FC2ブログ

原発いらない女たちのテントひろば~福島とともに

柏から来た女性のスピーチ@裁判支援集会(7月22日)

 わたしは我孫子市、柏の近くから参りました。わたしの子ども夫婦と孫は柏の近くの手賀沼のふるさと公園の一角に住んでいます。原発事故が起こって約2年余り、子どもたちがそこで転げまわって遊んでいました。犬も大人も子どもも楽しんでいました。ところがつい3ヶ月くらい前から、そこにロープが張られるようになって、「危険につき、立ち入り禁止」になっているのです。どういうことですか。2年以上もたって、今頃、除染をやっているんです。いかに政治が怠慢であるか、いい加減であるか、政治家がウソつきであるか、ということをそういう現実を目の前にして痛感しました。

Image2柏柏

 わたしが原発を知ったのは約15年前です。勉強会で原発が50基以上も日本列島の海岸を取り囲んで、あることを知りました。日本の地図を見ると活断層が真っ赤になるくらい、塗られているんですね。そういうところに、なぜ50基以上の原発があるのか。販売したアメリカのメーカーですら、あんな狭い日本で事故があったら、どこに逃げるんだろう、と陰口があったそうです。
 それを政府、官僚が知らないわけがありません。知らないとしたら、それは怠慢というほか、ないのです。わたしもそれまでは原発というものを知らなかったんです。しかも知ってもなおかつ反対運動にまで投じることが出来なかった。福島で事故が起こってから、すごく自分自身の行動を後悔しました。やはり、反対っていう意思表示をしない限り、利権にまとわりついている政治家や企業家たちはどんどん、この原発を推し進めるのです。福島の原発だってそうです。
 あれはもっと10m位高いところに建設される予定だったんです。ところが、経費とかそういう問題で10m下に造られた。しかも安全神話を日本中にふりまいた。さて、事故が起こった。「想定外」のことであった。事故はすべて想定外だったんです。想定外のことを考えられなかった、というのは、これも怠慢なんです。
 その時の東電の技術開発者は、想定外のことであり、被害の大きさは予想できなかったと言います。それは単なる言い訳です。自分の身に危険が及ばなかったからと言って、それを言い訳にしていいものでしょうか。今、皆さんもご存知のように、日本の原発はほとんどが海辺の近いところにあります。どんなに高い堤防を造っても、この前の津波の破壊力をみればわかるように、打ちこわされるのは明白なんです。それでまた、事故が起これば、想定外で済ませるんでしょうか。日本人はどこに住むんでしょうか。

スイスの原子力安全対策委員が福島の事故が起こる前に日本に来ました。日本のセキュリティの甘さに驚いたそうです。スイスでは原発は2基しかありませんでした。格納容器は日本よりもっと大きくて水素がもれた場合の安全性に備えました。技術者も真っ暗ななかでも操作できるようにトレーニングしました。でも日本はどうですか?津波が襲ったから、電気が止まったから、と何もできなかったではありませんか。そしてベントして爆発しました。それを何だかんだと言い訳のみならず、今や、まだ海辺の近くの井戸からはセシウムが2ヶ月前の70倍から100倍の濃度で検出されているのに、それは爆発のときの汚泥から出たものだとウソぶいています。今も海に放射能は垂れ流しの状態なんです。ほとんどの国民は自分に直接、被害が及ばない限り、ものともせず、安倍政権の経済というのに踊らされています。

Image2柏2222

再生可能エネルギーの本格的な研究、開発、発展、流通によって、企業間が本当に本腰で切磋琢磨し、競争を強めるならば、原発の費用よりもうんと安くすむ、そういう競争力が生まれ、電気もとどこおりなく、皆さんの家庭、医療に送れるはずなんです。 
ドイツはそれを目ざして原発全廃を進めました。スイスも観光立国ですから、もし事故が起こったら、国自身が滅亡の危機になるんです。だから原発を止めました。日本は止めるどころか、まだこれから再稼働して、あわよくば新しい原発を造ろうと考えています。でも、その(使用済み)核燃料の捨て場もない。廃炉にするには、再生可能エネルギーの開発に費やすよりも何百倍の費用がかかるんです。しかもそれが何十年という年月に及びます。それを国民がもっと少しでも知るように、わたしたちが少しでも運動して、現実を分かっていただく、そして政治家が利権にしがみつかない、企業が自分たちの営利目的のためだけに経済を発展させることだけに目が行かないようにしなければなりません。そういう日本にして行かなければいけないと思います。少々の不便があっても、そこに至るまでわたしたちの努力が必要なんじゃないでしょうか。皆さんがこうして参加していただくことは、たとえそれが百万分の一の力であっても、それを少しづつ広めていかなければいけないということを、この運動に参加して実感としてとらえています。皆さん、声を上げましょう!
「原発はんた~い!」
「再稼働、はんた~い!」
「自民党は国民のことを本当に考えろ!」
 ご清聴、ありがとうございました。


*このスピーチはUplanさんの「東京地裁裁判がいよいよ始動」録画0:40:10からみることが出来ます。

(まとめ:あっきい、写真:Uplanさんの動画より)

7.22 脱テント裁判 第2回口頭弁論 報告会 (その6)澤地久枝さんの発言

 7/22テント裁判の報告会は16:00から 弁護士会館2Fで行われました。(その5)
参照。
 報告会ではテントひろば応援団の澤地久枝さんが発言されました。(長いのでブログの都合上、整理をさせていただきました。


澤地

■澤地久枝さんの発言
<懲りないんだろうか>
 きのうの参議院選挙の結果はやっぱりがっかりでした。でも投票所に行かなかった人が半分ちかくいるんですね。これはいかにみんなが政治離れをしているか、日本の政治は駄目だと思っているかのあらわれだと思います。
 
 民主党が勝って、民主党政権ができて、たちまち私たちの期待を裏切りました。政権をとるとすぐに消費税をあげると言いました。2011年12月には「収束宣言」を出しました。なんにも収束していないのに。こういう人たちが選挙で負けるのは当たり前ですけれども、替わって自民党がまたこんなに出てきて、安倍さんが憲法96条を変えるとか、TPPに入るとか、その他、私たちが望まないことをやるのがもう目に見えている。 憲法も変えようという馬鹿な政府の下に私たちはあるわけですけれども、もう、「投票所に行くのを止めた」っということは止めましょう。
 今までいっぱいそういう裏切りをやられてきているのに、日本人は懲りないんだろうかという気もちょっとします。でもね、やけどをすれば熱いんですよね。

 私は政府と、民主党の政府と自民党・公明党の政府の両方でが、それから国と、国っていうのは実体がないですけれども、私たちの上にある権力機構ですよね、それと電力会社が日本人から故郷を奪ったんだと思うんです。故郷が死んでしまったらそこに帰っていくことはできない。今は尖閣列島とか竹島とかいろいろ言っていますけれども、別にそんなところで領土争いをやって、ふたつの国の関係を悪くする必要はないんです。 日本の固有の土地であることが誰の目にもはっきりしていて、最も美しい土地であると認定したような福島県飯舘村を含めて、福島とその近辺の土地を人を住めないようにしたということを政府も東京電力もはっきり言いません。今避難している人たちはいつ故郷へ帰れるか。放射能というのはそれだけ怖いものなんで言えないのです。
 チェルノブイリの事故(1986年)から随分経ちますけれども、チェルノブイリは完全解放されたということはないわけですね。同様に、福島はもう戻せない。福島を殺してしまったこの国の責任というものを問いたいと思うんです。

写真Image2澤地
 
<テントを応援すること>
 原発事故はまだ終ってない。最近も“湯気が出た”という話がありましたね。湯気なんていうのはお風呂の湯気がたつなんていうくらいで、原発から、すごい建築物から湯気がたつなんていうのはおかしいんですが、それはまだ事故が進行形、英語でいうingなんですよね。
 私はテントのあたりを通るたびに、まだ今日はテントはある、と思ってたんです。でも新聞にもなにも出ないから、去年の5月にあそこで座り込みをしようと思って、瀬戸内寂聴さんに連絡をしました。あそこで私は2日間ハンストをしましたけれども、そうすれば、マスコミが動く。誰かが子どもを産んだというと父親は誰かといってワッと動くんですよね。一体なにが大事なことなのかを考えてほしい。マスコミはみんながどんなことを求めているかということをヒシヒシと感じ取るような神経をもっていかなきゃと思うんです。
 去年寂聴さんが食べないで1日座ったときはものすごく人がたくさんきたんですね、寂聴さんはなにがあっても私は命がけでいきますよ、といってらっしゃる。
 わたしはテントがいつとられるかと実は思っていたわけです。機動隊が入ってきて強制的にあれを排除しようとすればできなくはないんですね。だから、みんなかなり緊張して見守っているわけです。でもどうするかな、と思ってみていたら、自民党が政権をとったら今度のような訴訟になった。おまけに一千万円を超えるお金まで払えといってきた。でも国とか裁判所は、まず自分たちがやるべきことをもっときちんとやって、その上でテントが目障りならばどいて下さいといったらいいんです。だけど、国も電力会社もなにもしていないですね。

<原発で死んだ人>
 原発で死んだ人はいないと言って、あとで自分の発言をどうするか困ってしまった女の政治家がいました。しかし大勢の方が亡くなっています。普通の生活を営んでいたら、次の瞬間に住んでいる家も全部奪われ、そして家族が行方不明になって、生きるための働く手段も全部奪われてしまって、路頭に迷わされる。そういうような状態に突き落とした国というものが許せるかということだと思うんですね。
 亡くなった方のひとりは、私の息子くらいの年齢の人ですけれども、「ねえちゃんには大変お世話になりました。私の限度を超しました。ごめんなさい。」2011年6月10日、午後1時30分、こういう書置きを遺して自殺をしています。全部を奪われて、これからどうやってやっていこうかと考えたら、絶望しない人なんていないですよね。

 あと2、3の自殺をなさった方の声をご紹介したいと思います。
「原発さえなければと思います。残った酪農家は原発に負けました。頑張ってください。」こう言って。飯舘村で、もうここで牛を飼っていくのは無理だ、そして上からトサツせよという命令がきた。どうして家族のようにかわいがってきた牛を殺すことができるかと。
 まだ今も被爆を覚悟で餌を運んでいる人がいます。この人はいっぱい飢え死にした牛の遺体を目にしている。自分のところは500頭、餌をやり続けている。しかし、自分は被ばくをしている。それは覚悟の上で。

 それから、7歳と5歳の息子を遺して死んでいった人は、「仕事をする気力をなくしました。」というのが最後の言葉です。
 あるいは、102歳のおじいさんは「お前ら避難しなんねんだべ。おれがいたんでは足手まといだべ。」といって死んだって言うんですよね。102裁まで家族と普通の生活を営んでいた人がなにが起きたかということを考え、自分はこの愛する家族の足手まといになるだろうと考えた時に死を選んだ102歳のおじいさんがいたということを私たちは忘れちゃいけないだろうと思います。
 それからまた、93歳の南相馬市のおばあさんは「私はお墓に避難します。」と。

<再稼働なんてとんでもない> 
 福島の人たちに対する経済的な保障を、私たちから税金をとるだけとっておいて、何もしていないと私は思います。被災者に支払われるお金は僅かですね。
また、福島第一原発の作業員の2000人近くが100ミリを超す放射能を受けている。これは、あそこの現場では非常に厳しい緘口令が敷かれて、人々が「私はこういう経験をした」とか「こういう風に口を封じられました」とか言えないような仕組みになっている。そして業者の孫請けの更に下請けの、訳のわからないような、仕事がなくてなんにでも飛びつくような人たちが、いちばん大変な仕事をしているんですね。そういう状態の中で、被爆の程度も人数も公表されているよりずっと多いだろうと思います。早くその状態から解放されたいけれども、それをやりながらでもやはり原発をなくさなくてはならないですね。私は即刻全部、今動いているものを止めて、再稼働などはとんでもないですから、再稼働はさせないということを、やっぱりこれはわたしたちみんなの気持ちとして政府をゆさぶってやらなきゃならないだろうと思っております。

<東電の勝手を許さない>
 その一方で、東電は3回赤字決算をするわけにはいかないから、原発を再稼働させたいと平然と口にしましたね。あんな責任の重いことをやって、会社が税金を投入してもらっても赤字なのは当たり前だと思いますね。普通の企業はつぶれますよね。
 東電も電気代を上げている。また上がる。でもそんな勝手なことをさせてはならないんですね。
 経産省前のテントは、わたしたちの意思表示としてあそこにあると思います。あれをどけろとか、これだけのお金を払えとかいうならば、国は、あるいは東京電力は、被災した人たちが納得がいくようなきちっとした処置を、口先だけではなくて具体的な処置をとるべきですね。
 政府に対する、電力会社に対する批判をやめたわけではありません。わたしたちは忘れませんということを、思い知らせるためにあそこにテントがある。謙虚に座り込んでいるのが非常に意味があるんですね。
 目障りと言われようと、近代的な建物の前にがっちりテントがあって、私よりも十くらい年長の女性の方もいつもみえていますね。そういう年齢を問わない人たちがあそこに詰めていて、わたしたちは忘れない、わたしたちは要求するという声をあげつづけるということが非常に大切であろうとわたしは思っております。
 テントは、長く続くことは本当に大変ですけれども、でも答えが得られるまでは続けていくべきだろうと思っております。



(動画起こし:Pipi、写真:ケロップ)

脱原発テント裁判第2回口頭弁論(その5) 報告集会

16時から 弁護士会館で報告集会

 7/22裁判の報告集会は、16時から弁護士会館2Fのクレオで行われました。会場は満杯でした。司会は第2テントの簑口さん。
 
宇都宮さん
▲宇都宮さん

■宇都宮弁護士
 まず、テント裁判弁護団の副団長の宇都宮健児弁護士が、14時からの裁判の「前代未聞の人違い訴訟」に触れた上で、ご自身が意見陳述された{原発問題で司法はほとんどことごとく住民の訴えを排除してきた犯罪性}を指摘しました。そして、原発をやめたドイツの司法と大きく違う点として、「ドイツでは地震がないのに、地震への対策、備えがないことを理由に原発の稼働を認めなかった。ドイツ最高裁は、戦後500件からの違憲判決を出しているが人権を守るという観点から立法をチェックしている。ヒトラー政権への協力の反省から裁判官組合があり、裁判官も原発や軍事基地反対の集会やデモにも参加している」ことを指摘しました。そして、日本の裁判は行政・政府や企業に追随している。この裁判ではそういう裁判のあり方、裁判官のあり方も変えていこう。福島厳罰事故の被害は押し隠すことは出来ない、私たちは声をあげ続けて行こうと訴えました。

澤地
▲澤地さん

■澤地久枝さん
 続いて、テント応援団の澤地久枝さんが、このテントの闘いの意義、支援を述べられました。澤地さんの発言は別立てにします。

更に上杉崇子弁護士が14時からの裁判での各弁護士の意見陳情の内容紹介をされました。

Image2河合ら
▲河合さんたち大写し

Image2楽しく
▲全体

■河合弁護士たち
 その後、記者会見を終えた河合弘之弁護士、淵上さん、正清さん、そしてAさんが登壇して、裁判で明らかにした「前段未聞の人違い裁判」の報告をされました。(略:記者会見の様子などを見て下さい。)
 「選挙結果に一喜一憂しては行けない。われわれに理があることは明らか。山本太郎さんが当選したこと大きい。自民党以外は原発いらないとなった。私たちのテントひろばなどの闘いがあったからだ。テントを心の拠り所に、これを大事にして、あらゆる場所でたかっていこう。日本中の原発をとめて行こう。
 あまり思い詰めるな!ここで負けても次がある。勝つまでやる。じっくり楽しみながらやる。裁判はおもしろくなってきた。原発を止めるということは一番重要なのだ。」と河合さんは言って終わりました。

Image2駒崎さん
▲駒崎さん

■駒崎ゆき子さん(原発いらない福島の女たち、郡山市議)
<福島の子どもたち>
 今の河合弁護士のお話、とっても元気が出ました。いろいろのことがあり、心が沈みがちでしたので、闘い続けていけは勝利につながるという意義を感じました。
 郡山の14人のこどもたちの、放射能年間1ミリシーベルト以下の安全なところで学校運営をしてほしいという郡山集団疎開裁判をしてきました。4月の判決で敗訴しましたが、判決は、郡山の子ども達が年間1ミリシーベルトをゆうに超えるところにいるというゆゆしき事態にあるという危険性は認めたのです。
 あの原発事故のあと、枝野官房長官は「直ちに影響はない」ということを言い続けました。生活優先だったから、お母さんたちは子どもをつれて給水車に2時間も並び、スーパーに、ガソリンスタンドに並んだのです。そのときは放射能が高かったことは知らされてなかったんです。15日の夕方から1時間当たり245マイクロシーベルトもあったんです。お母さんたちはわかっていたら行かせなかったと言っています。

<甲状腺がんの発生>
 いま福島の子どもたちに甲状腺検査がなされています。県民健康管理調査検討委員会の6月5日の第11回の報告では、23年度(2011)と24年度(2012)で甲状腺がん、もしくはその疑いがあるという子どもが28人も出ました。郡山市は3/31に放射線検査が終わったのですけど50508名の受診者の中から二次検査の必要な子どもは442人おりました。この発表の時は、2次検査が終わったときは5人しかいなかったのですがその5人のうち2人が甲状腺癌もしくは悪性の結節いう判断がされました。県立医大は「これは前からあったもので、まだ2年しかたっていないんだから(多いはずはない)と言っています。しかし、チェルノブイリノ統計をみても、次の年から甲状腺がんがあったんだと、福島医大の山下俊一教授は自分の書いた論文で言っていますが、いまは「それは前からあったんだ」と変えています。こういうことを許してはおけません。
 こういう状態で除染してどれだけの子ども達が甲状腺がんになるのか危惧しています。
 参議院選挙で自民党が圧勝しましたが、郡山から出た自民党衆議院議員さんは「いまの郡山市は復興・復興へと加速することだけ」と言い、それが目的のような政策がなされています。復興するというのは元に戻すということです。安全な上での復興しかあり得ないのです。除染に総額60億円の予算がついています。除染しなければ安全が保てないというのは矛盾ですが、実際には除染をしても戻らないのです。除染し年間1ミリシーベルト以下にすることを目的にしていますが、私は議会で糾しましたが、達成されていません。

<避難の問題> 
チェルノブイリでは60㎞圏内の国民を避難させました。郡山市は60㎞圏内です。
 避難は自主避難しかないのです。お母さんたちはとても苦悩しています。私は電話相談を受けていますが自主避難のお母さんたちが経済的に大変なこと、周りの人たちとコミュニケーションがうまくいかなくて精神的な病になっていることがわかります。それから、地元からの帰れコールです。「みんなが普通に暮らしているのになぜあなたは帰って来ないのか」と言われることです。帰ってきたお母さんはなかなか元のような関係に戻れない。分断です。
 復興、復興と進む中で、放射能は危険だということを口に出せない。避難したいと思っていてもいろいろな事情で避難できない人もいます。そういう人たちは放射能のことは聞きたくないと言います。
 そういう中で、今日の裁判の聞き元気がでました。しなやかに、がまん強く、何語にもめげず、この闘いを続けて行きたいと思います。
 政府や行政に、公的に2人の子どもだけでも避難させたいと議会の中でも言っていますが現実のものにならない。
 ある避難したした人から松本市で避難者を受け入れる宿泊所をつくりたいという相談を受けました。そういう支援が広がっていますので、郡山に住んでいる人がそれを受けられる手立てを考えていかなければならないと思っています。

<第2テントをネジロに> 
 テントは重要な役割をしてくださっています。このテントの前で福島の現状をいっぱい訴えることはできました。経産省を囲んでかんしょ踊りもできました。そういう訴えをしていくことが福島の子どもたちの支援につながっていくと思っています。このテントは絶対になくしてはいけない。
 第2テントは福島の女たちのテントだと言われておりますが、ここをネジロにきちんと頑張って行きたいと思っています。

 みなさん!福島のことを忘れないでください。再稼働するために福島の事故がなかったことにされようとしています。
 みなさん福島に来てください。

 報告集会はこのあと、傍聴報告などを受け、終わりました。

(報告・写真:あれこれ屋)

脱テント裁判 第2回口頭弁論 (その4) 傍聴記

7/22のテント裁判を傍聴されたKさんから、傍聴記が寄せられました。         
国がどんないいわけをするのか次回が楽しみ

 7月の暑い日、東京地裁で開かれたテント裁判を傍聴しました。定員100名程の所に300を越える人が傍聴希望し、関心が高いのがわかりました。
裁判では、なぜ今回の二人が被告とされたのか、弁護士さんより指摘がありました。経産省前には二人が「不法占有」したとされるテントの他にも福島の女性たちが建てたテントもあるが、そちらを訴えると世論の反発がより大きくなるので、まず二人だけを訴えたとのことです。
 自民党が「不法占有」している土地は何年もおとがめなしとも聞きます。経産省の勝手な選別で二人だけが訴えられていることがわかりました。

 この日の裁判の一番の山は、経産省が証拠写真としている被告の写真が実は別人であることが弁護士さんより指摘があったことです。このことは裁判長も認めざるを得ませんでしたが、経産省の代理人の弁護士は苦笑いするのみ。次回どんな言い訳をするか楽しみです。
 
 また経産省がいかにずさんな所かよくわかりました。こんな所が原発政策を担当しているのかと思いましたが、ずさんだから福島の原発事故だけでなく様々な事故が起きてしまい、事故が起きても平気でいられるのだと思いました。
 弁護士さんの指摘に多くの傍聴人が「そうだ!」と思わず声をだしましたが、裁判長は「傍聴人が発言すると私は落ち着いて審理できない。発言をやめるように。」と何度も注意していました。人の話を聞いて納得したら、少しくらい声が出るのは当然のことです。これくらいのことで裁判官は「審理できない」ものなのか、裁判長、もっと大きい気持ちで裁判を進行して下さいと思いました。 今後の進展が楽しみな裁判です。

脱原発テント裁判第2回口頭弁論 (その3)

事実誤認についての記者会見
前代未聞のとりちがえ訴訟


DSC_1971記者席
▲記者席

 裁判は興奮のうちに終わりました。直ちに、裁判所内の記者クラブで記者会見を行いました。記者会見には河合弁護士、淵上さん、正清さん、Aさん、福島の女たちの橋本、渡辺、亀屋、駒崎、黒田さんが出ました。みなさん、この事実を拡散してください。

記者会見のユーチューブ


東京地裁テント裁判がいよいよ本格的に始動


正清 太一 さん、経産省前テントひろばについて語る


国、被告を別人と間違え提訴か~脱原発テント訴訟

記者会見の様子(動画を文字にした)

■河合弁護士
 今日、7/22経産省まえテントひろばといのちを守る裁判・第二回口頭審理で大変なことがありました。
 それは何か。この人(正清さん)は第1被告なのですが、正清さんを特定する写真、それはすべての訴状の根幹になっているわけですが、原告側は、正清さんとAさんを完全に取り違えたということです。前代未聞のとりちがえ訴訟です。

DSC_1990記者会見
▲記者会見 左正清さん 隣りAさん

 記者のみなさんに渡した資料で、一番わかるのは添付写真の2です。その写真で、立って演説しているのは淵上さんです。この写真では被告以外の他の人は全部オメン(マスキング)が被されています。Aさんが写っていますが、それを正清さんと特定しちゃったんです。(正清さん、腕を組んでみて)それで訴状を仕上げちゃったのです。
 添付写真の1。はちまきで横を向いた写真です。それもAさんです。
3枚目、ハンストの時、瀬戸内寂聴さんが出たときですが、帽子をかぶった写真は、ここにいるAさんです。はっきりとして証拠写真は3枚しかないんです。それを全部完全に間違えている。

DSC_1980河合
▲河合弁護士

 それから星取り表、テントへの出勤表です。誰が何日に来ているという表です。原告側はこういう表を出しきています。例えば、淵上太郎は何月何日に来た、来ない。正清太一は何月何日に来た、来ないと。その他、A~Oまでの人が、あたかも特定出来るような感じの出勤表です。
 少なくとも、正清に関するものは全く間違いです。現に正清さんが自分の手帳でチェックしたら大幅に違っている。A~Oまでの人についても正確であるという担保は全くない。
 この勤務表は監視カメラでつくっています。監視カメラは解像度が悪いのです。正確性について非常に疑問です。
 これは単に証拠の問題ではなく、これをもとに訴状を書いている。

DSC_1981勤務表
▲勤務表

 訴状には「正清は上記テント1張を設置したものであるが」と書いてありますが、それはこのAさんをみて、そう書いているんです。「被告正清は現在においても淵上とともに本件土地部分に本件各テントを設置するなどしてその占有を継続しているのは明らかである」と。

 この裁判の要件事実は、国に所有権があること、被告が占有していること、それだけです。占有していない人を占有していると間違って訴状を書いてしまった。
これは訴訟の根幹にかかわる問題で、今日は法廷でこの2人を並べて、「違うでしょ」ということを裁判長と原告代理人によく説明をして、「こんな根本的なことが違っているんだから、訴えを取り下げろ」ということを要求しました。

 原告代理人は今日はじめて知ったんだろうと思いますが、動揺を隠して「次回までに検討します」と言いました。こちらは取り下げを含めて検討せよといいました。
人違いですから、訴状を全部書き換えなければならないんです。少なくとも正清さんに対する裁判は完全な誤認訴訟ですから、本来なら取り下げなければならない。

■正清さん:
 180日のうち約100日来たことになっていますが。私が絶対に来ていないことがきっきりしてるのが20件。たぶん来てないというのが約20件。内容的なことはメチャクチャです。

■Aさん:
 この裁判の根幹は誰が誰を訴えたのかということ。2人と限定したのも問題がある。出勤表でみたように、またテントは実際に交代で毎週毎週、夜も泊まる体制で維持してるわけで、2人だけを特定するということは、そこに基本的な矛盾があるわけです。にもかかわらず2人に限定し、1人をまったく取り違える。誰が誰を訴えるのか。粗雑で、無責任です。

■河合弁護士:これは明らかに不当訴訟で、正清さんからすれば迷惑な話で、場合によっては損害賠償請求もあり得るような事案です。
以上です

(まとめ:あれこれ屋、写真:pipi)
<前のページ 次のページ>

プロフィール

原発いらない女たちのテントひろば

Author:原発いらない女たちのテントひろば
「未来を孕むとつきとおかのテント行動」を引き継ぐ新ブログにようこそ!

「原発いらない女たちのテントひろば~福島とともに」は
東京・霞が関の「経産省前テントひろば」を拠点とした、女性による脱原発・反原発のアクションです。
 年齢もバックグラウンドも様々な女たちが、福島原発事故に対して立ち上がった「原発いらない福島の女たち」につながろうと集まって来ました。
 それ以来、つねに新しい仲間を迎えながら、「原発を止めたい」「子どもたちを守りたい」という思いのもとにテントを拠点に多様な活動を続けています。
 生きること、暮らすこと、命をつなぐこと。小さく、ささやかなものへの眼差しを大事にして、「原発」という強大な構造を変えて行けることを固く信じて。
 このブログはもう一つの「テントひろば」。誰にでも開かれた、語らいと学びと交流の場です。世界中の女たちに呼びかけます。
「強く、そしてしなやかにつながっていきましょう!」

QRコード

QR

福島とともに