っている。子どもは学校に行き、大人になって行っている。大切な一日一日なんです。避難生活だからと小さなことを我慢したり、ちょっとうつろになったりしている。まだ2年で、日々の生活を元にもどしたいと思っていますが、いつになったら戻せるのか。
 

山羊
▲山羊 2012年10月26日のブログ参照
 テントの撤去問題ですが、私も2011年10月末の「原発いらない福島の女たち」の座り込みに参加しました。テントがあるおかげで、福島を捨ててきてしまったという思いが、ここにくることによって福島の女たちはつながったしつながれる。福島につながりが持てている避難者なんだという思いがもてます。黒田節子さんとだきあったり、武藤類子さんと涙を流したりする。そういうことがこのテントを介してやれたと思っています。
 それから2012年の10月に私たち避難ママで、支援法の実施の要望で復興庁(赤坂)に要請に行き、その帰りに小さな子どもたちを連れて、金曜行動の日だったんで、首相官邸前とここにきました。ここに10時半くらいまでいたんです。山羊がいて遊んで楽しかった。「テントは知っていたけれど子どもたちがいてこれなかった。初めて今日来て良かったわ。うれしいー」と言ってテントデビューして下さった避難ママも居て、ここがあることによってつながる、そういう思いはとても大事なことだと思っています。存続してほしいと思います。
ママネット


(文字起こし・写真:あれこれ屋)

コメント

コメントの投稿

  • URL
  • コメント(必須)
  • パスワード
  • 秘密
  • 管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL:http://fukusimatotomoni.blog.fc2.com/tb.php/69-df7df03b

プロフィール

原発いらない女たちのテントひろば

Author:原発いらない女たちのテントひろば
「未来を孕むとつきとおかのテント行動」を引き継ぐ新ブログにようこそ!

「原発いらない女たちのテントひろば~福島とともに」は
東京・霞が関の「経産省前テントひろば」を拠点とした、女性による脱原発・反原発のアクションです。
 年齢もバックグラウンドも様々な女たちが、福島原発事故に対して立ち上がった「原発いらない福島の女たち」につながろうと集まって来ました。
 それ以来、つねに新しい仲間を迎えながら、「原発を止めたい」「子どもたちを守りたい」という思いのもとにテントを拠点に多様な活動を続けています。
 生きること、暮らすこと、命をつなぐこと。小さく、ささやかなものへの眼差しを大事にして、「原発」という強大な構造を変えて行けることを固く信じて。
 このブログはもう一つの「テントひろば」。誰にでも開かれた、語らいと学びと交流の場です。世界中の女たちに呼びかけます。
「強く、そしてしなやかにつながっていきましょう!」

QRコード

QR

福島とともに